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【#創作大賞2024】いなくなったきみへ第六話

いなくなったきみへ

前回

五.桜草

 綺麗な子でした。彼女が着るとあのダサい緑のブレザーもなんだか可愛く見えました。性格も大人びてて、憧れでした。クラスが同じだった時は大体いつも彼女の隣にいました。

 私が一番の友達だったからです。

 そう言いたいとずっと思ってきましたが、多分違うのだと思います。少し訂正しなくては。

 私にとって、りっちゃんが一番の友達だったからです。

 女子校というのは通ったことのない人には想像がつかないと思いますが、そこそこの偏差値もあれば校風はとても穏やかだったりします。少なくとも私たちの学校はそうでした。誰と誰が仲が良くて、誰は誰にいじめられている、なんてよく聞く問題は特に私にはわかりませんでした。

 想像してみてください。誰とでも仲良く、誰ともそんなに仲良くない、そういう穏やかな平和です。

 お弁当の時間、みんな自分の席でお弁当を食べます。学園ドラマなんか見ると席を移動したり机をくっつけたり楽しそうですよね。でも私たちはあまり気にしないんです。食べ終わったら各々好きなことをします。先生に秘密でスマホゲームをしている人もいたし、なんか作ってる子もいたし、普通にお喋りしている子もいます。さすがにサッカーボールを借りに行くような子はいなかったような気がしますが。

 私はいつもその時間、りっちゃんのところに行くのです。りっちゃんはお喋りなタイプではなかったし、どちらかといえば単独行動が好きだったんだと思います。はじめはそんなに喋ってくれませんでした。

 私は小さい頃から母にも父にも幼稚園の先生からも「ほのかはおっとり、マイペース」と言われて育ちました。のんびり育ったせいか中学でも高校でも大人数で楽しむような派手なグループの子とはそんなに仲良くなれませんでした。

 りっちゃんとも最初はそんなに仲良くなれるとは思っていませんでした。

 クラス替えがあって少しした頃、りっちゃんがあるマイナーアニメのステッカーを授業用ファイルの内側に貼っているのを見つけました。実は私もそのアニメが好きだったのです。

 思わず声を上げるとりっちゃんは

 「声がでかい!」

 と顔を真っ赤にして小声で怒りました。

 でも、そうやって共通の話題を見つけたことはりっちゃんと仲良くなるきっかけになりました。

 勝手な話ですが、私はそれまでりっちゃんは氷の女王様だと思っていました。自分から話しかけに行ったりしないし、いつもクールな表情で、まっすぐな髪を綺麗に分けた二つ結びの髪型も神経質そうで近寄り難かったのです。

 その、見惚れるほど綺麗な女の子の不意に崩れた表情はちょっと独り占めしたいくらい可愛かったです。

 それから私は彼女と絶対仲良くなろうと決めてりっちゃんに話しかけるようになりました。りっちゃんは私と違って全然大人だったけど、私の話にお姉さんのように相槌を打ってくれました。

 りっちゃんからも二人組を組まなきゃいけない時やグループワークの時は隣に来てくれるようになりました。私がりっちゃんの一番の友達です、とまでは思い上がっていないけど、自分はりっちゃんに隣を許されているという事実がほんのりと暖かかったことを覚えています。

 一度りっちゃんからどうして名字で呼ばないの、と尋ねられたことがあります。

 学校では誰しも名字の呼び捨てで呼び合っていたからです。りっちゃんも例外なく他の友達から「古河」と呼ばれていたし、私もまた「平松」でした。

 なんで、と訊かれて答えに迷いました。

 私だけが呼んでいるその響きが、特別だった気がしたからです。その呼び方を許されているということが特別だった気がしたからです。

 でもそれを言ってしまうのはりっちゃんにとって重たくてウザいことかもしれないと思いました。数秒迷って

 「だってりっちゃんは私の憧れなんだもん。古河、とかなんか烏滸がましくて!」

 呼べない! 呼べない! そうやって笑ってみました。

 りっちゃんは一瞬目を見開いて

 「そっか!」と笑いました。

 その日から彼女は私のことを「ほのかちゃん」と呼ぶようになりました。また、特別が増えたみたいで私は嬉しかったです。

 何度も言いましたが、りっちゃんは綺麗な子でした。私はあの一筋縄ではいかない性格も好きでした。

 だからきっと彼女は共学に通っていたらすっごくモテたでしょうと私は思うのです。もしかすると中学でモテすぎて嫌になって女子校を選んだのかもしれません。小柄で童顔なのに、あの大人っぽさ。もう何か色々と経験しているのかもしれないと私は思いました。

 私は当時〝両想い〟というやつをまだ経験したことがありませんでした。高二の頃、青春に夢を見て、素敵な恋に憧れていました。恋に恋して、通学のバスで見かける男の子に淡い妄想を抱いたりもしたものです。

 ある時、りっちゃんに教えを乞おうとそんな話題を振ってみたこともありました。

 「りっちゃんは彼氏いるんだっけ」

 「いないよ」

 「今までずっと?」

 「今までずっと」

 え〜、うそ〜! そんなに可愛いのにと私は無邪気に笑いました。りっちゃんの困ったように眉を下げた表情を覚えています。

 「でも、あれでしょ。モテたでしょ?」

 「モテないよ」

 「中学の時同じ学校の人に何回告白された?」

 「それはまあ、けっこう……」

 「ほら〜〜〜!!」

 肌が白いからすぐ赤くなったのがわかってしまう、本当はそれぐらいわかりやすい子なのです。思春期の男がこんなに可愛い子を放っておくわけありません。

 「どうして誰とも付き合わなかったの」

 「えー、なんでだろ。みんな私を好きなわけじゃなかったからかな」

 「え?なんでよ。みんなりっちゃんに告白してるのに?」

 りっちゃんは大人で、すぐ難しいことばかり言います。

 「じゃあさじゃあさ、りっちゃんにとって恋愛って何?」

 机に頬杖をついていた彼女は、すっと視線を窓の外にずらすとつまらなそうにこう返したのでした。

 「代わりのものを、埋めてもらうこと?」

 目線の先、窓の外には夏の大きな雲が絵葉書みたいに広がっているのが見えました。

 りっちゃんとは三年でクラスが別れました。

 クラスが変わっても会いに行くからね! と彼女を抱きしめたけど「来なくていいよ〜」と背を撫でられました。とても寂しかったです。

 女子校は良くも悪くもフラットで、私は新しいクラスで思った以上に落ち着いていました。今までと同じように席でお弁当を食べ、その後は自由に過ごすのです。新しい友達もできたし、受験勉強も忙しくなっていきました。りっちゃんとはなかなか顔を合わせることがなくなりました。

 十月頃、ふと移動教室の途中りっちゃんを見かけました。りっちゃんは相変わらず姿勢が良くて、一人でしゃんと歩いていました。声を掛けようと思って、しかし、つい足を止めました。

 急に、あの頃のりっちゃんとの時間はもう過去のことのように思えてしまったからです。

 私が一方的に話しかけていただけで、やっぱり彼女と私は住む世界が全然違うんじゃないか。独りで歩いていくあの姿こそが本物の彼女で、私とは違うどこか特別で素敵な場所にいるべき存在ような気がしました。

 あぁ、私なんかが声を掛けるなんて。

 私が彼女を近くで見かけたのはこの日が最後でした。

 古河律子はその日も、見惚れるほどに綺麗でした。


bridge

 うまくいかないことばかりだ。

 思い通りに進んでくれないことばかりだ。

 ある時まで私の人生は私の手できちんと手入れされ、整えられ、気持ちよく進行しているものだった。

 私は決して頭がいい方でも要領がいい方でもなかった。ただ、努力したのだ。努力の結果、今があるのだ。

 勉強も、友人関係も、恋愛も。よく見通して、方向を定めて、そこに辿り着くためにただ地道に努力したのだ。

 難しいことは何一つしていない。だって私はそんなによくできた人間じゃないから。母を困らせないように空気を読むことと、周りの期待に応えられるよう必要な問題集を頭から最後までやり切って覚えることは同じことなのだ。

 計画通りにことが進むと気分がいい。自分の能力が隅々まで活用されて、物事がパズルのように整えられていく。そうやって自分の歩く道を私自身で舗装していくことが私のライフワークであり、喜びだ。

 夫が関西に部署移動することになった時、付いていこうという気にはあまりならなかった。彼が私にのびのびと専業主婦をやらせてくれていたからだろう。家に入れてくれるお金は申し分ない。彼の単身赴任はそれほど気にせず、私はこれからも私の生活を丁寧に手入れしながら生きていこうと思った。

 考えて、行動する。私の思い通りに。

 でもうまくいかない。

 この子は私のように考えてよい方法を試すということがまだできないらしい。

 床にスープをぶち撒けて、それが一人でに器に戻らないことが許せなくてもう何十分も泣いている。長靴を履いたまま、上手に靴下だけを脱げないことが悔しくて大の字に寝転がっている。

 本当はフォークでご飯が食べられるけど、構ってほしくてお盆にお米を塗るのだ。

 怒ってはいけない。わかっている。子どもの成長に必要なことだ。当たり前の時期なのだ。

 しかし、これまで築き上げてきた私の素晴らしいスケジュールの数々をこの子のわがままでぐちゃぐちゃにされるとどうしても心は乱れる。もう少し大きくなったら、他人に迷惑をかけないような大人に育てる為にしっかり躾けなくてはいけない。

 もう少し大きくなってからでいい。

 私はイライラすると彼女を優しく撫でることにしていた。頭を、背中を、そして特に手を。

 温かくて、柔らかくて、力を入れたら潰れてしまいそうな小さな手。

 それを優しく撫でる。

 愛してるわ。いい子に育ってね。誰よりも愛されて、素敵な人生を送るのよ。

 願いを込めて優しく撫でる。私のささくれだった心も傷ひとつない、柔らかいものに戻るように。

 何か言い聞かせる時はよくそうして手を撫でていた。

 時が経って。

 あぁ、イライラする。どうしてこの子は、と詰ってやりたくなることもあるくらい不器用な子だ。時間がかかるしマイペースだ。周りをよく見て、ちゃんと合わせなさいと何度も言っているのに。人に迷惑をかけてはいけないと、きちんと教えているのに。

 でも、私はこの子の母親だから。この子を愛して大切に育てている。

 私の愛情がこの子にちゃんと伝わるように。

 今日も怒ってしまったから、もう怒ってないよと伝えるために手を撫でる。

 「お母さん、痛い!」

 娘の手に赤い華が散っていた。


続く

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