ミロンゲーロとはなんぞや?
ミロンゲーロ。アルゼンチンタンゴを踊る場所、ミロンガの男。単なるタンゲーロではなくて、ほのかに漂うミステリアスでデンジャラスな雰囲気……。でも一体、何がどうだったらミロンゲーロなんでしょうね?
(タイトル写真:from ¡tango! ミロンゲーロ風の装いで踊るストリートダンサー)
アルゼンチンタンゴを踊る男性のなかで、「ミロンゲーロ」と呼ばれて嫌がる人はおそらく少数派です。たいていの人は「よしてヨ~」なんていいながらまんざらでもないカンジ。
ミロンゲーロとは、ミロンガの常連で、他のタンゲーロ、タンゲーラから一目置かれる存在。男性的要素満載のペアダンスであるタンゴで、この「一目置かれる存在」であるってことは、タンゲーロたちにとって、いい車に乗っているとか、どこそこのCEOだとか、そういうことに勝るとも劣らぬステータスなのです。
とはいっても、では具体的にどういう人がミロンゲーロなのか、となると、イマイチはっきりしない。
「タンゴショーのミロンゲーロは粋な帽子に白いスカーフだったよ」
「でもさ、友達が『あの人はミロンゲーロだ』っていってたオジサンは、遊び人風のスーツで踊ってたよ~」
……フーム、ヴィジュアルすらバラバラですねえ。
セピア色のミロンゲーロたち
アルゼンチンの話し言葉を分析研究したDiccionario del Habla de los Argentinos によりますと、 "milonguero" という言葉はミロンガの常連、という意味で1910年ごろから使われ始めたのだとか。
下の写真は、 1905年3月のカーニバルのミロンガで、場所はブエノスアイレスの Pabellón de las Rosas とか。女性の装いは目もくらむばかりで、男性も帽子から靴まで全くスキなし。でも、胸元はつまった襟に蝶ネクタイで、例の、緩く白スカーフを巻いた姿ではありません。
あの白いスカーフは lengue といって、もとはコンパ―ドレと呼ばれた家畜輸送業の男たちの装いだったそうです。遠いパンパから加工・輸出拠点のブエノスアイレスへ牛を束ねて動かしてくるコンパ―ドレたちは、その仕事の重要性から尊敬され、それなりに羽振りもよく、また伝説のガウチョたちと通じる任侠な気質も手伝って、彼らのファッションや風俗をまねする街の若者たち「コンパドリート」を生み出しました。この「コンパドリート」とタンゴの関係については長くなるので他の記事にゆずるとして、ここでは、ミロンガに足しげくやってくる男たちの装いは、必ずしも白いスカーフ一辺倒ではなかった、という点だけ。
1920、30、40年代……とタンゴの人気が高まるにつれ、単に、ミロンガによく行く男、という意味だった「ミロンゲーロ」 はいろいろな意味を持つようになります。たとえば、
タンゴだけでなく、関連音楽のミロンガ、バルス(ワルツ)なども上手に踊れる人
タンゴの歴史やミロンガでの作法に通じている人
女性に礼儀正しく、他の人を邪魔するようなテクニックの見せびらかしにはしらず上手く踊れる人
などです。
バリオのミロンゲーロたち
着道楽で鳴った往時のポルテーニョですが、普段近隣で行われるミロンガではもう少しリラックスした服装だった様子。それでも男性の装いの基準は「妻の両親と食事に出かけたり、教会の日曜礼拝にいって恥ずかしくない格好」だったとか。え、そんなカッコでタンゴ? ですが、さすがミロンゲーロ、この様に見事なもので...…。
当時のアルゼンチンの人たちの装い感覚に関しては、志村まうしろさんもこちらの記事で面白いアングルから触れておられます。
ネオンに照らされたミロンゲーロたち
第2次世界大戦後、アルゼンチンにもアメリカ合衆国の文化が押し寄せてきます。アルゼンチンは大戦の戦場にはならなかったものの、冷戦のあおりもあり政治的状況は不安定でした。さらに、タンゴはその下町生まれの背景から上流階級や権力側との相性がよくありません。ヨーロッパ起源の芸術に比べ見下されていたタンゴをアルゼンチンの芸術として政治宣伝に取り入れたペロン政権ですら、タンゴの歌詞を検閲していたそうですし。中でも国家再編成過程(Proceso de Reorganización Nacional、1976ー1983年)と呼ばれる軍事政権期の弾圧は激しく、アーティストを拘束したり、タンゴは古臭い、ミロンガはチンピラや麻薬中毒者の巣窟だ、タンゴより新しいロックンロールを踊ろう、とネガティブキャンペーンをはってタンゴの排除をすすめました。
その結果、タンゴはブエノスアイレスの中心部でほとんど踊られなくなり、周辺部のカフェやナイトクラブでも踊っているのは年寄りばかり、という状況に陥ってしまいました。しかしそのような中でもしぶとく踊り続けるミロンゲーロたちのもとダンスの進化は続き、下町風の踊り方と上流のエレガンス重視の踊り方をうまくミックスしたスタイル(tango de salon)が出来上がりました。
そして、ついに軍事政権が崩壊した1983年前後から、周辺のミロンゲーロたちは中心に進出してきます。彼らが始めたミロンガは、タンゴを踊れて、お酒も飲めて、アメリカのナイトクラブ風にネオンやミラーボールが光り、コルティーナにはロックンロールもかかるなど、若者も呼び寄せる要素を持っていました。そこではミロンゲーロたちも長めの髪に明るい色のスーツなど、70、80年代のアメリカ映画に見るような装いで踊っていました。
戻ってきたミロンゲーロたちはしかし、軍政期のネガティブキャンペーンのマインドコントロールが解けていなかった「良識ある」市民からは、ヤクザ者、チンピラ、アル中、ヤク中、女たらし、遊び人等々、ありとあらゆる不良分子のレッテルを張られました。ただ、この認識には偏見だけでない側面もあって、昼の自分は仮の姿でミロンガの自分こそが本来の姿、と夜の世界に生きるミロンゲーロたちの中には、感心しない素行の人たちがいたことも確かなようです。
さらに、現在「ミロンゲーロ・スタイル」と呼ばれる踊り方は、この世代のミロンゲーロたちがお互いに個性を競い合いながら磨いてきた踊り方が基になっているという点も見逃せません。その結果、現在の「ミロンゲーロ」という言葉には、いわゆる「ミロンゲーロ・スタイル」の踊り方をする人、この時代の遊び人風の装い・振舞いで遊ぶ人、という意味も加わりました。
あなたの隣のミロンゲーロたち
こうしてみてきますと、ミロンガの常連、タンゴ、ミロンガ、バルスなんでもござれの踊り手、ミロンガのしきたりに精通、など様々な条件は、すべて満たしていないとミロンゲーロでない、というより、時代や時々の文脈で使いわけられてきた、いわば十分条件のようですね。
時代につれてミロンゲーロたちのファッションや踊り方は変わっても、変わらないのは、彼らが、タンゴにのめりこんで、タンゴを踊る場所と時間をいつくしみ、ともに踊る人たちと親密な絆を結ぶ人たちだ、ということ。ということは、あそこにいる彼・彼女も立派なミロンゲーロ・ミロンゲーラ。ミロンゲーロスは今もあちこちにいるわけですネ。
さて最後にご紹介するのは、そういうミロンゲーロ気質を色濃く残すダンサーの一人 Gabriel Missé のデモ。ショーでの踊りもすばらしい彼が、のびやかな Maru Rifourcat と踊るのは、70-80年代ミロンゲーロの美学も色濃い「サロンのデモ的ファンタジア」です🌹
©2025 Rico Unno, CC BY-ND
