第二章 路上で薔薇の花を売り始めたきっかけ
(前置き)
これは、“世界の見え方が少しズレている私”という人間の、20代の実録です。
子どもの頃からずっと
「変わってる」「宇宙人」
──そんなふうに言われてきました。
自分でも、“平均的な感覚”というものがよく分からないまま、マイペースに大人になりました。
だから、読む人によっては共感ゼロかもしれません。
「意味わからん」と思ったら、そのままで大丈夫です。
ただひとつだけ伝えたいのは、
人によって世界の見え方は、こんなにも違うんだ。ということ。
この文章は、一つの“人間のサンプル”にすぎません。
気楽に、覗き見るように読んでもらえたら嬉しいです。
1. 旅のはじまり(ケアンズ→東海岸)
今から20年ほど前──27歳の時の話だ。
当時AUSでワーホリ中の私は、“まずは一周して自分に合う街を見つける”というシンプルな旅の方針を立てていた。
日本からの航空券が安かったケアンズに到着し、そこから旅をスタート。
2. 資金が尽きて、仕事を探し始める
東海岸をゆっくりと南下しながら半年ほどが過ぎた頃には、用意してきた旅資金100万円も底が見え始め、
「働かないと、さすがにまずい」
と本気で焦り始めていた。
当時、一緒に旅をしていたスウェーデン人の男の子がいて、その子とシドニーで合流し、メルボルンを経てパースまで一緒に旅をした。(※詳細は省くが、旅の途中2ヶ月ほど行動を共にしていた相手だ。)
パースに着くと、私たちはすぐに仕事探しを始めた。
その当時の私の英語は、相手が手加減してくれれば何となく分かる程度。
テレビを見てもあまり聞き取れず、英字新聞を読む気にもなれないレベルだった。
──英語圏で接客業で採用されるほど、流暢に話せるわけではなかった。(これは今もあまり変わらない。)
そんな状況なので、ファーストフード店に片っ端から電話しても面接にすら進めない。
「英語ができない」という一点で、できる仕事はかなり限られていた。
3. パースで出会う「フローリスト?」の求人
その当時、各主要都市には、私のようなワーキングホリデー中の日本人をターゲットにした旅行代理店「ナビツアー」があった。
当時のワーホリ日本人にとって“ナビツアー”は、日本語でツアー予約や求人・住居情報が手に入る、貴重な拠点だった。
私はそこの掲示板に
「フローリスト」
と書かれた求人を見つけた。
「週末のみのバイトです」といったフレーズも添えられていた。
内容はよく分からなかったが、ひとまず問い合わせをして、日本人スタッフに電話で詳細を聞き、その週末、言われた住所(オーナーの自宅兼事務所)へ向かった。
面接などは一切なく、説明を聞いたらそのまま仕事開始。
“フローリスト”と書かれてはいたが、実態はナイトエリアでのバラの行商だった。
仕事があるのは、毎週金曜・土曜の夜のみ。
クラブ、ストリップバー、レストランがいちばん盛り上がる“稼ぎ時”にそこへ行き、歩いて一人ずつに声をかけ、薔薇を売る仕事だ。
4. ヨーロッパ人の彼と私
スウェーデン人の彼も、ちょうど仕事を探していたところで、私が見つけてきたその花売りの求人に少し興味を持っていた。
最初の1〜2回は、彼も私についてきた。
ただ、ここで私たちの“決定的な違い”が浮かび上がった。
彼は英語が堪能だったため、そうこうしている間に条件の良いバーの仕事にすぐ採用された。
一方の私は、英語力が壁となり、選択肢がほとんどなかった。
5. バラ売りの初仕事と現実
夜7時半。オーナーの自宅に集合し、
一本ずつラッピングされたバラの束を受け取る。
それを夜の街で売り歩く。完全歩合制で、売上の30%が給料だ。
バラは一本5ドル。売れなければ4ドル、3ドルまで値引きしてよい。
道端、レストラン、クラブ、ストリップバーなど、オーナーが事前に交渉している“出入りOK”のエリアを自由に回る。
最初は散々だった。
夜7時半〜朝5時まで歩き続けても、売上は数十ドル。
売れた本数は15本前後。
異国の繁華街を、バラの束を抱えてひとり彷徨っている時間の方が長かった。
スウェーデン人の彼は2回ほど歩いただけで、
「こんなのバカバカしくてやってられない」
と言い残し、すぐ辞めてバーに応募し、即採用。
時給25ドル前後。
私が一晩で稼ぐ額を、彼は1時間で稼ぐようになった。
6. 英語ができない壁
そりゃそうだ。
英語が話せる人間と、話せない人間。
この差は、残酷なくらい明確だった。
一方の私は他に仕事がない。
だから毎週末、「1円もないよりマシ」という理由だけで夜の街へ向かった。
7. 空気を読まない戦略
そうして続けているうちに、少しずつ“売れるコツ”が掴めてきた。
まず、身だしなみはできる限り可愛らしく整える。
次に、お客を選ばず、誰にでも声をかける。
そして一番大事なこと──
空気を読まない。
「この人はいらなそう」
「男二人だから買わなそう」
「返事がないから迷惑している」
そんなものは全部、“私の勝手な決めつけ”だ。
すれ違ったばかりの他人の事情なんて、分かるわけがない。
“空気を読む”という日本的な美徳は、この路上では逆効果だった。
むしろ“空気を読まない太々しさ”が、お金に変わる世界だった。
だから私は、必ず相手の視界に入る位置まで真っ直ぐ歩いていき、にこやかに、
“Would you like to have some roses?”
(薔薇の花はいかがですか?)
と声をかけていた。
後ろから声をかけると驚かれて打率が下がる、と経験で分かっていたからだ。
この英語フレーズは、路上で知り合った人たちに
「英語ではこう言うんだよ」
と教えてもらったものだ。
相手が「いる」「いらない」を返すまで、ただそこに立ち止まる。
自分から遠慮して下がることはしない。
返事がない──それは、迷っている可能性がある。
そして実際、断れなくて買ってしまう人もいる。
それも含めての“路上の流れ”だということは理解していて、私は戦略としてあえてそうしていた。
ただ黙って、堂々と待つ。
必要な情報は先に、分かりやすく明示する。
これを淡々と続けた。
相手が返事をするまで離れない──この“あえて間をつくる空白の沈黙”が、最後の一押しになる。
私は“空気を読まない戦略”を取っていたが、実際には誰よりも空気を読んでいた。
人の心がどちらへ傾くか、その微細な揺れが見えてしまう。
だからこそ、あえて“読まないふり”ができたのだ。
今なら分かる。
あれは度胸でも鈍感力でもない。
人の“心が動き出す瞬間”が直感的に分かってしまう──生まれつきの認知特性だった。
8. 一本の薔薇が作る物語
カップルの目の前に薔薇売りが登場し、立ち止まる。
その空白の時間に、男はポケットから財布を出し、バラを買うためのお金を出す。
欧米人の男たちは、“場の空気を上げるプレゼント”を本能で理解している。
バラ1本でその夜が劇的に変わることを、よく知っているのだ。
買った瞬間、男は一気に“ナイト(騎士)”になる。
渡された女性は“プリンセス”に変身する。
たった5ドルの薔薇ひとつで、空気が一瞬で変わる。
それはもう、軽いドラッグのような効果だった。
変な薬なんかよりよほど健全で、よほど効く──ロマンチックという名の“合法ドラッグ”。
パブやバーでは、太っ腹な紳士がこう言ってくることがあった。
「この薔薇、全部でいくらかな?この店の女の子全員に配ってくれ。」
そう言って、花束ごと買っていく。
一晩に1〜2回は、50ドル札のチップをポンと渡してくれる人もいた。
チップだけで5,000〜10,000円ほどになる。
20代のカタコト英語しか話せないアジアの小国である日本から来た女の子が、
真夜中に大きな薔薇の束を抱えて歩いている──
その姿は、きっと“健気で放っておけない”存在に映っていたのだと思う。
けれど私自身は、酔いもせず、世界も揺れず、どこまでも冷静だった。
店内をざっと見渡せば、
──床に落ちているお金の位置すら、一瞬で分かった。
あの頃の私は、外側は「守ってあげたくなる弱者」だったかもしれないが、
内側ではずっと、状況を読みつくした“観察者”として立っていた。
その静かなギャップこそが、私の武器だった。
気づけば売上は急激に伸びていた。
最終的には、一晩で100本は軽く売るようになった。
9. 路上の魔法使い
ネオンが滲む夜の街。
——これらのドラマを、少し離れたところで“目を細めて眺める”のが私の役目だった。
私は花を売りに来ているというより、「夜のネオン街の人間模様」という劇を毎週末演じ続けていた。
歩きながらキャンドルサービスのように、夜の街のドラマに“点火”しに来ている感覚だった。
私が歩くと、次々にロマンティックなドラマが始まっていく。
そんな「魔法使い」役を演じていたのだ。
10. 魔法がとけて現実に戻る朝方
私という役者は、夜7時から朝5時まで歩き続け、すべて売り切ってから朝方に事務所へ戻る。
そして──
朝方、夢から醒めるのは事務所(オーナーの家)に戻った瞬間だ。
集まったお金を数え、静かに清算する。
「今日、いくつのドラマを売ったのか」
その答えだけが、現実の数字になって手のひらに落ちてくる。
夜の魔法は、ここでいったん幕を下ろす。
売上は大体600AUD(6万円)。
私の取り分は30%──約180AUD(約1万8千円)。
それにチップを足せば230〜280AUD(2万3千〜2万8千円)。
さらに、酔客が落とした紙幣やコインまで合わせれば、ほとんど毎回3万円弱。
私の1晩の給料は他の日本人スタッフの平均と比べて3倍以上で、当時のチーム内では群を抜いてトップだった。
11. ビジネス構造への好奇心の芽生え
一本500円のバラを120本売って6万円。
そのうち4万円超がオーナーの取り分になる構造だった。
一晩働いての収入として、3万円弱は決して悪くない。
むしろ、こんなに稼げたのは社会人になって初めての経験だった。
ただ、同時に思った。
「寝ていた人のほうが、私より取り分が多い。」
オーナーがしているのは、
・花の仕入れ
・ラッピング
・渡す
・朝に売上を回収する
これだけだ。
“腑に落ちない”というより、構造そのものが気になって仕方なかった。
バラを仕入れてラップするのはどのくらい大変な仕事なのか。
バラの原価はいくらなのか。
全部自分でやったら、6万円丸ごと貰えるのでは?
そんな思考が、頭の中で静かに動き始めた。
12. 仕組みへの気づきが次の扉を開く
すでに花売りのトップセールスになっていた私の胸の奥では、こっそり動き始めた好奇心と、
オーナーに世話になったのに仕組みを盗むような気持ちになってしまう罪悪感が、静かに同居していた。
「もし自分でやるなら、この街はオーナーのテリトリーだから、シドニーに戻ってやってみよう。」
そう心に決めて、私はパースを後にした。
