【死と再生】夜の工場
下記の記事の夢に関連して、自分にとっての心理的な「死と再生」の体験と思われる出来事を、整理している。
実体験1は、少年期の出来事であった。
本記事では、実体験2として青年期の失敗経験を取り上げる。
実体験2
若いころ、設備開発部門の担当として、初めての製造工程の改造を任された。
それは、溶融した金属を鋳型に注ぎ、鋳物の半製品をつくる工程だった。所属部門も発足したばかりで、業務遂行に必要な体制は、自分で他部門と協議しながら作らねばならなかった。
製造設備に研究開発機能を追加するだけの改造であったため、通常のように修理担当者をサブに付けず、私一人で設備メーカーと改造を進めた。改造は無事に終わり、メーカーは解散。私は安堵し、次は製造の合間に研究開発実験を行う段階に入った。
だが、その矢先に故障が発生した。
保全チームは存在していたが、改造後の設備引き渡しはまだである。保全チームの長は静かに言った。
「引き渡し前なので、関与はできない。あなたが解決せよ。」
私は改造部分の周辺しか知らず、設備全体の構造も、修理の手順もほとんどわからなかった。誰に相談すればよいかも見当がつかない。すでに夜、保全員たちは帰宅していく。工場は薄暗く、不慣れな静けさが広がっていた。
腹をくくった。
この故障に対して自分にできるのは、配線の導通チェックくらいだ。図面を片手に、無人の工場を行き来しながら、一本ずつ確認し、記録していく。工場のうす暗い照明が、床の油の跡を鈍く光らせている。孤独で効率は悪く、時間だけが過ぎた。気がつけば夜は明けていた。
朝七時、出勤してきた保全長に結果を報告した。
「朝までかかったのか。」
そう言って、彼は穏やかに聞き、そして言った。
「あとは保全チームが引き受けよう。これは、例外的な判断だ。」
私はその言葉に救われた。だが同時に、胸の奥で何かが重く沈んでいた。
技術的な知識不足よりも、事前に支援体制を作らなかったことが、この孤独な一夜を招いたのだと気づいたからだ。
あれ以来、私は設備改造や新規導入の際には、技術準備と同じくらい、組織や人の動き方を設計することに時間をかけるようになった。エンジニアの仕事の半分は、人と組織を動かす設計なのだ――あの夜、配線図の上をさまよいながら学んだことは、今も私の中に生きている。
考察
業務を円滑に遂行する、という観点から見ると、我ながら未熟な点を多々感じる。今回のこの体験には死の危機はなかったが、孤立無援の中で「やり切るしかない」状況に直面した。そこでこれを心理的な死と再生の構造を持つと仮定し、次のように整理した。
死 :故障・孤立・知識不足
「古い自己(技術中心のエンジニア像)」の死
境界領域:夜の無人工場、夜通しの配線チェック
再生:人と組織を動かす設計者という新しい自己
あの夜は、私にとって一つの「死」であった。
それは、技術者としての自分が信じていた秩序や安全網が、突然失われる瞬間だった。保全長の「関与はできない」という静かな宣告は、まるで見えない境界線を引き、私をその外へと送り出す父性原理の行為であった。そこには情の入り込む余地はなく、「自分で立て」という無言の課題だけが置かれていた。
孤独な夜は、自己の限界と向き合う通過儀礼だった。技術的知識の不足はもちろんだが、それ以上に、誰ともつながっていない感覚が、私を深く切り離していた。配線図を追い、無人の工場を行き来するたびに、これまでの自分の準備不足と、他者との関係構築の甘さが突きつけられた。
夜明けとともに訪れた保全長の「例外的に引き受けよう」という言葉は、父性の試練を終えた後に現れた母性原理の包容だった。それは、無条件の保護ではない。試練を通過した者だけが受け取る承認であり、同じ設備部門という拡張された共同体の中へ迎え入れる合図だった。
この経験を経て、私は父性原理と母性原理の双方の価値を学んだ。父性原理は私を外に突き出し、境界線の外で自らの力を試す機会を与えた。母性原理は試練を終えた後、私を包み込み、次の段階へ進むためのエネルギーを与えてくれた。そして、その両方を自らの中に取り込み、「技術だけでなく、組織や人の動きを設計する」という新しい行動原則が生まれた。
試練によって得た教訓「人と組織を動かす設計の重要性」は、父性原理的な責任意識と母性原理的な全体配慮の統合点に位置する。この統合こそが再生の本質であり、単なる技能の向上ではなく、人間的成熟の一歩であった。
死と再生とは、こうした両原理の往還の中で起こるのだと、私はあの夜に知った。孤立の闇をくぐった者だけが、包容の光を真に受け取ることができる。その学びは、今も私の仕事の根幹に息づいている。
冒頭の記事の夢に出てきた扇の女性は、このときは夜の工場の中にいた。姿は現さなかったが、埃と油の匂いと静けさの気配の奥にいた。また、実体験1と同様の、腹が据わった瞬間の身体感覚、自己の深奥との接近の感覚があり、それが夜の工場での私の作業を支えた。
こうして振り返ってみると、ちょっとしたきっかけで、異界(非日常)へ足を踏み入れてしまうことがあることがわかる。このときは、踏み入れた異界から逃げ出さず、歩ききることが意味を持っていた。
今の私は、設備建設からおもちゃ修理に舞台を移している。ここでは、90歳台までのエンジニア上がりの大先輩たちが在籍しており、新米の私がもたもたしていると、すぐに誰かが声をかけてくれる。みな形は変われども似たような経験を経て、孤立の怖さを知っているのだろう、と思う。
