生きづらさについて5 物語
先の投稿でも記したとおり、この世はそもそも不条理にできていて、生きづらくなかった時代などない。
この不条理に対して、人は物語をつくって対処してきた。
これは不思議なことに人類の共通事項なのだ。
それがプラトンのいうイデアなのか、ユングのいう元型の仕業なのかは知れないが、世界中どこへ行っても1+1の解が2であるように、世界中のどの地域でも不条理に対しては物語でもって対処するという方法をとっている。
身近な例を挙げれば、たとえばある家庭に何らかの不幸があったとする。
重い病や事故とか‥。
すると、家族や親族はその原因?を探ろうとする。
家族の誰かが厄年であるとか、あるいは厄払いをしていないとか。
もしも(これは実際よくあることなのだが)不幸が重なったりすると、その探求はより深いものになっていく。
お墓参りに行っていないとか、先祖供養が足りないとか、七五三をやっていないとか、家相が悪いとか、結婚式の日取りが悪ったとか、引っ越し先の方角が悪ったとか、はては鯉のぼりを挙げていなかったとか、ひな人形を片づけてなかったとか、庭の池が悪いとか、床の間の掛け軸が悪いとか‥。
こういった話はどこの家庭にもある話だ。
不幸に対して、何かの過失があって、その過失さえ正せば、また平和な日常に戻れるといった安心感が得たい。その一心で物語を探す、あるいはつくる。
その答えはじっさいのところ誰にもわからない。正直、正解はない。
しかし、それがわかるという人が現れたりする。それが宗教である。
お祓いをすれば不幸の連鎖が断ち切れるとか‥。
なにも宗教が悪いといっているわけではない。それが世界共通の人間の性(さが)なのだから。そうでもしないとこの世の中は渡ってゆけないのだ。だからといって宗教に入らないといけないと言っているわけでもない。
地震がくれば津波がくる。しかし地震もないのに津波が来たりする。山が突然噴火する。川が氾濫する。わけのわからない病気が流行って人がごろごろ死ぬ。いつ来るかしれない災いに人類は怯えながらも生きてきた。
近くはあの石原慎太郎でさえ(彼はもともと物語を作る側の人だが)、東日本大震災が起きた際、欲得ばかりだからバチが当たったんだと言ったのは記憶に新しい。
皇室の氏神でもある天照大神を祭る伊勢神宮は、その立地からして津波に備えてのものだと私は思う。もちろんヤマト政権からして日出る地であることもあったろうが、あの地には古来、東南海トラフ地震の津波が押し寄せてきていたはずである。
また古代出雲大社も高さ40メートルを超える高層建築であったという説がある。これも津波を恐れてのことではあるまいかと推測するばかりである。
古代の人は海が突如襲ってくることを経験で知っていて、それを非常に警戒していたはずである。盆地である奈良・京都に長く都があったのは台風や津波の被害から逃れるためだったと考えても差し支えないとおもう。
源頼朝が配流になったのは伊豆である。島ではない。
当時の古文書にも記されているように、この地は地震が多く、津波の被害も大きかった地である。ゆえに流刑地となっていると考えられるのだ。
卑弥呼が日本を統治していたのか、あるいは地方の一豪族だったのかは杳として知れない。卑弥呼が魏王からもらったという金印が奈良から出てくれば、卑弥呼は天皇家のご先祖という可能性も出てくるが、佐賀から出てくれば一豪族の王ということになるだろう。
邪馬台国かどうかはべつとして、とにかくヤマト王権(いまのところ)発祥とされる纏向遺跡では、盛大な祭祀が行われていたとされている。
卑弥呼かどうかはべつとして、今の天皇のご先祖さまにあたるお方が祭祀を行い、神託を受けるということが行われてたと考えられている。(見た人がいるわけではないので、どれだけがんばっても推測でしかないのだが…)
ちなみに卑弥呼はシャーマンであったと魏志倭人伝にはある。
不条理に満ちたこの世界を卑弥呼のようなシャーマンがご神託を受けることで、民ははじめて安堵し、国あるいは部族を統治していたと考えられている。
この場合、受けた神託も物語だが、それ以前に卑弥呼が神の声を聞くといった認識そのものがすでに物語になっている。
そこにはそれ相応の説得力がなくてはならない。何月何日に地震がくるといきなり言い出したって誰も信用しない。しかしまえに当てたといえばその信用度はやや増す。証言者がいてその証拠が残っていたりするとさらに信用度は増す。証言者が多ければ多いほどにその信用度は増してゆく。いまならば過去のデータさえ残っていれば、ということになる。そうして物語は説得力を増してゆく。
古代日本という国は卑弥呼がしたように、当時先進国であった大陸に物語を求めることも当然あったはずだ。
その大陸から輸入されてきた物語の代表格が仏教である。
驚くべきことにこれまで神託を得てきたはずの天皇家がこの仏教に傾倒し、時代を経るにしたがってついには譲位して出家する天皇もめずらしくなくなってゆく。
仏教は国教として各地に寺が建てられることになる。
奈良にある名刹のすべてがこの世の不条理を鎮めるために建てられたものだ。いや奈良に限らない、京都をはじめ日本全国の神社や仏閣はすべて不条理を鎮める願いをもとに建てられたものといって過言ではない。
とはいえ――、それでじっさいに災いが去るわけではない。
物語にできることは人々の心を鎮めることだけだ。
言葉は悪いが要するに気休めだ。
しかし気休めとはいえ、それなりの説得力がないといけない。
人々が納得できる、あるいは気を静めることができないと効果はない。
なので、むろんそこにはときの権力者の威勢の誇示という意味合いこそあれ、小さな寺では効力が弱いとして、ときを経るごとに寺は東大寺のように大きく豪華になっていった。すべては説得力のためだ。
この大きな建造物でなお災いが、あるいは人心が収まらなかったとしたら、中南米のように生贄を捧げることで神の怒りを解くという物語が作られるまでになる。じっさい中世ヨーロッパでペストが流行った際にさかんに魔女狩りが行われた。
説得力だけでなく、やはり効果というものも求められる。
効果がなければ人は次の新しい物語を求める。
なので、易をはじめ風水や陰陽五行といった占いや呪術が大陸から随時輸入されることになる。
やがて都が奈良から京都に移ってまもなく空海というスーパースターが登場する。
空海は、仏教がチベットで長いあいだ醸成された密教というものを、中国の名のあるお寺の阿闍梨から丸ごと伝授されたという超レアな体現者となって日本に帰ってきた。この触れ込みに、都の貴種たちが沸き立ったのは言うまでもない。
新しい物語がやってきたのだ。しかも先進国中国の権威ある人物の後継者としての資格まで持っていた。
じっさい空海が持ち帰った物語には非常な説得力があった。しかもこれまでの仏教とは比べ物にならぬくらい実用的でもあった。
多種多様な法具や仏像、修法を駆使し、あらゆる災いや悩みに応じてみせた。
かつてなかった異形の仏像たちが大勢出現し、悩みに応じて個別に対処することができた。
これまでお経を読んだり、書いたりするしか手がなかったなかを、空海は護摩を炊いたり、真言を唱えたりと、誰もが見たことも聞いたこともないような修法を行ってみせ、都の貴種たちを驚愕させた。
当然、空海は引っ張りだことなった。それなりの身分も大寺も与えられ、仏教界の指導者たる地位をえた。そのぶん主に貴族たちのあらゆる悩みに答えねばならなくなった。
それは天下を安泰せしめる規模のものから、貴種の病の平癒、あるいは妬み嫉みからくる私的な遺恨や、色恋沙汰まで様々なものが持ちかけられた。
やがて空海はそんなお悩み相談に嫌気がさし、都を離れ、遠く高野山に閉じこもることになる。
たとえ空海のようにどんなにすぐれた物語であっても、時とともにその効果は薄れてくる。そこで新たな物語が必要とされるわけである。
高野山は天才空海が完璧な法を作り上げたので、これを守り続けるだけでよかった。
一方、空海と同じ時代に同じ船団で中国に渡った最澄は、自らの富貴を頼りに中国で多くの経典を買い求めて帰ってきていた。経典を持ち帰っただけで、何か修行をしたわけではなかったので、空海ほど何かをできるわけでも、知るわけでもなかったが、その持ち帰った経典のおかげで、比叡山は今でいう大学のような学問の府となり、のちの天才を多く生み出した。
日本天台宗の基礎を築いた 円仁 、 円珍 、 融通念仏宗 の開祖 良忍 、 浄土宗 の開祖 法然 、 浄土真宗 の開祖 親鸞 、 臨済宗 の開祖 栄西 、 曹洞宗 の開祖 道元 、 日蓮宗 の開祖 日蓮などがそうである。
名だたる宗派の開祖はみな比叡山の出身である。
彼らはみな空海以降の人々の心を鎮めるための新しい物語をつくった人たちだ。
戦国時代を最終的に制したのは徳川家康に違いないが、家康の天下取りには織田信長の活躍抜きには語れない。
まず信長が革新的な手法でもって天下を平らげた。
その信長は当時入ってきた最新の物語である西洋文化をいち早く取り入れた人物である。無神論者であった信長こそ帰依しなかったが信長軍にはキリスト教に帰依した大名も多かった。
そうして当時の西洋の最新兵器である鉄砲をいち早く取り入れたのが信長だったのである。
家康が天下を獲って、江戸に幕府が開かれると、つぎは儒教という物語が広められる。儒教はむろんとっくの昔から入ってきていたものであるが、幕府の統治のしやすさのためにこの時期、意図的に流布された。
儒教は、庶民はいざ知らず、戦のなかった時代において武士の管理には非常に役に立ち、その偉効は今もなおこの国に根差している。蛇足になるが、墓参りなど先祖供養は仏教のものと思われがちだが、先祖供養はもともと儒教の思想である。
この江戸時代以降、幕府の財政難を克服するために打ち出された改革政策も物語といっていい。
学説—―、といったほうが正確なのだろう、どういう結果になるかはわからないが、理論上(学者の頭のなかでのシミュレーションでは)うまくいけば事態を打開できるはず…、というやつだ。しかしやらないことには事態は打開できない。そういった政策は今なお日本に限らず世界中で続けられている。これも物語といっていい。要するに必要なのは説得力だ。説得力がなければ、誰も賛同してくれない。そこには、たとえばノーベル経済学賞を獲ったとかいう付加価値が求められる。
徳川幕府の鎖国のおかげで長く閉ざされていた新しい物語も倒幕による明治維新のおかげ一気に花開く。文明開化というやつである。
西洋文明という物語が一気に日本に流入してくる。
チベットで長い時間をかけて醸成された密教を空海が中国から持ち帰ったのと同じように、西洋で長い時間をかけて進歩発展をとげた文明を日本が一度に取り入れはじめたのだ。
産業や科学、経済に軍事と新しい物語の大量の流入のおかげで明治の人々は大わらわとなった。
列強の侵略に備えてか、あるいはアジアへの伸張を図ってか、軍備を近代化するという富国強兵策も、その物語の一つである。
ひとつ変わったものを紹介すると、
たとえば、こっくりさんというと、なんだか日本の霊的な占いか何かと思う人が多いと思うが、こっくりさんは明治期のイギリスからの輸入品である。
イギリスは昔から心霊研究がさかんな国で、シャーロックホームズで有名なコナン・ドイルなんかも神秘家で心霊研究を熱心にやっていた。
じつは日本の心霊研究(怪談とはまた別)というのはこのころできたものが多く、それは当時輸入されてきたイギリス文化の影響を多分に受けているとも考えていい。
たしかに――、科学の進歩のおかげで、災いの根源がずいぶんと解明されるようになり、ある程度、物語に頼ることなくそれらを防ぐ術というものもできてきた。
また我々の身辺というものは技術革新のおかけで、いろんなものが便利になった。むかし徒歩で数週間かかった東京ー大阪間も新幹線で二時間半、飛行機三十分という世の中だ。
電話やFAX、今やメールやSNSでいつでもどこでも瞬時にやり取りが可能となっている。
日常生活においても、掃除、洗濯、食事など、むかしと比べれば格段に短縮して行うことができる。
むかしの人は、朝起きて薪をくべて火を起こし、食事の支度をして食事をし、すべて徒歩で畑に出て野良仕事をするか狩りをするか薪を集めるかして、夜になってまた火を起こし食事の支度をして食事をしたら一日が終わっていた。体力の消耗と囲炉裏やろうそくの薄明りの生活で昔の人は現代人よりもずいぶんとよく眠っていたはずだ。
私見にすぎないが、心を病むというのは夜ふとんに入ってから寝るまでのあいだに醸成されるとおもう。床に入ってすぐに寝ることができれば、病まずに済む、と私は思う。貝原益軒の体躯を労するも養生なりとはこのことを指すと個人的には思っている。
いまはそんな時代からすれば、膨大な時間の余裕があるわけである。
体も疲れていないし、光刺激の強さから、夜になっても眠くならない。
その空いた時間を、我々はまた物語で埋めねばならなくなった。
なぜなら、いくら科学が進歩しようとも不条理がなくなるわけではないからだ。進歩した社会には進歩した社会なりの不条理がある。
そうして我々は昔の人よりも時間を持て余している。その余った時間はヤツに追いかけられることになるのだ。
だから現代人はおそらく、むかしの、まだ科学が発達していなかった時代の人以上に物語を欲している。
現代人は日々、物語を欲し、一方で物語を創造し続けてもいる。
現代人にとって少年ジャンプも村上春樹も物語なら、スマホ自体がもはや物語だ。
スマホのなかには無数の物語がある。
人々はわずかな時間をも惜しんでスマホを睨み、始終スマホを気にし、なかにある(自分に都合のいい)物語を探しまわっている。ゲームにだってストーリーはある。
そうすることでヤツから逃れられる。不条理から逃れられるか、少なくとも不条理を忘れられるからだ。
そうして技術の発展はその無数の物語のなかから、個々のニーズに合わせた物語を手っ取り早く抽出してくれる、現代版シャーマンとも呼べる便利な語り部をつくりあげた。
AIという語り部はこの世の不条理から人類を救ってくれるだろうか?
