目玉焼きは、冒険の味がする。
目玉焼き、と聞いて最初に思い浮かぶのは、白いお皿の上ではない。
トーストの上にのった、あの黄金色のまるい黄身。
子どもだった私は、あれが世界で一番美味しいにちがいない!と本気で思っていた。
ジブリ映画『天空の城ラピュタ』。
パズーが鞄から取り出した、食パンに目玉焼きをのせただけの、あの食べもの。
名前のついた料理ではない。
特別なソースがかかっているわけでもない。
ただ、パンがあって、目玉焼きがのっている。
それだけなのに、どうしてあんなにおいしそうなのだろう。
絶対、真似したくなる。
実際、私は台所へ向かった。
チーン、とトースターが鳴る。
フライパンの上で、卵が小さく爆ぜる。
焼きたてのパンに、焼きたての卵をそっと。
それだけで、見慣れた台所が、ほんの少しだけ「冒険の出発地点」に変わる。
ほんとうは、家の食卓に座っているだけなのに。
空から女の子が降ってくるわけでも、海賊に追われるわけでも、伝説の島を探しに行くわけでもないけれど。
ぷっくりとした黄身にかじりついた瞬間。
とろりと溢れる黄金色と一緒に、私はどこか遠い世界へ行ける気がしたのだ。
ジブリの食べものには、そういう力がある。
ものすごく手の込んだ料理ではないのに、記憶に残る。
特別なごちそうではないのに、胸が鳴る。
画面の中の誰かが、ただ一生懸命に食べている。その姿を見るだけで、こちらのお腹まで正直に鳴ってしまう。
目玉焼きひとつでさえ、物語になる。
『ハウルの動く城』のカルシファーが焼く目玉焼きも、印象的だ。
ベーコンと一緒に、火の上でじゅうじゅう焼かれるあの朝ごはん。
あれはもう、絶対においしい。
厚めのベーコン。
端が少し焦げた白身。
とろりとした黄身。
火の悪魔が文句を言いながらも、ちゃんと朝ごはんを焼いてくれるという贅沢。
考えてみれば、目玉焼きはとても不思議な料理で。
卵を割るだけ。
焼くだけ。
塩をふるだけ。
なのに、焼き加減ひとつで表情が変わる。
とろとろの半熟なら、自分を少し甘やかしたい気分。
しっかり固めに焼けば、背筋を伸ばしたい朝にふさわしい。
醤油をかけるのか、ソースなのか、塩こしょうなのかで、その人の暮らしまで見えてくる。
小さいころの私は、ラピュタの真似をして目玉焼きトーストを食べながら、きっと「物語の中に入る方法」を探していた。
本のページをめくるように。
テレビの前で息を止めるように。
食べものを真似することで、物語の続きを自分の生活に持ち帰ろうとしていた。
あのパンを食べれば、少しだけシータの勇敢さを分けてもらえる気がした。
パズーの朝に近づける気がして、食後にふと、空を見上げたくなった。
大人になった今ならわかる。
あれがおいしそうだったのは、目玉焼きそのものだけではない。
誰かと分け合う時間が、そこにあったから。
食べることは、生きること。
そして、誰かと食べることは、安心すること。
ジブリの目玉焼きは、いつもそのことを思い出させてくれる。
冒険の途中でも、朝は来る。
不安な日にも、お腹はすく。
世界が少し怖く見えるときでも、あたたかい食べものがあれば、人はまた立ち上がれる。
だから私は、目玉焼きを見ると少しだけうれしくなる。
フライパンの上で白身が固まっていく時間。
黄身がぷっくりと残っているか、少しだけ気にする瞬間。
パンの上にそっとのせるときの、ささやかな達成感。
それは、たいしたことのない朝ごはんかもしれない。
でも、私にとっては、ずっと物語の入口だった。
目玉焼きは、ただの卵料理ではない。
子どものころの私が、画面の向こうに手を伸ばした記憶。
小さな台所で、冒険を真似した記憶。
そして今でも、食パンの上にのせるだけで少し胸が弾む、魔法のような食べもの。
明日ももし、食パンに目玉焼きをのせたなら。
それはきっと、ただの朝ごはんではない。
あの日の私が、もう一度、空を見上げるための合図。
喜木 拝
凛花さんの企画に参加しています。
お題でビンゴを狙っています。
今回のお題は「目玉焼き」。

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