ミロンゲーロ・スタイル異聞
ミロンゲーロとはアルゼンチンタンゴを踊りこんだ人のこと。流行りすたりに目もくれず、自分のタンゴをミロンガでずっと踊ってきた彼らをたたえる、一種の称号です。ミロンゲーロたちの踊り方やファッションをさしていうのがミロンゲーロ・スタイル。でも、一人一人違うミロンゲーロたちの踊り方をまとめて「スタイル」なんて大雑把すぎるとか、大体スペイン語ですらないじゃないとか、この言い方に対する意見はさまざま。確かに英語っぽいですよね。ということはアメリカとか英語圏でつくられたんですかね?
「違うよ。あれはオランダで出来たんだよ」
というのは、オランダのみならずヨーロッパのタンゴシーンを隅から隅まで知っている人、Torito ことロブ。彼がべースにしているのはアムステルダム。この街は、コンテンポラリー・ダンス界に燦然と輝くネザーランド・ダンスシアターをはじめ、様々なダンスカンパニーの拠点としても知られています。またヨーロッパのアルゼンチンタンゴシーンでも存在感抜群で、タンゴリバイバルにも重要な役割を果たしました。
タンゴリバイバルというのは1980年代に始まったアルゼンチンタンゴの再ブームのことです。アルゼンチンタンゴ、特にダンスは、20世紀初頭の大流行の後ヨーロッパのほとんどの国では忘れ去られていました。ときおり「タンゴ風」のダンスパフォーマンスなどがなかったわけではありませんが、それらはヨーロッパのパフォーマーや振付家のイマジネーションの産物で、アルゼンチンで踊られていたタンゴとは全くの別物でした。しかしその状況は1980年代を境にかわり、特に1983年のタンゴショー『Tango Argentino』のパリ公演の以来、世界的ブームといっていい状況が起こってきます。(『Tango Argentino』とタンゴリバイバルに関してはこちら)
「オランダのリバイバルは早くて、1985年にはもう(オランダ人でプロのモダンダンサーの)ヴァウター・ブラーヴェ(Wouter Brave )と マルティーヌ・バーグハウス(Martine Berghuijs) が(パフォーマンスレベルの)タンゴを習いにブエノスアイレスに行っていて、1987年にはアムステルダムでアルゼンチンタンゴ専門のスタジオを設立しているんだ。アルゼンチンから来たミルタとラロと組んでね」
へえ、そうなんだ。じゃあ、あなたもオランダ人のマエストロからタンゴを習ったの?
「僕個人は(アムステルダムに住んでいた)アルゼンチンの先生について始めたよ。でもね、僕らが始めた頃(90年代初頭)は8カウント・ベーシックステップからだったんだ」
へえ~、アルゼンチン人の先生でも?
「そ、バックステップから始まるボックス(ステップ)の。今はいうじゃない『バックステップから踊り始めるなんてありえない。決まったステップシークエンスを覚えようとしないで、即興で踊れるように』って。でも当時はみんな、ワン、ツー、スリー、フォー、&クロス、って」
それはフアン・カルロス・コぺスの影響?
「そのへんはわからないけど、アントニオ・トダロもアムステルダムで教えたときはベーシックステップから教えたよ」
フアン・カルロス・コぺスはいわずと知れた超有名タンゴダンサーで、8カウント・ベーシックステップは、彼がタンゴを教えたり振り付けするために便利なシステムとして発案したとされています。そしてアントニオ・トダロ(Antonio Todaro)はファンタジアと呼ばれるステージなどで踊られるタンゴを得意とした人で、あのミゲル・アンヘル・ソットも、オランダのタンゴリバイバルを先導したヴァウター・ブラーヴェもトダロのお弟子さんです。
タンゴ熱が世界中で急速に高まった1980年代、当のアルゼンチンではタンゴはまだ「過去の遺物」扱いで、国外の目の肥えたダンス愛好家や、正規の訓練を受けたダンサーに系統だててタンゴを教えられる人は数が限られていました。そのためコぺスやトダロのようなマエストロのもとには、国内はもとより国外からも生徒が殺到したのです。生徒たちは素人からパフォーマー、「新しいダンス」を流行らせようと意気込むダンス教師までいろいろでした。そんな中、コぺスの「発明」した8カウント・ベーシックステップは、初心者にもわかりやすく振り付けものせやすかったので、レッスンに取り入れるタンゴ教師が多く、ベーシックステップからタンゴを始めた人が先生となって、生徒にベーシックステップから教える、という流れで世界中に広まりました。なので、日本でもベーシックステップかその変形版からレッスンを始められた方も多いと思います。その一方、ベーシックステップは発案当時から、動きを単純化しすぎだ、パターンに頼るので生徒が即興をできるようにならない、といった批判もうけてきました。
「(ベーシックステップは)とっかかりとして悪くはないんだけど、やっぱりパターンを覚えるだけじゃどうにもならないじゃない? 大体、お互い下向いて1、2って数えてたら、タンゴにならないし(とアブラソを閉める仕草をする)」
😁そうだね~。でも、今はみんなすごいステキにおどってるじゃん。
「90年代、ブエノスアイレスに踊りにいく人も増えると、帰ってきて(当時のオランダでの踊りは)コレは違うな、何とかしなきゃ……っておもう奴も当然出てくる」
ブエノスアイレスのミロンガで踊られてきたタンゴは、ステージで見せるために踊られるタンゴとちがって派手な動きがなく、また狭いサロンでたくさんの人と肩も触れんばかりの状態で踊るために、パートナーと抱き合ったような形で踊り、独時の親密な雰囲気が大きな魅力になっています(サロンとステージの踊り方の違いについてはこちら)。一方、タンゴが、パフォーマンスを目指すダンサーだけでなく、一般の人にも人気の出てきた頃のアムステルダムでは、劇場でみた華やかなステージ系の踊り方を試してみたい人や、ボールルーム系の踊り方をする人も加わって、ダンスパーティは一種の「フリースタイル」状態に陥っていたようです。
「だから、まずアルゼンチンのサロンではそのための踊り方があるってことをみんなに教えて、そうなのか、これは面白そうだ、って興味を持ってもらわなきゃいけない。そのために(オランダのとても素敵なダンスペアで教師の)ビルキットとムザファーたちはテテを呼んだんだ」
ほほう、今度はテテ(Pedro ”Tete" Rusconi)! 何気にビッグネームが続きますね~。でも、伝説のミロンゲーロである彼がわざわざ「ミロンゲーロ・スタイル」なんていうかしらん?
「いや、だから彼は嫌がったのさ……😁」
以下はロブが教えてくれた、『ミロンゲーロ・スタイル』という用語がオランダで誕生したいきさつです。(ビルキットとムザファーのサイトに載っているオランダ語の記事はこちら)。
……時は1995年、本場のサロンで踊られているタンゴ(Tango de salon)を教えるべくオランダにやってきたテテ。彼のワークショップを宣伝する段になってビルキットたちがハタと困ったのはその呼び方でした。「Tango de salon」という言い方は、すでにオランダで踊られているタンゴを指す言葉として使われているので、単に「Tango de salon のワークショップ」としたのでは、天地ほどあるこの違いが上手く伝わらない! なにか違いが際立つような言い方はないか……と苦肉の策で出てきたのが「ミロンゲーロ・スタイル」でした。
「なんだそりゃ? おれが踊ってるのは、Tango de salon、サロンで踊られているタンゴ、だ!」
と、当のマエストロはバカバカしくて話にならない、と思ったらしいですが、プロモ用語としての「ミロンゲーロ・スタイル」は、好奇心旺盛なオランダのタンゲーロスに上手くアピールしたようで、本場の Tango de salon はオランダで、そしてヨーロッパで「ミロンゲーロ・スタイル」という名前とともに広がっていきました。
こういうキャッチーな言い方をパッと発明するところなんかはいかにもオランダ。この国では、面白いと思われたもの、可能性があると見られたものは、的確なビジネスマインドにのってすごい勢いで発展を遂げます。アルゼンチンタンゴもその例にもれず、フリースタイル状態だったのはわずかの間で、トダロ、テテ、ぺピートなどのレジェンド、著名なパフォーマーたち、伝統派、改革者、ありとあらゆる「面白い」タンゲーロスが招かれ、タンゴフェスティバルの開催や、ブエノスアイレスへのタンゴツアーなども加わって、踊る人たちのレベルはあっという間に上がりました。
「特にアムステルダムは大都会だから、いろんな情報が漏れなく入ってくるしね。それにみんなすごい練習熱心だし。アムステルダムのタンゲーロスはお高くとまってる、なんていう人たちもいるけど、実際みんな目が肥えているし、踊りの方もかなりのレベルだから…...。それに、僕ら、本当に踊りたいと思う人以外とは踊らないんだ」
それは……そうですね。ホントその通り。この誇りというか根拠ある自信、歯に衣を着せない物言いと、有言実行の伝統。さすがオランダ、さすがアムステルダム。というコトはワタシも、あなたが踊ってくれたのをちょっと自慢してもいいわよね~😉。
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