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雑感:散ればこそいとど桜はめでたけれ~回想録、そして『さいしょのシングルです!』の眩しさ~

渚の院

僕には歳の離れた高校生の妹がいる。

その妹が以前「百人一首を覚え始めた」というようなことを言っていた。どれだけ覚えたかテストしてみたかったが、あいにく僕は百人一首をすべて覚えているわけではないので、とりあえずふと頭に浮かんできた「世の中にたえて桜のなかりせば~」は百人一首のうちの一つかどうか聞いてみた。すると「百人一首に収録されている在原業平の歌は『ちはやぶる~』だから(同じ在原業平作のこの歌は)違う」と即答された。言われてみればその通りで、極めて簡単な問題であった。

世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし

在原業平

この歌は『伊勢物語』で取り上げられており、この歌が収録されている部分である八十二段「渚の院」は、なんとなく現代の僕らの感覚にも通じる気がして僕は好きだ。

この部分のストーリーはざっくり次のような感じである。


昔、惟喬親王(これたかのみこ)という人がいて、山崎の向こうの水無瀬に離宮を持っていた。毎年、桜の季節になるとそこを訪れ、その時には右馬の頭(=在原業平)をいつも引き連れていた。狩りよりも、酒を飲み和歌を詠むのに熱中していた。
今、狩りをする交野の渚の家の桜は特に美しく、親王たちはその下で皆、身分を問わず歌を詠んだ。馬頭(在原業平)は次のように詠んだ。

世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
(現代語訳:この世にまったく桜が無かったとしたら、桜が咲くのを心待ちにしたり、散ることに悲しんだりすることもなく、春の人の心はもっと穏やかだったでしょうに)

また別の人が次のように詠んだ。

散ればこそいとど桜はめでたけれうき世に何か久しかるべき
(現代語訳:散るからこそ、よりいっそう桜は素晴らしいのです。常などないこの世の中で、何が永遠でしょうか、いや永遠のものはありません)

日が暮れ、酒を飲んでしまうために天の川という所に行き着いた。この場をお題に歌を詠むように親王が言うと馬頭がこう詠んだ。

狩り暮らしたなばたつめに宿からむ天の川原に我は来にけり
(現代語訳:一日中狩りをして、織姫に宿を借りることにしましょう。天の川の川原に私は来てしまったのですから)

お供として仕えていた紀有常が返歌を詠んだ。

一年(ひととせ)にひとたび来ます君待てば宿かす人もあらじとぞ思ふ
(現代語訳:織姫は一年に一度だけおいでになる彦星を待つので、その人のほかに宿を貸す人はいないだろうと思いますよ)

こうして夜が更けるまで酒を飲み語りあった。まだ飲み話し足りないまま夜も更け月も沈もうとしていた。そのとき馬頭が詠んだ。

飽かなくにまだきも月の隠るるか山の端逃げて入れずもあらなむ
(現代語訳:まだ満足していないのに、もう月が隠れてしまうのですか。山の稜線の辺りは逃げて月を入れないでほしいものです)

それに対して紀有常はこう返した。

おしなべて峰も平らになりななむ山の端なくは月も入らじを
(現代語訳:もういっそ一様にどの峰も平らになってほしいものです。山の端がなければ、月も山の端に入って隠れてしまうこともないのに)


『伊勢物語』の成立から1000年以上経っている現代の日本であっても、毎年桜の時期になると人々が浮かれ始め、ゴールデンウィークも終わるとすっかり興味をなくしてしまうその様子は変わっていない。あの春のごく短い期間に咲くからこそ、桜は2025年の現代人にとっても美しく感じられ、詩や歌にも春や出会い、別れ、儚さの象徴として描かれるのだろう。

後半の和歌の感覚も現代人にとって深く共感できるものだと思う。話の合う友人と酒を交わしながら語り合っていたら、気づけば夜が明けようとしていた、という経験は誰しもあるだろう。そんなときにこのまま夜が更けるな、夜が明けるなと思う感覚は平安時代から変わらないというのは、非常に趣深い。

そんなことを思いながら、ふとなぜ僕は「世の中にたえて桜のなかりせば~」の歌を覚えていたのだろうか、と気になった。古典の授業でやったのだろうか。授業で習ったからといって覚えているかといえばそんなことはない気がする。『山月記』をやったからといってその書き出しを覚えている人はほとんどいないだろう。少なくとも僕は覚えていない。

「世の中に~」の歌を覚えていたのは、受験勉強のためだった。

僕は主要な古典の文法事項は極力その例文もともに覚えようとしていた。その際、普通の文を覚えるより和歌を覚えた方が覚えやすかった。この「世の中に~」の歌は、僕は「~せば…まし(もし~なら…だろうに)」という反実仮想の助動詞「まし」の用法を覚えるために暗記していたものだった。

塾や予備校に行くわけでもなく、それでいて僕の高校からは毎年10人が受かるかどうか(母校のレベルが高くないだけではあるが)というレベルの大学を目指していた僕の孤独な戦いの名残であった。

東北産との出会い

その孤独な戦いの心の拠り所となったものの一つが、いぎなり東北産(以下「東北産」)であった。僕の東北産との出会いからオタクとしての足跡は以前の記事に詳しく書いた。

僕は高校時代、東北を出たいと思っていた。今思えばそれは、数えるほどしかない成功体験を誤って敷衍した全能感と、その反面まだ何者でもなく何も一人でできなかった無力感のギャップを、田舎の鬱屈のせいであると勘違いし責任転嫁していたことによるものだった。しかし当時の僕は、東大なんか行けるはずもなく当時目指していた阪大にすら成績が足りていなかったため、高3になる頃には志望校を変え、東北に留まることを決めた

そんな2017年、僕は東北産と出会った

当時の東北産は近年のそれよりもはるかに「レッスン生」であったし、より東北ローカルなグループであった。しかし当時からライブはエネルギッシュで、東北から発信することのプライドがあった。その姿がとても格好良く感じられ、虜になった。

彼女たちを追いかけているうちに、東北も悪くないと思えるようになった。それどころか、絶対に現役で大学に合格してまた東北産現場に通うんだぞという強烈なモチベーションになった。夏が本格化する前に2回ライブで見たのみでそれ以降は僕が受験勉強のため現場で見ることができなかった、当時リリースしたばかりの『ハイテンションサマー!』を夏の屋外ライブで絶対に見たいんだと、そのために何としても合格するんだと、そう奮い立たせたことを鮮明に覚えている。

2025年。あの時からもうかれこれ8年以上が経った

ただ早かっただけ

グループの歴史が10年で、そのうち8年半は僕が東北産に出会ってからの歴史、ということになる。しかし僕は、今後何年経とうとも、自ら古参を名乗ることはないと思う。名乗る資格は永久に得られないと思う。

僕は、今いるオタクの中で東北産を知ったのが相対的に早かった。これは紛れもない事実だろうが、ただそれだけだという感覚が強いし、客観的にもそうだと思う

実際僕が最も高頻度で東北産現場に通っていたのは2019年だし、東北産現場に「通っている」と言えるほど足を運んでいたのは2020年までだった。それ以降はオタクとしての活動でない部分が忙しくなっていった。その中身はその年々によって違う。仕事に熱中もしたし、趣味の範囲だが楽曲提供もいくつかしたし、プライベートの人間関係も僕なりに試行錯誤した。そうしているうちに、東北産への、吉瀬真珠への関心がなくなったわけでは一切なかったものの、現場へ行く頻度が減っていった。特にコロナ禍以降、ライブと特典会が抱き合わせでないパターンが増えてから、吉瀬真珠に顔を見せることが極端に減った。それでも重要なライブには欠かさず参加した。東北産が、吉瀬真珠が変わらず好きだったから。

僕が東北産現場にあまり行かなくなってから、東北産自身は着実に、それでいて急速にアイドル界でのその地位を上げていった。変わりゆく時代の流れにうまく順応していった。誰かを憧れる存在から、いつしか誰かに憧れられる存在になっていた。ある時目標とした日本武道館でのライブを目指して、グループは成長していった。

この成長の支えになれたと言えるほど僕はこの時期の東北産の近くにいなかった。この重要な時期に密接に関われなかったのだから、僕は昔からずっと東北産を推してきたなんて口が裂けても言えない。昔から名前を知っていただけ、という人と何も変わらない。この価値観を他者に強要することはないが、自分へ矢印を向けた場合には強くそう思う。

僕はこのまま薄く東北産に関わりながら、徐々にフェードアウトしていくのではないかと、なんとなくそう思っていた。

戻ってきた

運命とは不思議なもので、身を置くべき場所に人を導く引力があるのかもしれない。

2025年、僕を取り巻く環境が変わり僕の中での時間的な・キャパシティ的な余裕が生まれた。ちょうど東北産が目指していた日本武道館公演という夢が叶う年であった。後に武道館で知らされることになるが、メジャーデビューという節目の年でもあった。東北産、吉瀬真珠への興味を失ったわけではなかった僕にとって、再び東北産現場に行き始めるという選択はごく自然なものだった。

まずは「吉瀬真珠生誕祭キティ瀬のにゃんにゃん♡バースデー♡」に行った。吉瀬真珠生誕祭は開催されれば毎年行くことにしている。

iDOL Streetの曲を聴けるのはもう毎年の恒例になっていたが、その中でもとりわけ『絶対! Love Magic』を聴けたのが嬉しかった。僕は吉瀬真珠の過去を調べるうちにこの曲がもの凄く好きになっていたからである。

僕は昔から『絶対!Love Magic』が大好きだった。(このアカウントは前使っていたアカウント)

毎年「なかなか現場で顔を見せられてないけれど、心はまだここにあるぞ」ということを吉瀬真珠にアピールするために、生誕の特典会には必ず顔を出していた。僕はこのときは『絶対! Love Magic』が好きだから聴けて嬉しかったという話をした。

僕「僕『絶対! Love Magic』大好きなんすよ…本当にありがとうございます…」
真珠「えー!ほんと!?よかったじゃん!」

アイスト時代からのオタクではない真珠推しのオタクに、アイスト時代の、それもスト生全体曲というニッチな曲を待ち望まれる気分はどんな感じなんだろうか。

その次は念願の武道館公演に行った。

感想は別な記事に詳しく書いたが、圧巻だった。僕が惚れた8年前の東北産の熱量そのままに、すべてが研ぎ澄まされスケールアップした感じだった。僕はこの日、東北産に惚れ直した

紆余曲折を経てメジャーデビューをつかみ取った結果、吉瀬真珠は古巣avexに戻ってきたことになる。これが非常にドラマチックで、何か運命めいたものを感じる

そうであるなら、そのメジャー1stシングルのリリースイベントにはいかなければならない。

という訳で次はメジャー1stシングルリリイベ初日@ららぽーと立川立飛に行った(ちなみに前日の大宮ソックシティでのライブにも行っている)。ここは昔推していたグループで来た思い出もあり、好きな場所である。

特典会を何周かするのはいつぶりだろうか。特にここ2年くらいは特典会に全然行けていないので、忘れられていても仕方ないなと思って臨んだ。

吉瀬真珠は、僕の顔を見るとすぐ、何度も僕の名前を呼んだ。

グループショットの帰りに、吉瀬真珠に「また来てね」と2~3回言われた。気のせいか念押しされているようだった。

avexのポーズ。

真珠「ぶっちー!久しぶり!」
僕「久しぶりになって申し訳ないです~」「またできるだけ昔みたいな頻度で来れるように頑張ります」
真珠「え!ほんと!?待ってるね!!!」

「ルクセン」とかいう意味わからないハンネは名乗っていない。より本名に近い名前を名乗っている。なんだよ、「ルクセン」って。

文字にすると平凡な会話だが、オタクというのは単純なもので、これだけでモチベーションがかなり上がった。

こうなるはずの運命だったのだろうか、このようにして僕も数年の紆余曲折を経、また東北産現場に戻ってきた

それからはまた断続的に東北産現場へ足を運んでいる。東北産は、規模を拡大しつつもあの時の魅力を失わないまま待ってくれていた。そして受け入れてくれた。

『さいしょのシングルです!』の好きなところをそれぞれ。

僕も吉瀬真珠もあの頃から少なからず変わった。それでも僕らの間には、絆と言うのは大仰だが決して他人同士のそれなどではない、同じあの時代を近くで共有したという実感からくる繋がりが、目に見えなくも確かにあるように思えた。少なくとも吉瀬真珠は僕にそう思わせてくれた

そんな時代の思い出を、僕はこの数か月でよくなぞるようになった。

回想録

吉瀬真珠加入

僕は元々湊梨紗というメンバーを推していたが、彼女は2017年秋に卒業した。そこから1年ほど、僕は推し不在のままふわふわ浮遊していた。それについても以前詳しく記事にした。

そこへまさに「彗星の如く現れた」のが吉瀬真珠だった。

2018年11月23日、吉瀬真珠お披露目の日。僕の真珠推しとしての日々もまた、この日に始まった

僕の胸の中で核分裂が起こっているようだった。吉瀬真珠との出会いという一瞬の衝撃が次々連鎖し、熱を持って広がっていった。抑えようとしても止まらず、僕の人生を変えるほどの熱を生んだ。時が経った今でも、このときの感情の動きは僕の頭に鮮明な輪郭を残している。

https://x.com/madeintohoku/status/1065980095976755201?s=20

加入直後の吉瀬真珠は、パフォーマンスに参加できる曲が限られていた。参加できない曲ではステージ袖に捌けたので、ステージ上で彼女を見ることができる時間は多くなかった。特典会もまだ不参加だった。それでも彼女を見ようと、行ける限りすべてのイベントに行くことにした。

郡山でのリリイベ。

吉瀬真珠パフォーマンス本格参加&初特典会

2018年12月30日。年末ライブ「いぎなり東北大忘年会」当日。この日は僕にとって2つの重要な意味があった。

1つ目は、これが吉瀬真珠のパフォーマンスに本格参加する最初のライブだったということだ。

それまでは基本的に吉瀬真珠加入後の3曲のみの参加であり、ステージ上に彼女がいない時間も長かった。それがほぼすべての時間ステージ上で見られるようになるメモリアルな日がこの日だった。

その頃には既に曲数も増えており、加入1か月では多く見積もっても半分くらいの参加だろうと言うのが僕の事前の予想だったが、それとは裏腹に彼女は全曲(ユニット曲除く)のパフォーマンスに参加した。お披露目以前から事務所に入り練習していたとはいえ、この短期間で20曲以上を0から覚えた彼女の努力と能力にいたく感心をした。

そして2つ目は、この日の特典会が吉瀬真珠にとって加入後初の特典会だったということだ。

僕は元々アイドルからの認知を「もらいにいく」ことに消極的だった。というのも、認知をもらうということはエキストラから脇役に昇格するというわけで、ある程度の頻度で通い続ける等それなりの責任が伴うことになり、気楽に気ままに推す「緩さ」とトレードオフだと思っていたからである。そのため、通った結果覚えられたのであればそれはそれで受け入れるが、自分からあえて認知をもらいにいくことはしようと思えなかった。

しかしこのときだけは、僕は認知をもらいにいった

吉瀬真珠加入からまだ1か月。この時点で真珠推しがいるとすれば、推し変した人か、あるいは推し不在で東北産を見ていた人かのどちらかである確率が高いと考えていた。センセーショナルにアイドルが発信しがちなのでそれが多いような錯覚に陥るが、実際は僕の周りを見る限りグループ内推し変はほとんどいない。だとすれば推し不在で東北産を見ていた僕みたいな人が真珠推しになるしかない。でもそんな人は僕以外にどれだけいるだろうか。

そんなことを考えた末、僕は吉瀬真珠に「少なくとも一人、真珠推しがここにいる」ということを知ってほしいと思うようになった。オタクのエゴだとは自覚していたが、それでもほんの少しでも新加入の不安への支えになればと思った。だから僕は、人生でただ一度このときだけ、認知をもらいにいった

この日の特典会は2グループに分けた握手会と全員グループショット会。

https://ameblo.jp/madeintohoku/entry-12428822448.html

僕は握手×8とグループショット×1という布陣で臨んだ。握手は当然吉瀬真珠のいるグループのみをループした。この頃のグループ握手会は今のお見送り会に相当する立ち位置のものだが、今のお見送り会よりも長く話せたので8ループくらいの時間を確保すれば十分だろうという判断だった。無限ループして「鍵閉め」をすることで目立ちたくはなかったのと、初売りのイベントのためにお金を残しておきたかったというのもある。

僕「真珠推しだから緑のダウン着てきました」

みたいなことを言って、真珠推しだということを最初に明示した。

「ダウンあったかいよね」←その通りなんだけどなんかおもろい

吉瀬真珠が加入して1か月しか経っていないということで、彼女がどのような人物かを聞いて回った。実際に知りたかったというのもあるし、僕が真珠推しであるということを復習してもらう意図もあった。何回も直接的に真珠推しであると伝えるのはナンセンスだと思った。

僕「真珠ちゃんどんな子ですか?」
羽加「最初は清楚だと思ったんだけど、全然清楚じゃなかった!」
僕「え、そうなんですか?清楚っぽくみえるけど清楚じゃないんですか」
真珠「清楚ですよ!せ・い・そ!!!!」

今となっては僕は吉瀬真珠とはどのような人物かをよく知っているし、そうでなくても情報が多く出回っているので、この「清楚じゃない」の真意はなんとなくわかる。しかし当時はほぼ手掛かりが無かったので、本当に清楚っぽく見えていたから意外だった。

この会話を聴いていた北美梨寧は食い気味に会話に参入した。

梨寧「え、全然清楚じゃない!真珠ちゃん変わってるの!ティッシュ箱から出してそのままバッグに入れたりするの!」

満場一致で清楚じゃないという回答を得られたので、多分本当に清楚じゃないんだろうと思った。きっとこの子のキャラクターは知れば知るほど面白いのだろうと直感した。もっとこの子のことを知りたいと強く思った。

多少省略して文字数に収めている
加入即変人エピソードを暴露されるの可哀想

その後も吉瀬真珠のことを話した。8周分のグループ握手会は楽しく終わった。最後にはループも残り数人になっていたので、8周分より多く買っていたら本当に鍵閉めになっていたと思う。購入数を控えておいてよかった。

そして続くグループショット会では、この日の最も大きな目的の答え合わせができた。

僕の入場とともに、吉瀬真珠は「あ、あの真珠推しの人だ」という表情でこっちに目線をやった。

ポーズの指定をできるレギュレーションだったか、そうだとしてなんと指示したのかまったく思い出せない(覚えていないということは指定不可だったか各々自由にするように伝えたかのどちらかだと思う)が、このときの吉瀬真珠の表情は今でもお気に入りである。

真珠推しはここにいる。このことは確かに彼女に伝わった気がした。

2019年初売り

覚えたことの定着には復習が重要である。

年が明けて2019年1月2日。EBeanSでの初売りイペントにも当然行った。

年末ライブだけの単発オタクではなく、きちんと通うタイプの真珠推しであるということをアピールしつつ、また改めて僕のことを覚えてもらおうと思った。

僕「真珠ちゃん清楚らしいので…」
真珠「あは(手で顔を隠す)」
僕「なので清楚な感じでお願いします」

流石に2日しか間が空いていないので会話を覚えているようだった。

清楚ポーズ

この日の動画撮影特典会で初めて名乗ったと思う。

全員「「「「ぶっちー産!あけましておめでとうございまーす!」」」」
(中略)
真珠「やっほー!がんばろーーっ(?)!よろしくま~」

こういうときのコメントの独特の雰囲気は当時から変わっていない
動画の切り抜きなので他メンの表情が中途半端な感じになってしまいスタンプですみません

特典会解禁されて間もないが、吉瀬真珠の「本性」が見え始めてもきた。

僕「(真珠ちゃんの)サインかわいいよね」
真珠「ほんとですか?これね、顔になってるんですよ~」
僕「あ、知ってます(笑)」
真珠「そりゃそうか、あははは」

流石に顔になっていることは皆分かっていると思う

この日も楽しいイベントだった。

この数日間の「認知をもらいにいく」というプロジェクトも無事成功だと確信できた。

吉瀬真珠高校受験休み期間

その後すぐに吉瀬真珠は高校受験のため休みに入った。

ブログの更新はあったものの、吉瀬真珠に関する供給の量が著しく減少したので、僕はその間に彼女の前世のブログを読破することを目指した。ほぼ毎日更新されており、記事の数は1000以上あったため、友人と手分けをして読み進めた。

初めは単に供給不足を補うことが目的だったように記憶している。しかし読み進めていくうちに、再び吉瀬真珠としてステージに上がった彼女を推すということの意味、重大さを理解した。

彼女には、既に3年以上のステージで紡いだ物語があった。avexのアイドルプロジェクトiDOL Streetストリート生として未来を期待された姿と、彼女の憧れと奮闘の日々が、そのブログには濃密に記録されていた。そんな彼女のブログは、

最後の最後までいっぱいのたのしんじゅを
ありがとうございました。


まだまだお話したいけど
きっとまた会えるから
今日はここまでにしよう。


またあの日のアイドルじゃないストリートで
お会いしましょう。


Your light shines on me. My encounter with you is my treasure. Thank you ....With love.

Let's meet again some day.



|エ)・`)ノ またね.。.:*☆

沓掛真珠☆To the next SHiNJU Street | SENDAI Twinkle☆moon(iDOL Street Student)オフィシャルブログ

という文で更新が止まっていた。彼女はその日、スト生を卒業したのだ。それが夢半ばに、なのか、新たな夢を見つけそれを目指すためのステップなのか、本当の理由は僕には判断できなかった。

それでも確かだったのが、彼女がiDOL Streetに憧れとリスペクトを持っていたこと、何も正解が分からない中彼女はひたむきに頑張り続けていたこと、彼女を期待して支え続けたファンがいたこと、スト生としてのアイドル活動が好きだったこと、その中でビジョンと決意をもって卒業したことだった。

僕が「いぎなり東北産の吉瀬真珠」に熱狂できるのは、紛れもなくこの日々があったからであった。この日々が無ければ、例えば表舞台を嫌いになるようなことがあったなら、きっと彼女はステージに戻ってくる選択はしなかったと思う。だとするならば、僕はその過去の日々にリスペクトを持って、そしてその思いのバトンを未来に繋いでいかなければならないと思った。

卒業したアイドルがまたステージに戻ってくることはそれほど多くない。僕が昔推していた湊梨紗は、マイクを置いた後しばらく女優業をして、その女優仕事もなくなったと思えばいつの間にか事務所を退所していた。それ以降は、成人式に関する地元のネット記事で一度だけ取り上げられているのを見かけたきり、何の情報も届いていない。一度好きだった相手なのだから、今幸せでいたらいいなと願っている。だけれども、今の僕にはもうそう願うことしかできない。

そういう結末がほとんどのこの世界で、吉瀬真珠はまたステージに戻ってきた。かつて描いた未来とは形が違うかもしれないが、それでも彼女の復活を喜んだファンはいたと思う。その希望を、東北産側の、僕ら側の理由で絶やしてはいけないと思った

だから僕は、僕ら真珠推しは、過去の日々にリスペクトを持った上で、今吉瀬真珠に東北産で活動してよかったと思ってもらわなければならない、その支えにならなければならない。考えすぎかもしれないが、僕はこのときそう強く思った。

高校受験終了・東北産の活動に復帰

吉瀬真珠が受験を終え、東北産の活動に復帰したのが、2019年2月17日、「バレンタインボックス発売イベント」だった。

当時言うのはなんとなく憚られたが、僕は当時塾講師のバイトをしていたので県内の高校受験の日程を把握していたため、彼女がこのイベントで復帰すると予想しており、スケジュールを空けていた。僕の読みは当たった

ちなみに僕はその前日まで1週間台湾に行っていた。見事なスケジュール調整能力である。

桃園国際空港
九份
真珠のパックが売っていてウケたので、ウケ狙いで吉瀬真珠へのお土産として買った。なぜか加入初日から自分推しを名乗っていた謎のオタクから、受験から復帰した直後、台湾の言葉で包まれた自身の名前を冠した美容品を送られるとは、さぞかし恐ろしかったと思う。後で調べてわかったが、これは割と有名なやつっぽいし、ネットで普通に買えた。

バレンタインボックス発売イベントの特典会は、サインをもらえた。

受験のために詰め込んだ知識に押し出されることなく、吉瀬真珠は僕のことを覚えていた。

多分名前も覚えているようだった。

僕「あて名は『ぶっちー』でお願いします」
真珠「ですよね!」

反射でそう言っただけで覚えてなかったかもしれないが

これ以降僕から名乗った記憶はないので、実質初売りのときの1回だけで名前を覚えたことになると思う。シンプルに凄い。

流石に名前はまだ覚えていないと思っていたので予想外だったが、真珠推しが確かにここに存在するということを伝えてこれたのではないかと思えた

東北ライブハウス巡り

2019年3月、ツアー「東北ライブハウス巡り~麗らかにウリャオイ!~」が開催された。

3月3日:岩手(盛岡)
3月16日:宮城(仙台)
3月17日:福島(郡山)
3月23日:山形(山形)
3月30日:秋田(秋田)
3月31日:青森(青森)

全通した。チケットの申込が1月でありその時点では真珠推しを自分以外に観測できていなかったため、真珠推し不在の会場が生まれてはいけないという義務感があった(ツアーの頃には少しずつ真珠推しの知り合いができていったので、結果的には(当然)杞憂だった)からである。学生チケットが格安だった上に、全通をまだ一度もしたことがなかったので単に全通をしてみたかったというのもある。

3月3日、岩手公演。

このツアーでは、現地の美味しいものを食べることを自身にノルマとして課した。大都市を回るのではなく東北を巡るツアーならではの楽しみだと思う。この日はじゃじゃ麺を食べた。同じ岩手でも僕の地元は盛岡から電車で1時間の所で、実はほとんどじゃじゃ麺を食べたことがなかったので、有名店で食べることができてよかった。値段も安く、非常に美味しかった。

じゃじゃ麺

本題のライブの方もとても良かった。

改めて「ステージ上の吉瀬真珠」の魅力を発見することができた。参加曲数も少なく、特典会も参加していなかった頃の吉瀬真珠を好きになったのは、ステージの上での振る舞いが輝いていたからだった。その魅力が溢れていた。

この時期の吉瀬真珠はありとあらゆる方向にレスを振りまきまくっていた。その結果レスからダンスに戻るときにコンマ数秒遅れがちだった。それが逆に可愛かった。

3月16日、宮城公演。

この日の特典会は私物サイン会があった。スマホケースとかそういう無難なものではなく、僕しかやらないようなことをしたかった。そこで考えたのはこのツアーのスタンプカードにサインしてもらうことだった。物販時にスタンプをもらい、それが全部溜まるとツアー終了後全通特典と交換できるこのカード。僕は全通予定だったので、このカードにサインがあればより思い出として残るのではないかと考えた。

偶然まだ記名をしていなかったので、ちょうどここを宛名にできた
脈絡ない唐突な「くま🐻」が面白い

その他に、無難に生写真にサインももらった。全然サイン入りの生写真が出なかったので課金でサイン入り生写真を作ったことになる。

サイン入り生写真(課金)

この頃にはよく関わる推し被りの仲間が増えていた。

photo by 推し被り

3月17日、福島公演。

物販前に安杜羽加お勧めのパン屋に行った。個人的にあまり食べたことのないタイプのパンで美味しかった。

他現場で知り合い、その後よく共に東北産現場に行くようになった友人と初めて東北産を一緒に見たのがこの日だった。彼を東北産沼に引き込むだけのエネルギーのある、良いライブだった。

吉瀬真珠は橘花怜の笑顔のモノマネをしていると思われる
この頃の吉瀬真珠はよく橘花怜の笑顔のモノマネをしていた
多分だけど橘花怜のことを少しナメていた(そうしてもよい関係性が築けていた)と思う

3月23日、山形公演。

この日のライブで他6名から吉瀬真珠・律月ひかる・橘花怜へのドッキリが行われた。観客には前説の段階で仕掛け人のメンバーから説明があった。内容はステージ上でメンバーが喧嘩するというもの。

仕掛け人メンバーの演技力が高く、迫力があり、少し可哀想になるくらいだった。泣いたふりで袖にはけた北美梨寧を吉瀬真珠が慰めに追いかけて行くなど、そういう素の優しさみたいな部分が見れた。可哀想だったけれど、貴重なものを見ることができた。

グループショットでは仲直りをしてもらった。

3月30日、秋田公演。

18きっぷを利用し、一度実家を経由して2日かけて移動した。

移動中通った川

このツアーではメンバーのソロ歌唱コーナーがあった。回替わりでで1人ずつ披露して繋いでいくスタイルであった。これまではショートバージョンでそれぞれのメンバーが歌ってきたが、最後の吉瀬真珠だけはフルバージョンだった。

新メンバーの宿命で、吉瀬真珠は加入後しばらく参加できる曲とそうでない曲があり、公演の全部の時間帯にステージ上にいるわけではなかった。

このとき吉瀬真珠だけフルバージョンでのソロ歌唱の時間を設けられていたのは、深読みかもしれないが、ステージに立てない時間もある吉瀬真珠に少しでも長くステージで輝いてほしいという東北産側からの思いやりだったと思う。「ソロ歌コーナーのトリだから」という尤もらしい理由をつけているのがより粋だと思った。そういう温かさを感じて東北産がより好きになった。

この日僕の整理番号は9番だった。最前確定だと意気込んでいたのだが、クロークに手間取って最前が埋まってしまったので、他の知り合いの真珠推しが複数いた3列目で見ることにした。結果的にそれで話ができたのでよかった。

僕「真珠推しで下手にかたまってたんですよ~」
真珠「ほんとですか、あ!見ました見ました~緑のペンライトが」

わざわざ「キラキラぼう」と表現していたから何かこだわりがあるのかと思っていたのに、普通に「ペンライト」と言えるのかよとなって少し面白かった。

再掲
https://ameblo.jp/e-street-sendai/entry-12192823326.html
https://madeintohoku.com/contents/654510
ちなみに昔から今まで一貫して「キラキラ棒」と表現しているので、何かこだわりはありそう

この日は動画特典会があった。これがなかなか良かった。吉瀬真珠はせっかく真珠推しが来ているので前に出ようと試すものの、それが藤谷美海によって全て無に帰されていた。その感じが面白かった。

良い表情で切り抜くのが下手で申し訳ない
藤谷美海が暴れるせいでガチで驚いている吉瀬真珠(かわいい)

この頃から積極的に他推しにも知り合いを増やすべく挨拶回りをしていった。別の記事で詳しく書いたが、吉瀬真珠生誕委員発足に備えたムーブである。

それまでは現場に顔見知りを増やすことをあまりしてこなかった(Twitterでのフォロワーは増やしていたが)ので、どうやら僕は「突如出現した、毎現場いる謎の真珠推し」として認識されているようだった。

その後は会場近くのラーメン屋に行ったようだった。この記事を書くにあたって前アカウントを漁ったら出てきたのだが、正直どの店の何ラーメンなのか全然思い出せない。美味しかったとの記述があったので美味しかったことだけは確かである。

誰かと一緒に行っているようであるが、本当に思い出せないのでこの店に申し訳ない。あと「美味しんじゅ」とか使えば?

3月31日、青森公演。

18きっぷによる移動のため、まだ日の出ていない時刻に出発した。

意識の高い真珠推しなので、宿泊先の名前に「パール」が入っている
4時間近くの大移動

青森に来たのであれば、のっけ丼は外せなかった。市場への入場時にチケットを購入し、そのチケットと交換で好きな具材でオリジナルの海鮮丼を作るシステムだ。

僕はここでこの日の連番相手の友人と合流し、のっけ丼を楽しんだ。

のっけ丼

会場に向かい、スタンプを押してもらった。無事全通の証明が出来上がった。

この日のライブは、客席とステージのエネルギーどうしがぶつかり合って莫大な力が生まれているような錯覚に陥るような、それくらい熱量のあるライブだった。これまでで最も良かったライブを挙げる際にこの日のライブを挙げる人も多いくらい、歴史上重要なライブだったように思う。僕自身、これまでに見て良かったライブを5つ挙げるとしたらこのライブを入れると思う。

東北産はもうずっと昔から、そのポリシーとしてアンコールをしてこなかった。だからこそ、ごくごく稀に成立する「心からの」アンコールはとてつもないパワーを持っている。

この日のアンコール『天下一品~みちのく革命~』の力強さ、楽しさ、充実感は桁違いだった。このパフォーマンスを見て、僕はこの9人が無敵だと思った

こうして僕の人生初全通が、吉瀬真珠と歩んだ実感のある1か月の思い出が、充実感と共に幕を下ろした

今思えば僕も僕で無茶ぶりだったと思う

ハワイアンズ

続くイベントは4月13日スパリゾートハワイアンズでのイベントだった。ツアーで全通したので休憩しつつお金を稼ごうと思っていた。

そうすると、次僕が行けるイベントは4月27日まで無いことになる。

吉瀬真珠加入後、均せば僕は週1ペースで通っていたことになる。特にこの1か月は、毎週末東北産の楽しいライブを見て、その後吉瀬真珠と顔を合わせて会話をしてきた。

僕のこのときの熱からすれば、1か月イベント無しで過ごすことは耐えられるはずがなかった。

僕は予定を変更して、急遽ハワイアンズでのイベントに行くことにした

異国感のある場所で見るライブは、少し特別感があって良かった。僕がハワイアンズエンジョイモードで参戦していたからというのもある。

僕「すみません…ゴーグルと間違えてグーグル持って来ちゃいました…(※ブログ参照)」
真「あははは(これまでの特典会で1番の笑顔)」

満面の笑みでとても可愛かった
この小道具は出発前急遽コンビニで印刷した

(↑参考資料)

ツアーを終えて年度が変わり、吉瀬真珠は高校に入学して1週間ほど経っただろう頃だった。僕は高校には慣れたか聞いてみた。

僕「真珠ちゃん最近高校どうですか?」
真「?(聞こえなかったらしくこっちに頭を近づけてくる)(かわいい)」
僕(繰り返す)
真「ん〜〜(苦い顔)(かわいい)頑張ろうって感じ!」

少し心配になったが、きっと時間が解決するだろう。

ライブ・特典会後は、残ってハワイアンズで遊んだ。僕はこれも楽しみにしてきていた。幼少期家族で来て以来のハワイアンズだったので、此処まで含めて満喫したかった。僕は東北で生まれ育っているので、東北産を追っかけているとこういう過去の経験の伏線回収があって感慨深い気持ちになる。幼少期家族に連れて行ってもらった場所に、大人になった今自力で行くのがなんとなく趣深かった

7thシングルリリイベ(ゴールデンウィーク)

続く4月27日、4月28日。

僕は吉瀬真珠のブログネタでツーショットを撮るのに味をしめていた。

(↑参考資料)

「東北ライブハウス巡り」の全通特典をもらった。

吉瀬真珠以外に名乗っていないので、他メンのコメントが全部無難だ

ラップバトル動画特典会という謎の特典会もあった。

可愛いみたいなことを伝えたら照れて逃げていった吉瀬真珠

ハワイアンズ時点では高校に慣れていない感じだったので、経過観察をした。

僕「高校には慣れました?」
真「んーーまだ慣れない!」
僕「どんな感じに慣れないんすか」
真「えーっとね、なんだろ、高校バレない程度に言うね」
僕「そうっすね(笑)」
真「バレるようなこと言うとキャプテンに怒られるから」
僕「(そういうこと?)」
真「なんだろ、バレないようにでしょ、うーん??」「あ!給食!給食が無いのが慣れない、大変!…え、給食ってどの高校も無いですよね?」
僕「そうね基本どこも無いっすね(笑)」
真「よかった〜!」

え、給食ってどの高校もないですよね?←可愛い

当時貴重だった吉瀬真珠の歌唱パートが多いという理由で、『Love is here』がある盤を買い続けた。別に何の意味もないし目的もないが、真珠推しであるというアイデンティティを噛みしめる感覚で楽しかったからそうしていた。真珠推し同士の内輪ノリでもあった。

吉瀬真珠と出会ってからわずかに残されていた平成を、僕は真珠推しとして駆け抜けた

吉瀬真珠誕生日当日ライブ

今でこそ各メンバーの生誕ライブは開催されているが、当初は生誕ライブは行わない方針だった。その代わり、各メンバーの誕生日に近いライブでペンライトの企画をしたりプレゼントや花を贈ったり等をした。企画や実行、運営との交渉は有志の生誕委員がイニシアチブをとってやった。

吉瀬真珠加入後最初の誕生日当日には、偶然にもライブが予定されていた。会場は岩手盛岡。僕の出身である岩手での開催であることに、運命めいたものを感じた。

僕は吉瀬真珠の加入後、「真珠推しは確実に存在している」ということを吉瀬真珠本人に知ってもらうことを行動理念としていた。そしてそれは多分伝えられたと思う。その後ツアーで回を経るごとに、緑色のペンライトの光は増えていった。彼女は彼女自身の魅力と努力によって、ファンを手に入れていた。

当初の目的が達成できた僕が次に彼女に伝えたかったのは、「真珠推しに限らず皆産全員が吉瀬真珠を歓迎し、受け入れ、好きになっている」ということだった。既に形ができていて歴史もそれなりにあるグループに一人後から加入することの不安はとてつもないものだと思う。だけどもう、真珠推しに限らず皆産は一人のメンバーとして彼女のことが好きになっていた。彼女は自身の力でその地位を手に入れていた。全員にとって彼女はもう、一人のかけがえのない「メンバー」だということを、目に見える形で伝えられたらと考えていた。

だから僕は、この年の生誕メッセージの寄せ書きは、誰推しかに関係なくできる限り現場に来ている皆産全員からメッセージをもらうことを目指した。

この年の生誕企画に対する僕からの提案は、これ以外も全てその目的の達成のためのものだった。当然全て可決された。

生誕企画は、6月22日ライブ当日、無事成功した。

寄せ書き(表面)
寄せ書き(裏面)

この辺りの経緯や当日の話は以前記事に書いた。

この日のライブで感じたのは、東北産メンバーの温かさだった。

「お誕生日おめでとう!!!!!!!!」

ライブ中、吉瀬真珠のソロ歌唱後に、メンバーがサプライズケーキを持って登場した。生クリームが苦手な彼女のために、チョコケーキが用意されていた。この演出は、生誕企画の都合上彼女の歌唱前後の動きをスタッフと事前に打ち合わせていた僕ら生誕委員も知らされていないものだった。

湊梨紗の卒業後、8人で進んでいくと強く決意した東北産メンバーが、後から加入したはずの吉瀬真珠を一人の大切なメンバーとして受け入れ、包み込んでいる。その温かさに、僕は胸が熱くなった

愛にあふれたライブは、あっという間に終わってしまった。終わってしまったが、今でもこの時を思い出すと胸がいっぱいになる。

このときの生誕委員でグループショット(券1枚×5でまとめ撮り)

ワールドツアー

この夏は「いぎなり!ザ・ワールドツアー」が開催された。世界ツアーではなく、東北各地の「○○ワールド」と名の付く施設を中心に回るツアーである。

8月10日:EBeanS(宮城)
8月12日:チャチャワールド(宮城)
8月13日:アメリカンワールド(岩手)
8月15日:リナワールド(山形)
8月17日:ベニーランド(宮城)

僕は途中帰省しなければならない都合でEBeanS、リナワールド、ベニーランドに行った。

間違いなくこの夏で世界で一番あつい場所だった

今まで続く東北産のライブの熱量は、このときにより強力になったと僕は感じた。今よりもずっと粗削りだったが、今にも倒れてしまうのではないかと心配するくらいの全力のパフォーマンスを常に見せてくれた。さながら高校スポーツを見ているような青春感が、そこにはあった。

https://x.com/madeintohoku/status/1160174711080230913?s=20
https://x.com/madeintohoku/status/1161970664669995008?s=20

最終日のベニーランドは、ベニーランド史上初めて花道のあるステージを作ったそうだ。

東北産は、昔からベニーランドのこの芝生を観客で埋めることを目標にしてきた。しかしこの日、観客は埋まらなかった。悔しさを滲ませるメンバーもいた。

それでもこの日のライブは、夏の暑さとライブの熱さの相乗効果によって、とてもエネルギッシュで楽しいライブになった。

https://x.com/madeintohoku/status/1162696227021979648?s=20

本人達には少し申し訳ないが、僕は東北産が「敗北」するシーンを見るのもそれはそれで嫌いじゃない。僕は昔から知人には東北産は少年漫画、特にスポ根漫画のようだと説明してきた(偶然にも後に吉瀬真珠もインタビューでそう答えている)。だからこそ、こういう泥臭い部分が何か未来への壮大な伏線に感じて心が震えるのだ。まさに今進行している青春を一緒に体験しているように思えてくる。

井上雄彦『SLAM DUNK』

だからこのツアー、この日のライブは特に、東北産の持つ青春感を味わえて良かった

@EBeanS
@リナワールド
@リナワールド
@リナワールド
律月ひかるにおちょくられていたのがこの時期(@ベニーランド)

アイドルと夏は相性がいい。東北産に加入して最初の夏を過ごしたということは、その字面以上に意味のあることである。

吉瀬真珠に、東北産としての夏に充実感を持ってもらえていたらと思い、尋ねてみた。

僕「東北産で過ごすはじめての夏どうでした?」
真珠「もうーね!楽しかった!!」
僕「それはそれはよかったです〜」(剥がし
真「ね!あのさ!!(剥がされるのを引きとめる)」
僕「?」
真「いつも来てくれてありがとう!!」
僕「いえいえ…こちらこそ楽しかったっす」

心からの「楽しかった」というセリフに、僕は嬉しくなった。僕は真珠推しになるより前に東北産そのものを好きになっていたので、その空間を楽しいと感じてもらえたことが本当に良かった。そしてわざわざ引き留めてまで「いつも来てくれてありがとう!!」と言ってくれたのもエモーショナルだった。感謝されるために通っていたわけではなく、最初期は僕のエゴの押し付けで、その後は純粋に楽しいから通い続けていただけだった。それでも日々伝えたかった気持ちがちゃんと届いていたんだと嬉しくなった。

この夏の僕と吉瀬真珠と東北産の日々は、間違いなく青春そのものだった

加入1周年

11月23日。この日は吉瀬真珠加入1周年であり、8thシングルのリリースイベントがEBeanSで行われる日だった。

寒空の下の新曲『Let's シンガソング』が良かった。僕はこの曲がかなり好きだ。

そして吉瀬真珠加入1周年なので、気合いを入れて特典会に参加した。

さらに買い増した気もする

流れで生誕の話になった。

真珠「(生誕の寄せ書きユニフォームを着せて渡した)クマのぬいぐるみ(※画像参照)ね、妹と取り合いになってるの!」
僕「マジすかw」
真珠「妹が欲しいって言うんだけどね、でも私のじゃん!私が貰ったやつだからダメって!取り合いなの!」

生誕寄せ書きについて
続き

そしてこの1年の思い出を確かめ合った。[中略]のところは、僕の中で独占したい会話だったのでレポという形でTwitter上に流しはしなかった部分であるが、ライブハウス巡りでいつも僕が来ていたことについてとか、この1年ともに駆け抜けた思い出話とか、僕や僕ら真珠推しへの感謝とか、これまで彼女が伝えたかったがまとまって長く話すことができる機会がなかなか無くて伝えられなかったことを、吉瀬真珠が彼女自身の言葉で話してくれた。僕はただ相槌を打つだけだった。

僕「僕も真珠推しになって1周年なので…」
真珠「そうですよね、最初からでしたもんね、年末(PIT)でもう言ってましたもんね」
僕「最初に(真珠ちゃんに直接)言ったのはそうですね、でも丁度1年前のお披露目の時に真珠推しになったので僕もぴったり(真珠推しになって)1周年なんですよ」
真「おおー!1年かあ〜早かったなー」
僕「そうですねーいろいろあったけど早かったですね」
[中略]
真「ほんとありがとうございます、私語彙力なくていつも同じことしか言えないんですけど、でも本当に感謝してるんです。」
僕「ほんと僕はなにもしてないので…真珠ちゃんだからこそですよ…」

1周年について
続き
写りが微妙だったので伊達花彩はスタンプで失礼します

この1年で吉瀬真珠は、まるで昔からずっと過ごしてメンバーであるかのように馴染み、かけがえのないいぎなり東北産の1人のメンバーとなっていた

それと同時に、この1年で僕と吉瀬真珠の間にも、どこまでいってもアイドルとオタクというステージを介してのみしか関わることのできない関係であるが、だからこそここでしか得ることのできない独特の、温かく愛のある関係を築くことができたのではないかと思った。そんな充実感をこのとき得ることができた。えもいわれぬこの感情を表す言葉は、まだどの辞書にも載っていなかった。

いぎなり東北大大忘年会

12月29日。年末の大一番ライブ「いぎなり東北大大忘年会」が仙台サンプラザホールで開催された。過去最大キャパの会場である。ちなみに当たり前だが「いぎなり東北大/大忘年会」ではなく、「いぎなり東北/大大忘年会」である。前年の年末ライブが「いぎなり東北大忘年会」だったのでその強化版ということだ。

このときの詳細な感想は以前記事で書いた。

このライブは本当に良かった。最初から最後まで楽しく、迫力のあって、東北産の魂を感じるようなライブだった。吉瀬真珠本格加入の1年でもあるとともに、グループとしてもいろいろなことがあった1年だった。そんな中で、橘花怜の言ったセリフ(以下の書き起こしはニュアンスで、一言一句正確というわけではない)がこの1年の充実感と、東北産の良さを全て表していた

花怜「最初は事務所に入った動機も違うし同じ方向を見ようって強制するのも違うと思って遠慮してたけど、でも今なら間違いなく同じ方向を向けてるって言えるし、これからもその方向に突き進んでいきたい

そして僕は吉瀬真珠の言葉に救われた感覚があった。

真珠「東北産としてみんなと同じ方向を向いて、どこまでも進める所まで進んでいきたい

吉瀬真珠は、半分は彼女の意思で、半分は大人の都合でステージに戻ってきた。僕は当初支えになればいいと思って真珠推しであることを伝え続けてきたが、その反面、日に日に彼女が後戻りするための道を塞いでいっているのではないかと感じることがあった。この1年で、もうずいぶんと遠くまで東北産は来た。どんどん戻れないところまで進んできている。だからこそ、これが本当に彼女のためになっていたのか不安になることが多々あった。

そんなときに、彼女は仙台サンプラザホールの舞台でこう言った。この言葉の重みはとても大きかった。

この9人は、いぎなり東北産はこの先どれくらいかかるか分からないが、で
も確実に、どこまででも遠くに連れて行ってくれる。大きいことを成し遂げてくれる
。そう確信できるようなライブだった。

山の端逃げて入れずもあらなむ

それから5年以上経った

コロナもあり、思ったより時間はかかったが、いぎなり東北産は、もうかなり遠くまで来た規模の大きいグループに、ちゃんと成長した

夢に見た武道館ライブも無事完売し、大成功に終わった。それはそれは美しい景色だった。

その一方で、東北産というグループの魂は、あの時から変わらずそこにあった

最も理想的な規模の拡大のしかただったと思う。

それと同時に、どうやったって質的に2019年と同じような推し方はできる日はもう来ないんだろうなと武道館の時に思った。

それが悪いとは全く思わないし、むしろグループが大きくなるということはそういうことであるのはわかっていたから喜ばしいことだと思っていた。しかしそれとは完全にパラレルに、過去は未来にはないということに寂しく思った。

だから僕は、2019年自体が一生続いていたら、僕はどれだけ幸せだったろうかと思ってしまった。

『さいしょのシングルです!』の眩しさ

そんな中、メジャー1stシングルがリリースされた。このシングルは、4曲すべてがお気に入りだ。

その中でも、『さいしょのシングルです!』という曲が、パフォーマンスが、本当に眩しかった。

彼女たちは、もうそれぞれが10年かそれくらいアイドルをやってきた。東北産自体、結成10年目のグループである。この10年でパフォーマンスの質も洗練された実力派に成長した。ありとあらゆる感情を、経験をこの10年で味わってきた。

そんなグループが、

さいしょのシングルです!
ウソじゃない メジャーデビューします!
新たな幕開けに
ワクワクしちゃう

『さいしょのシングルです!』

とフレッシュに、高らかに歌い上げるのである。

このダンプラ動画でも伝わってくるが、ライブで生でみるとより一層眩しさが伝わる。

9人が、本当に心から未来にワクワクしているように歌うのだ。

なんたってさいしょの冒険です!
地図はない 光はある
走り出した姿
誰より 素敵だ

『さいしょのシングルです!』

この曲を聴くと、この9人の眩しさが、そのまま遥か遠くの未来まで明るく照らす、その光の筋が見える。そんな錯覚に陥る。

さいしょのウキウキです!
晴れの日ばかりじゃない
それでもその胸は どんとはれ!
山でも谷でも びゅんびゅん超えて
未来も明日(あした)もいっぱい笑おうね

『さいしょのシングルです!』

「どんとはれ」は岩手県をその使用の中心とする方言で、過去に『どんど晴れ』という朝ドラのタイトルにもなっている(東北方言はいたるところに濁点がつくので「どんと」と「どんど」は同じ単語)。これは物語の終わりの「めでたしめでたし」と言うパートでその代わりに使われる。僕も幼少期祖父母に読み聞かせをしてもらった際は最後にこう言われたものだった。これは物語が晴れやかに幕を下ろし、また新たな清々しい未来がそこから始まっていくような、なんとなくそういう響きの言葉だと僕は捉えている。

晴れの日ばかりじゃない
それでもその胸は どんとはれ!

『さいしょのシングルです!』

10年の道のりの先の新章開始とともに紡ぐこの言葉が、あまりにも輝いていた

そうして未来も、さらに遠い未来だけではなく明日も、どちらもいっぱい笑おうと語りかけてくるのである。

この9人に着いて行けば、また新たな美しい未来が、それが過去となった時に戻りたくなるような時代が、きっと待っていると、そう思えるような光がステージ上にはあった。

散ればこそいとど桜はめでたけれうき世に何か久しかるべき

確かに2019年の全ては僕にとって美しい思い出だ。それは紛れもない事実であるし、今でも戻れるならば戻りたいと思う。

それでも、僕はこれからの東北産に、またあの時のように僕の人生の日々を預けたいと思えるようになった。

世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
(現代語訳:この世にまったく桜が無かったとしたら、桜が咲くのを心待ちにしたり、散ることに悲しんだりすることもなく、春の人の心はもっと穏やかだったでしょうに)

僕が東北産を知らなければ、多くを捧げて推すことが無ければ、あの頃は良かったとか、あの頃が一生続けば良かったとか、そういう感情を持つこともなかったかもしれないし、こんなに心が大きく動くこともなく、平穏だったかもしれない。

散ればこそいとど桜はめでたけれうき世に何か久しかるべき
(現代語訳:散るからこそ、よりいっそう桜は素晴らしいのです。常などないこの世の中で、何が永遠でしょうか、いや永遠のものはありません)

それでも、僕はまた東北産と、吉瀬真珠と過ごす日々を手に入れたいと思った

それは、永遠に一つの時代が続くことはないけれど、いつか過去になってしまうけれど、だからこそ今の一瞬一瞬が美しい思い出に変わると理解したからである。

そしてそんな未来を必ずもたらしてくれるという、そういう約束を『さいしょのシングルです!』でしてくれたような気がしたからである。

そんな輝きを感じる曲が『さいしょのシングルです!』であったし、メジャー1stシングルであった。





この記事を書いている翌日2025年11月15日は「いぎなり秋田本校」当日だ。

またかつてのように心から楽しもうと思う。

きっとこれも未来の僕が振り返って、美しい過去と呼ぶだろうから。






※人物名は敬称略


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