【戦争について深掘り⑤】日本の敗戦とアジアの独立。元植民地で燃え上がった運動の成り立ち
今日も33℃まで気温が上がりました。猛暑・酷暑には至っていないからよいのではないかと思われるかも知れませんが、暑いものはあついです。
さて、……。
はじめに
太平洋戦争に関わり、これまでに以下の記事を書いた。今回は、このシリーズの続編である。
第二次世界大戦は日本の敗戦で終わった。しかしその後、日本の意図しない動きが湧き起こった。即ち、東南アジアなどの旧植民地で、次々と独立運動が巻き起こったのである。
かつてアジアを支配していた欧米の国々は再びアジアを元に戻そうとしたが、現地の人々はそれを拒んで戦ったのである。日本軍の戦いは、彼らの独立にどのような影響を与えたのだろうか。
1. 欧米の「不敗神話」が崩れた
日本が東南アジアに進攻する前、現地の人々は「白人の支配者には絶対に勝てない」と思い込まされていた。何百年もの間、圧倒的な武力で支配されていたからで、これはやむを得ない面があったと思う。
しかし日本軍は太平洋戦争開戦後、わずか数か月でイギリスやオランダ、アメリカの軍隊を打ち破り、アジアから追い払ってしまった。
この光景を見た現地の人々は、強い衝撃を受けた。「自分たちと同じアジア人でも、欧米の国々に勝てるのだ」という自信が生まれたのである。この心理的な変化が、後の独立運動の大きな原動力となった。
2. 軍事訓練を受けた現地の若者たちが立ち上がった
日本軍は占領地において、現地の若者を集めて軍隊や自衛組織を組織し、軍事訓練を施した。これは元々、日本軍の戦力を補うための施策であった。
しかし、ここで近代的な戦術や武器の扱い方、組織の動かし方を学んだ若者たちが、後の独立戦争の指導者層となった。
例えば、インドネシアの「郷土防衛義勇軍(PETA)」や、ビルマ(現ミャンマー)の「ビルマ独立義勇軍」がこれに該当する。
彼らは日本が去った後、再び支配しようと戻ってきた宗主国に対し、日本仕込みの戦術で激しく抵抗した。
3. 疲弊していた宗主国と植民地に批判的な米ソ
宗主国であった英・仏・蘭も、戦争でかなり疲弊していた。現地での独立運動に対して、押さえ込む力が残っていなかったのである。
そして、戦後の国際社会のリーダーとなったアメリカもソ連も、植民地という存在に批判的であった。もっとも、その理由は米ソで異なる。
アメリカはイギリスから独立した国。従って、国の成り立ちとして植民地を肯定しにくい。
ソ連は帝国主義の打倒を目指しており、植民地の独立運動を積極的に支援していた。
理由は異なるものの、どちらも植民地の復活に賛成ではなかった。そして、冷戦になると独立した新興国を味方につける競争に移行していった。
4. 日本人残留兵の存在と武器の引き渡し
こぼれ話的な内容であるが、日本の降伏後、現地にそのまま残り、独立運動に身を投じた日本兵が数千人規模で存在した。彼らは「残留日本兵」と呼ばれている。
彼らは現地の人々と共に血を流して戦い、軍事顧問としてゲリラ戦の指導などを行った。
また、日本軍が降伏する際、自らの武器を現地組織に意図的に引き渡したり、奪われる形で提供したりしたケースも多かった。これらの武器と、命をかけて共に戦った日本人兵士の存在が、独立戦争のリアルな戦力となったのである(本件については、別途)。
まとめ
日本の戦争目的が最初から「アジアの独立」のためだったわけではない。多くは日本の都合や資源獲得のためであった。
しかし、日本軍の行動が結果として欧米の支配を破壊し、現地の若者に力と自信を与えたことは事実。そしてこのことにより、アジアの独立が大きく早まったことは歴史的な事実なのである。
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