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掌編小説 │メニューは決まっている

給湯室で、凝り固まった肩や首をじんわりと伸ばしながら待っていた。
ボタンが点滅して、ストライプ柄のマグに、ほうじ茶と、その香ばしい香りと湯気が落ちてくる。


「ほうじ茶って、妊婦さんでも飲めるのよねぇ」

 振り返ると、経理の林田さんだった。
 私はにこにこしながら「へえ、そうなんですね」と言った。

 彼女はつまらなそうに口をへの字に曲げて、去っていった。

(――ああ、探られていたのか)

 後ろ姿を見て、気がついた。



 私は結婚3年目になる――。

 ほうじ茶は好きだから飲んでいるだけだ。

 緑茶は苦くて酸っぱくて、あまり好きじゃないし、甘い飲み物は太るから嫌。麦茶は家で水出しのものを毎日飲んでいるから飽きている。
 たったそれだけの理由である。

 この会社の9割は女性だ。
 それも40代以上の人しかおらず、20代は私一人なので、なんとなく”誰にもさからえない感”があった。



「林田さんってすぐに詮索してくるよねえ」

 お昼は隣の席の松崎さんと食べに行くのが日課だ。

 新宿の安くておいしくて、おしゃれなところを1日交代でそれぞれが探し、出かける。


 彼女も数少ない既婚者組だ。子どもはもう高校生だという。

 この会社では、独身組と既婚者組とでなんとなくグループに分かれている。さらに、それぞれなんとなく派閥もある。私は松崎さんと行動することが多い。

「おせっかいババアって感じよねえ」と、松崎さんが吐き捨てるように、でも笑いながら言う。

 あまりにも直接的なその表現に一瞬固まった。
 けれども、はっと我に返って「そうですね」と相づちをうった。──ぽつり。

 お店を開拓するのは楽しい。
 腹に溜まった思いをすぐに吐き出せる環境もありがたい。でも、松崎さんとは相容れないなと思うことが、たまにある。


 林田さんのことはきらいだ。でも、そんなふうに言うのはよくない、と感じるからだ。

 でも、そもそも愚痴を吐き出してしまう自分が悪いのだろう。
 そして、ひどいときには、合わせるために同じような言葉を使ってしまうことがあり、帰ってからとても落ち込む。


 一ついやなことを吐き出すと、その瞬間はすっきりする。けれどもそれが黒い雫となって胸に落ちてくる。

    黒いものは喉につっかえる。そのままランチタイムを過ごしていると、まるで、毒のある料理を食べたかのように、少しずつ、じわじわと、蝕まれていく――。

 そういう感覚が、この会社に入ってからよくあった。



「最近、怒りっぽくなった」と夫にも言われた。

 自覚もある。

 たぶん、自分がつねにそういう不安定な状態だから、普段なら気に留めないことにいらいらするのだろうなと感じる。

 でも、それがわかっても、ではどうしたらいいのか。
 それがわからないでいる。

 ――そして、1日重ねるごとに、自分を嫌いになっていく。




 ひと駅前で降りたのは、なんとなくだった。

 ビルに照り返す橙色を見て、日が長くなったなと思った。帰り道はこの間までまっ暗だったのに。はじめての場所なので、スマホで地図を見ながら、自宅へ向かう。

 意外と近そうだ。

 そしてなにより、わくわくした。最寄り駅には何もないのだけれど、ひと駅前で降りると、思いの外いろいろな店があった。

 隠れ家のようなレストラン。
 映画に出てきそうなかわいいケーキ屋さん。
 昭和にタイムスリップしたかのような八百屋さん。
 信じられない値段が書かれているスーパー。
 広々とした100円ショップ!

 気がつくと、かわいいお弁当箱と、たっぷりの野菜が手の中にあった。



 後ろから刺すような夕日が、私の影を長くながく伸ばしている。

 そのとき、薄々気づいていたことを、言葉に、してしまった。
 私が松崎さんとお昼を食べるのは、楽しいからではない。一人になりたくない。抜けて悪口を言われるのが怖い。だからなのだ、と。



 レジに並びながら、頭のなかにこんな文字を思い浮かべてみた。――明日から、お弁当生活をはじめてみよう。
 そうしなければきちんと決意できないと思った。


 メニューは決まっている。このお弁当箱を手に取ったとき、ぱっと浮かんだおかずたち。

 牛肉と赤パプリカの炒めもの。甘辛味で、最後に白ごまを振る。しいたけ入りの炒り卵。スクランブルエッグよりは硬めでしっかり火が通っているけれどふわふわに。隠し味にマヨネーズを入れる。
 いんげんの炒め煮。糸こんにゃくと油揚げといっしょに炒めて、和風の味つけをして、最後に七味を振る――。


 朝はいつもより早く起きなければいけないかもしれない。洗い物が増えるのも面倒だ。

 そして何より、どんなあだ名をつけられるのだろう。――裏切り者だと思われて「おせっかいババア」どころではない通り名ができるかもしれない。


 ――でも、それでも。私は、これ以上自分のことをきらいになりたくないのだ。あのまま黒い雫で胸を満たしていくのはいや。

 お弁当作りは、そのための、第一歩。



(2,000字)


▼この小説は『√365』の一部です。どのはなしから読んでも大丈夫な短編集ですが、序章と終章を読むとすべてが繋がります。

▼先週更新したのはこれ。

▼全5話の「恋が叶うサロン アンシャンテ」シリーズ




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三條 凛花 最後までお読みいただき、ありがとうございます♡