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「何度失敗してもいい」は本当か?――許されない失敗の代表例、ミッドウェー海戦

「何度失敗してもいい」
自己啓発でも、創作論でも、ビジネス論でも、よく聞く言葉だ。
失敗を恐れるな。
失敗は経験になる。
成功するまで続ければ、それは失敗ではない。

たしかに、その通りだと思う。
小さな挑戦なら、失敗した方がいい。
試作品、短編、小さな投稿、仮説、タイトル案、販売テスト、プロットの分岐。そういうものは、むしろ失敗しない方が危ない。
なぜなら、失敗しない人間は、何が駄目だったのかを学べないからだ。
だが、この言葉には重大な前提が抜け落ちている。

失敗してもいいのは、再挑戦するための資産が残る場合だけである。

世の中には、許される失敗と、許されない失敗がある。

許される失敗とは、失敗しても次がある失敗だ。

経験が残る。時間が残る。信用が残る。資金が残る。人員が残る。心が折れきらない。だから次に進める。

一方で、許されない失敗とは、失敗した瞬間に、次の挑戦に必要なものまで失う失敗である。

その代表例が、ミッドウェー海戦だと思う。
ミッドウェー海戦で、日本は主力空母四隻を失った。赤城、加賀、蒼龍、飛龍。
単に船を失っただけではない。
艦載機、熟練搭乗員、整備・運用の蓄積。太平洋で攻勢を維持するための中核をまとめて失った。

もちろん、戦争全体を見れば、日米の国力差はあまりにも大きかった。アメリカは造船力も、工業力も、燃料も、補給能力も、搭乗員の養成力も圧倒的だった。長期戦になれば、日本が勝つのは極めて難しい。

だからこそ、日本の戦略は「長期総力戦でアメリカを完全に打ち負かす」ものではなかった。

序盤で太平洋艦隊を叩く。
南方資源地帯を押さえる。
防衛圏を広げる。
米軍の反攻に大損害を与える。
「これ以上やると割に合わない」と思わせる。
そこで講和へ持ち込む。
それが、わずかに残された勝ち筋だった。
今から見ると無謀に見える。実際、無謀だったと思う。だが、完全な妄想だったわけではない。
ミッドウェー以前の太平洋艦隊は、後世のイメージほど盤石ではなかった。
真珠湾で戦艦部隊を叩かれ、就航空母は3隻のみ。
珊瑚海ではレキシントンを失い、ヨークタウンも損傷していた。

アメリカは最終的には圧倒的に強かった。
しかし、1942年時点の前線では、まだ「今ここにいる空母が沈んだら困る」という状態だった。
だから日本の早期講和戦略は、細すぎるが、一応の線はあった。

問題は、その細い線をつなぐための作戦で、失敗してはいけない失敗をしたことだ。
ミッドウェーで日本が失ったのは、一つの戦闘ではない。
「アメリカが本格的に量産体制で殴ってくる前に、反攻能力を折る」という戦略そのものだった。

アメリカには、ある程度「許される失敗」があった。空母を失っても、時間が経てばエセックス級が完成する。航空機も増える。搭乗員も育つ。造船所も動き続ける。もちろん損害は痛い。しかし、国家としては吸収できる。

一方、日本には、その幅がほとんどなかった。
失った正規空母を再生産する再生産す工業力がない。
何より航空機運用の蓄積も、整備員も、艦隊としての練度も、一度まとめて失えば同じ質では戻らない。

つまりミッドウェーは、日本にとって「負けても次がある戦い」ではなかった。
この問題は勝ち負けでない。
戦争は不確実であり、情報も限られ、判断は常に霧の中で行われる。
リスクとリターンの均衡の取り方の問題だ。
勝てば大きい戦いではなく、負けたら終わる戦いだった。
そして、負けた。

この構図は、戦争に限らない。
創作でも、ビジネスでも、発信でも同じことがある。
投稿が伸びない。これは許される失敗だ。
タイトルを試して反応が悪い。これも許される失敗だ。
短編を書いて外す。プロットを捨てる。有料記事が売れない。これらも、基本的には許される失敗だ。
なぜなら、次の手が残るからだ。

だが、全部を賭ける失敗は違う。
信用を一撃で壊す。
生活資金を全投入する。
戻らない関係を切る。
補充不能な人材を失う。
心が折れたら二度と立てない局面で、無理に突っ込む。
これは「挑戦」ではなく、主力壊滅である。

「何度失敗してもいい」という言葉は、挑戦者を救う。
だが同時に、人を危険な賭けへ向かわせることもある。
本当に大事なのは、失敗を恐れないことではない。
その失敗で何を失うのかを見極めることだ。
失敗してもいい場面では、どんどん失敗すればいい。小さく試し、早く外し、経験を拾えばいい。
だが、次の挑戦権そのものを失う局面では、失敗してはいけない。そこでは勇気よりも、撤退判断、準備、分散、温存、補給線の確認が必要になる。

失敗したときに、次も戦えるのかを見誤らない。
ここが大切なのではないだろうか。

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