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ルールはみんなを幸せにするためのもの? ――眉間に青い線が入って生まれた、私の静かなる『異議あり』

母親によると、私は眉間に青い線が入って生まれてきたらしい。それを見た祖母は「勘が鋭い子(神経質な子)だから」と、赤ちゃんの私に宇津救命丸を飲ませていたそうだ。なんでやねん!(笑)

しかし、祖母の忠告は当たっていたのかもしれない。私は周囲の違和感に人一倍敏感で、空気を読みすぎてしまう子どもだった。

そんな私を苦しめたのが、「トイレは休み時間に行くもの」という学校の強固な固定観念だ。どうしても授業中に行きたくなった時は、クラス全員の前で先生に報告をしてから行くというルール。多感な時期に「トイレに行きたいです」と宣言するのは、たまらなく恥ずかしかった。

真面目な私は中学から大学まで、休み時間ごとに必ずトイレへ行き、極限まで水分を控えるようになった。今思えば、体に悪いのは言うまでもない。そればかりか、出もしないのに昭和の和式トイレの凄まじい水量を何度も流すのは、環境負荷の点でも逆に大いなる無駄だったのではないか。

「トイレは休み時間に」という学校のルール。今の私なら、排泄という生理現象を制限する健康リスクや尊厳の侵害を、理路整然と論破できるだろう。だが当時の私には、その巨大な壁に立ち向かう弁論術も勇気もなかった。

「ルールはみんなが気持ちよく過ごすためのもの」と指導され、それを必死に守っていた私は、全然気持ちよく過ごせていなかった。ルールから外れることが許されない空気。それは、憲法で保障された「人権」よりも優先されるべきものなのだろうか。

あの時戦えなかった悔しさの炎は、今も私の中で静かに、しかし激しく燃え続けている。

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