宇宙SF映画の傑作はどれだ
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』(2026年公開予定)の予告篇が公開されていますね。
原作は2021年に出版されたSF小説。ハードSFの傑作としてずいぶん話題になっていました。
これにちなんで、宇宙SF映画の傑作をあげてみましょう。ただし、『スターウォーズ』みたいなスペースオペラや『エイリアン』のようなホラー系ではない、もっとハードよりの映画をあげてみます。
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』予告篇
3分ほどの予告篇が公開されています。見てみると、ああここは原作のあの場面だな、とわかります。割と原作に沿った内容なのかなという感じです。
この原作はけっこういろいろなエピソードが目白押し。しかも、現在と過去が交互に描かれつつ、記憶喪失の主人公がだんだん記憶を取り戻していく、という話。そのため、映画にするのは脚本に苦労しそうに思えます。
原作者のアンディ・ウィアーはリドリー・スコット監督の『オデッセイ』(2015年)の原作『火星の人』(2014年)で有名になった人。この人の小説の特徴は、ポジティブ主人公のユーモラスな独白で話が進んでいくところ。これはプロジェクト・ヘイル・メアリーも同じです。
映画は小説と違ってキャラクターの内面を直接描くことが原理的に不可能な表現形式ですから、換骨奪胎しないとうまくいきません。小説には小説の、映画には映画ならではおもしろさがあるもの。この映画はどうなりますか。
+++ 2026.04.04 追記 +++
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の映画を観た感想も書きました。
『オデッセイ』(2015年)
そのオデッセイですが、映画としてはまあまあ面白かったのですが、火星に一人取り残されてしまってサバイバルするという部分は簡略化されて、おもにクライマックスの脱出に向けての話に時間が割かれている感じでした。
21世紀になってから立て続けに火星探査ローバーが送り込まれて、さまざまな新発見が相次いでいる時代の映画。火星の映像は本物の方が凄みがあるのですよね。
火星に取り残されてサバイバルする映画というと『火星着陸第一号』(1964年)というのがありました。原題は『Robinson Crusoe on Mars』で、まさに火星で遭難してロビンソン・クルーソーになる話。終盤に出てくる異星人の円盤が『宇宙戦争』(1953年)に出てくる火星人の円盤を改造したものなんですよ。
『インターステラー』(2014年)
近年の宇宙SF映画の傑作といえばこれでしょうか。
重力理論とブラックホールの専門家でノーベル賞学者のキップ・ソーンがエグゼクティブ・プロデューサー兼科学コンサルタントとして参加しているということで、バリバリにハードな雰囲気を出しています。
映画としての完成度も高く、クライマックスも感動的。この映画は多くの人がいろいろなことを書いていますが、それだけ語りたくなってしまう映画ということでしょう。
ミラーの星に降り立ったクーパーたち、遠景に見える山のようなものがだんだん近くなっているように見えるのって、津波じゃね? と思って観ていたら本当に超巨大津波だったというシーンは怖かったですね。
『禁断の惑星』(1956年)
初期のSF映画の傑作として語り継がれている古典映画。
ロボットのロビーやイドの怪物、円盤型の宇宙船など、SF好きなら映画本編を見たことがなくても知っているレベルで、いまでも有名。
なお、内容はいま見るとかなりのセクハラ映画です。
『メッセージ』(2016年)
宇宙SFというとファーストコンタクトものは外せません。もっとも、これは宇宙が舞台ではないので宇宙SFと言っていいかどうか…。でも、評価の高い映画です。
世界各地に突然現れ、ただじっとしているだけの異星の宇宙船。言語学者と物理学者のコンビが、その宇宙船の中で謎の異星人ヘプタポッドとの意思疎通を図る話。
ヘプタポッドの書く円形の図形が彼らの言語になっている、というのが物語のカギになっています。原作者のテッド・チャンは台湾系のアメリカ人ということで、繁体字の中国語にふれる機会もあったのでしょう。英語で考える主人公たちとヘプタポッドでは世界認識のやり方が異なるという話になっていきます。
図形が意味を持ち、語順が自由というヘプタポッドの言語は日本語を連想させますね。日本語は表意文字である漢字を使っています。しかし、中国語と違って日本語の漢字には訓読みとルビの概念があって読み方は自由自在。
英語圏の人が日本語は難しいという場合、文字が異常に多いからというのが理由としてあげられます。でも、日本語の漢字は文字というより絵であって、そもそも文字として読むものではない(読むための文字がルビ)ものに思えます。よく例に出される「見る」「観る」「診る」「視る」「看る」の違いなども、日本語ではすべて同じ「みる」で違いはない。ただ漢字という絵で補足説明しているだけと考えるとすっきりします。
養老孟司が言うように漢字はマンガだということです。だから「一方通行」と書いて「アクセラレーター」と読むことが普通に通用するわけですよね。
おまけに語順も自由だから、異星の言語に見えてもしょうがないでしょう。
『コンタクト』(1997年)
これもファーストコンタクトものの名作。
原作は著名な天文学者カール・セーガン。SETIの予算を切られた主人公が別のスポンサーを得て研究をつづけ、ついに宇宙からの信号をキャッチ。それを解読すると恒星間転送機の設計図だった。科学界、政界、宗教界の思惑が絡み合う中、コンタクトに向けて転送機の建造が行われるが…、という話。
異星人の存在が明らかになったとき、人類の神への信仰はどんな影響を受けるか、という点が大きなテーマとして扱われています。日本人にはピンときませんが、欧米人にとっては大問題なのでしょう。
日本人は宗教を持ちません。八百万の神々を持つ神道がありますが、経典も教義もないものが欧米人の言う宗教にあたるかどうか疑問です。宗教を信じていますなんて口にしたら(それがキリスト教のようなメジャーなものであっても)社会的信用をなくすのが日本です。
劇中では、フロリダに建造された転送機はテロリストによって破壊されてしまいますが、予備の転送機が北海道に作られていたという設定。伴天連の戯言を聞いてる暇はねえ、という日本で作られているのも、むべなるかなです。
『ゼロ・グラビティ』(2013年)
スペースシャトルがスペースデブリによって破壊されてしまい、宇宙空間に取り残された主人公が地球に帰還しようと四苦八苦する話。
上映時間91分と比較的短い映画に、きちんとしたストーリーを構築していて、映画としても傑作ですが、映像がすごい。
実際に宇宙で撮影していますよね、と言いたくなるほどゼロ・グラビティな映像なんですよね。いったいどうやって撮影したんでしょうか。
軌道上の宇宙船が事故に遭い、地球に帰還できなくなった乗員のサバイバルというと、『宇宙からの脱出』(1969年)という映画がありました。『ゼロ・グラビティ』はその現代版と言っていいと思います。アポロ時代に作られた『宇宙からの脱出』に比べて、国際宇宙ステーションISSや中国の天宮が建造されている時代の『ゼロ・グラビティ』では、帰還のために宇宙ステーションを渡り歩くあたりが新しい。軌道上もにぎやかになったものだと感じますね。
『2001年宇宙の旅』(1968年)
宇宙で撮影した映画といえばこれ。トム・クルーズが宇宙で映画を撮影したいと言っていましたが、宇宙でロケした最初の映画は『2001年宇宙の旅』です、と言ってもいいくらい宇宙な映画。SF映画史上の金字塔です。
60年近く前の映画なのに映像がぜんぜん古くならない。宇宙船の操縦席のモニターに映し出されるコンピューター映像とか、後の映画に登場するものは本物を使ったせいですべて古くなってしまってますからね。その点、『2001年宇宙の旅』はいまだに未来感満載です。
+++ 2026.05.28 追記 +++
『2001年宇宙の旅』についは別記事を書いています。
『さよならジュピター』(1984年)
『2001年宇宙の旅』みたいな語り草になるようなSF映画を作りたい、という小松左京の呼びかけで制作された東宝の映画。
太陽系全体に人類が広がった22世紀、さらなる発展のために木星を第二の太陽として点火しようという計画が進む中、太陽衝突コースのブラックホールが発見される。この危機を回避するために、木星の核融合を制御して爆発させ、そのジェットをブラックホールにぶつけて軌道をそらす、という話。
設定厨の素人が書いた脚本みたいに、あれこれ詰め込みすぎて破綻してしまった失敗作として、『2001年宇宙の旅』とは違う意味で語り草になってしまいました。演出も演技も素人っぽくて、商業映画ですけど実際には同人作品と考えたほうがよいでしょう。
オールトの雲を探査しに行く深宇宙探査機スペースアロー、木星大気圏に降下して潜水艇のように潜っていくジェイド3と母船のミューズ12、爆発する木星から高速離脱するためのフラッシュバード船団、といったメカニック群だけはかっこよかったですね。
小松左京の小説はよかったです。
