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あんなに憎かった許せない人が、いつの間にかいなくなっていた

誰かを許せない

それが苦しいから
相手を許そうとする

 許さなければ。

 手放さなければ。

 いつまでも過去に
 縛られていてはいけない。

そんなことは
百も承知しているし
頭ではわかっていました。

でも、

傷ついた出来事を
思い出すたびに
胸が苦しくなる。

あの人の顔を
思い出して
腹が立つ。

自分の失敗を
思い出して
消えてしまいたくなる。

そんなことはありませんか。

私はたくさんありました。

しかも相手よりも、

自分自身を許せない
その気持ちの方が
ずっと強かったのです。

口を聞かなくなった同僚がいます。
あれから半月以上過ぎたけれど
事態はまったく変わっていません。
(その時の記事はこちら)


以前の私なら、
同僚も
きっと「許せない人」の一人に
なっていたと思うのです。

可愛さ余って憎さ百倍。

傷ついた分だけ。

尊敬していた分だけ。

大好きだった分だけ。

恨んでしまう…


そんなことがよくあって
許せないと思う人が
いつも数名、
心の中にいました。

ある友人からは
「そんなにいたら大変じゃない?」
と云われたこともあるほど。

でも今日、
久しぶりに一緒の出勤日で
顔を合わせたので
同僚のことをあらためて
考えてみたら

あれ?

と思いました。

口を聞いていない。

今では、
挨拶するタイミングさえ
わざと外されているのではないか。
そう思うこともあります。

でも、
言葉を交わさないという
事実は変わらないのに、

「許せない」
とは思っていない。

そのことに、
自分でも驚いたのです。


許せなくて
苦しかったときと
いまの違いを考えてみました。

許せなかったときは、
感情と
一体になっていました。

 怒り。

 悲しみ。

 悔しさ。

その感情と一緒に
グルグル回っていたのです。

ずっと、
相手が悪いと思っていました。

相手のせいで
苦しいのだと思っていました。


でも、
何度も何度も
その出来事を思い出して、

自分の中で
苦しさを
繰り返していたのは
私でした。

相手を
責めているつもりなのに、

傷ついていたのは
私でした。

だから苦しかった。

相手の問題ではなかった。


書き出すこと。
そして安心して話せる対話。

その積み重ねの中で、
「出来事」と「感情」を
少しずつ分けて
見られるようになりました。

だからでしょうか。

気づいたら、
私の中から
「許せない人」が
いなくなっていました。


頑張って
許したわけではありません。

気づいたら、
自由になっていたのです。


もし今

手放したいのに手放せなくて辛い
許したいのに許せない
頑張っているのに苦しい。
なにをしたいのかわからない。

そんな感覚があるなら。


あなたの中にある本音の欠片を、
一緒に探してみませんか🌿


【本音が言葉になる、【書く】対話セッション】




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