人と比べて落ち込むときに気づいたこと~瞑想と意識の学びで見えた本当の自分
いつものようにSNSを開くと、
知人が満面の笑みを浮かべている記事が出ていました。
その少し下には、
別の友人が大活躍しているという報告の投稿。
どちらも「すごいな」と思いましたが
ほんの少し間をおいてから
胸の奥が、きゅっと縮んだのがわかりました。
最近、心の中で
静かに問いかける時間が増えました。
誰かの活躍を目にしたときに、
「素直に応援したい」と思う自分と、
「どうして自分はまだ…」とつぶやく自分。
その両方がいることに
気づくようになったのです。
この小さな違和感をなかったことにせず、
正直に見つめるようになってから、
心の中の声が少しずつ聞こえるように
なりました。
今日は、その中で見えてきた
「比較する気持ち」と「分離」
の関係について
内側で起こった気づきを
書き留めておこうと思います。
最近、活躍が目覚ましい人が
周りにたくさんいらっしゃるのです。
活躍しているのはSNSやTVの世界ではなく、
ごくごく身近に感じる方々。
だから、ぽっと出で
いきなり活躍しているわけではなく、
ご本人のそれまでの軌跡も
ある程度は理解しているので、
結果や成果として現れていることは
本当に素晴らしいことだし、
心から祝福の気持ちでいます。
そして、そういう素晴らしい軌跡を
間近で立ち会うことができることにも
たくさんの希望をもらっていて、
ここにも感謝しかありません。
でも、
いいなと思うからこそなんだけど、
ふと……
「なんで自分はまだこうなんだろう。。。」
と、現状を卑下するような気持ちが
むくむくと湧いてくるときがあります。
私は、誰かの輝きを見た瞬間、
無意識に「その人」と「できていない私」を
心の中で両天秤にかけていたのです。
本当は応援したいのに、
その裏で「私はまだここにいる」
という焦りが立ち上がる。
この相反するものが同時にあることが
私を知らず知らずのうちに
疲れさせていたのだと思います。
けれど、そう思うことをスルーせず、
「思ってることは思っている」と
ちゃんと受け入れられるようになったのは、
最近の大きな変化でもあります。
それでもなぜ、
こうして他人と比較しては
嫌な感情を感じてしまうのか⁉️
今日は自然と内側に問いかけて
みたくなって、
静かに自分に聞いていました。
「こう思っているのは誰?」
そう聞いてみたら、
即答で答えが返ってきました。
「エゴの私」。
以前の私は、自分には価値がない
と思い込んでいました。
人が成功するのを見るたびに、
「私はいつまでたっても変われない」
「もともと価値のある人間じゃないのだから仕方ない」
そんなふうに、自分で自分を
決めつけていたのです。
でも、
あの人の成功を
あ~やっぱりと思う反面
いつまでたっても変わらない自分
そこに焦点があたると胸の奥が痛みます。
さらに聞いてみると、
「嫌な感情を感じる時というのは、
分離してるから‼️」
という答えもきました。
あぁ、そうか。
この世界はすべて自分の内側の投影。
他人と思っている人たちも、
自分の内側で創造している存在で、
本来はひとつの意識が
それぞれに分かれて体験しているだけ。
つまり、すべては自分。
この「自分」というものも、
実体のない意識でしかなくて、
私と思っている「私」さえ、本当はいない。
この世界で「見ている」と思っているのは、
ただ、自分の内側。
そう感じた瞬間、
すべてが自分なんだと腑に落ちて、
嫌な感情がすーーーっと消えていきました。
他人の輝きがまぶしく見えるとき、
それは「自分の中の光」が
「ここにあるよ」と
知らせてくれているだけ。
こうして内側を見つめていくと、
比較して苦しくなる瞬間も、
すべては「分離している」と
錯覚したエゴの声だと
わかるようになりました。
本当の私は、誰かと比べる必要もなく、
すでに満たされている存在。
その感覚を、頭で理解するのではなく
体験として感じられるようになったのは、
意識の学びと瞑想を続けてきた
そのおかげだと思います。
目に映る世界はいつも、自分の内側の投影。
だから、他人の中に見る光も、
本当は自分の中にある光。
そのことに気づけたことで
比較も劣等感も、
コーヒーにクリープがすーっと溶けるように、
胸の奥にあった塊ごと、
いつのまにか消えていました。
もし今日、誰かと比べて胸が痛んだら、
その感覚を消そうとしなくて大丈夫です。
「この苦しさは、どこから来ているのだろう」と
ただ、そっと内側に聞いてみてください。
