[AKATALE] 植田祐介さんに会いに行く
解散総選挙開票日の翌日は最悪だった。たまたま仕事が休みだったので、気分転換もできない。デスクの前で微動だにせず座っていた。その姿勢のまま浅く眠っては目覚め、「ああ寝ていたな」と思う、それだけで一日を費やした。自民圧勝——あの子が「これでまた10年、時代が遅れる」と書いていた、あの人が「こころ静かに」と呼びかけていた——それらの声に確かに応えてやることもできずにいた。note など、書きたくもなかった。
高市政権は同性婚法制化を進めない。
今は「国民はそれを許した」と言われたようなかたちである。
明日にも揺らぐほどの、この命だ。
生徒から高市氏に対して同性婚に関し、「世論、数値、憲法、価値観、当事者の声など、さまざまな観点から考えることができるが、どういった観点を重視して賛否を考えるか」と質問が投げかけられた。
高市氏は「とても難しい質問だ」と前置きし、「私は基本的には同性婚には反対の立場だ。憲法で結婚は両性の同意によるとされている。だから、現時点で同性婚に賛同する立場ではない。ご期待に沿えないかもしれないけど」と述べた。そのうえで「同性のパートナーはいいと思いますよ」とフォローしていた。
たしかに同性愛者から婚姻の機会を奪い続けたのは人権問題ではないと言い続けることは「とても難しい」。その難しいことをやろうとするときには改憲の急先鋒である高市早苗が「しかし憲法にはそう書かれている」と強弁するしかない。憲法が全ての拠り所であり、国民から政治家への命令なのだと、認める以外ないのである。その上で「24条は絶対だが9条はそうではない」と言わなければならない。高市氏にとっては「とても難しい」だろう。
だから同性婚を国民にとって理解できない「とても難しい問題」とし、「基本的には」「現時点で」と将来的な譲歩の余地を匂わせて反発を抑え、人権問題を一部の「ご期待」問題とすり替えて本質を見えなくさせ、法的差別/保障の不均衡に直面する中高生に対して「同性のパートナーはいいと思う」と祖母のような顔で語りかけてみせた。「私は偏見から差別しているわけではない。あなたたちが彼らを差別するのも偏見からではないでしょう? だってあなたたちは賢くて優しいのだから」と甘く堕落にいざなう。お手本のようなグルーミングだ。
子どもたちの顔を見ながら、彼らの中にもセクシュアル・マイノリティがいること、やがて戦争の犠牲になる彼らであることが脳裏をよぎらなかったはずがない。それでも彼女の胸は痛まなかったのだ。そして首相になった。「だから」首相になれたのだろうか。
しかし子どもたちには「別の手段もあったことも」教えるべきだった。
大学進学率が55%を越えた日本で、第一次産業に従事する選択に価値はおかれない。今後なお一層のこと海外からの労働力に頼るしかない現実も、教えるべきだった。国民に外国人への恐怖があるなら、イギリス全土で起きた「アクション・アサイラム」のように「移民と先住者がボランティア活動を共有しながら互いの存在を認め合い、信頼と安全を育てる」市民ベースのアクションを事例に「恐怖し危険視することが真に危険を育てる/恐れなければ共生の道はある」と子どもたちに教えてもよかった。「あなたたちが対立より共生を望むなら、国はサポートできる」「暴動を起こす人もいるが、自分の恐れと闘って共生の道を切り開く人たちもいる」と可能性に言及した上で「私は共生より対立と分断を望む首相候補である」と説明すべきだった。若い人々に対して祖母のようにふるまうなら、そうすべきだった。子どもを騙すべきじゃない。日本人にはまだ試していない可能性があった。排除や、迫害や、戦争の前段階にできることがあった/今もある。それを教えず進ませるべきじゃない。

政治家が「同性愛者によりよく生きる選択肢は与えない。たとえそれが異性愛者と全く同等の権利に過ぎなかったとしても」と示した後で、「同性パートナーはいいと思いますよ」と言っただけのことが「フォローした」と記事になる。まさに「子供騙し」だ。ただ何も望まず生きているだけなら、この国では生を許されるという、その言葉の何がフォローであるか。——そして国民は賛同した。私と私の伴侶が生き別れになる運命を「必要な犠牲」と考えた。その賛同が人権を揺るがすことにも思い至らずに。一歩踏み越えてしまったことにも気づかずに。子どもたちに「あなたは他者の尊厳を削ってよい」と教え抑圧構造の維持に加担させることで、後年どれだけ「その子自身が」苦しむことになるか、考えてみることもせずに。

「どんな世の中でも、生き抜く強さをもちなさい」
ああ分かってるよ「母さん」。でも今日一日くらい、いいだろう? 悲しいことがあったんだ。——ただ身じろぎもせず、モニタの中に荒涼を見ていた。
一本の記事が目に止まった。ホットライン、S.O.S.、「正午までに」? 一体なんのことだ? 停止した脳が理解しない。……ケニアだと?
ケニアの LGBTコミュニティ。その成員に他国からの難民がいれば、実質それは難民キャンプである。ケニアにも差別はあり、生活は困窮する。リーダーのジワが、借金をして彼らの医療費を肩代わりしていた。しかし返済は滞る。それでも目の前の命だった。ジワは投獄される。タイムリミットは正午。——「今日の正午」?
(いま何時だ? 13時じゃないか)
ジワは出国しようとしていた矢先だった、外からケニアを支える以外に方法はなかった、国を変えたいと願っていた、しかし投獄されればゲイであるジワはあらゆる虐待を受ける。生存も危うい。
「今から一万円を入金したら役に立つか? 近日中に会いたい」
そう、記事を書いたAKATALE植田祐介氏にメールを送信した。
それが2月9日のことだった。12日に待ち合わせた。

スキンヘッドに髭面。それが植田祐介さんだ。しかし会って思うのは、「おれより写真写りが悪い男がいたのか」ということだった。いい男なのである。その目の造型的な美しさは、あくまでも男性的な美としても、特筆に値する。忘れがたい目だ。これはこの文章に不必要な記述のようだが、やはり書いておきたい。なぜなら、私は人を目で判断するのだ。ただし、造形そのものではなく表情筋が刻んだ人物の履歴だ。造形など遺伝の産物だが、その造形を保つのは表情筋であり、優れた遺伝も生き方で台無しになる。卑しい人間は卑しい目つきになる。その人物がどんな生き方をして来たかは顔で見るのだ。目つき顔つきは言葉より正直だ。私はだからいつも、相手がたじろぐほどに目を覗き込む。視線を外さない。どんな話題の時に瞬きするか、視線が逸れるか。——目の色、その奥に湛えられたものをつぶさに見て取ろうとする。
「その、口説かれてるみたいですね。まるで性のお誘いみたいだ」
——そうだよ、ヤっても後悔しない相手かどうかを見てんだよ。ある意味な。おれの目も見ておけよ。裏切ったらヤバい男だと分かるだろ?
実は、会いに来た時点でかなり信用はしていた——私はメールで「信用できるか会って見ておきたい」と書いたのだ、失礼もいいところだ——だが、後ろ暗い人間は会いに来ない。全く余裕がなかった日にメールしたせいでもあるのだが、無礼を隠しもしなかった。彼はそんなこちらの態度だけで断ってもよかった。しかし来た。「ゲイのための活動をしているのにそんな言いぐさは失礼だ」と躱すこともできたはずだが、彼はそうしなかった。そこからは自分が判断するしかない——彼は本物だろうか? 自分のアンテナ精度は確かだろうか?
ビールを飲みながら、私が見ていたのは彼の目だった。

長い時間を共に過ごしたのは、自分の見極めに自信がなかったからではない。直感は最初にあって、後からの情報は「自分の直感を正しいと思うために」集めているだけにすぎない。しかしそうだとしても、植田祐介氏が発するサインは、その全てが、私の胸に信頼を呼び起こすものだった。
「この男を信用しよう」と思った——「私は」植田祐介氏を信頼する。
ちなみに彼は新しい記事で、こう書いている。
説明がお聞きになりたい方は、 直接うかがってお話をいたします。先日も、ご支援くださった方にお会いして 詳しい事情説明をいたしました。
文中に「ご支援くださった方にお会いして(説明した)」とあるのは、まちがいなく私のことだ。だが私からすれば、彼がどんな無理な要請に対しても私的な時間を割いて出向くべきだとは全く考えていない。彼は例えば note で説明をしているのだから、それのみで「分からせなければならない」ものだろうし、10年間ライターをしてきた彼にはそれができる。また、現在はまだ私費をかなり投じているので、必要経費であろうが無理をすべきではないからだ。
私は彼に対面しての説明を求めたが、往復の交通費と飲食代は私が支払った。それは「寄付を私的に使っている」という批判があった場合に備えて「私が彼を守れるように」そうしたのである。この日、彼は私に会うために寄付金を使っていない/私が使わせなかった。ささやかな食事であってもこの会食が誰かに目撃されていて、万が一にでも彼が非難されることがあれば、私が彼の潔白を証明できる。寄付について説明するという目的を考えれば寄付金を使ってもいいのだが、世間の批判には対策して「これで充分」ということはない。もし彼に対面での説明を求めるなら、その方にも同様の配慮をお願いしたい。付け加えて、私が氏と会ったのは「一万円を寄付した後」だ、とも書いておく。
活動家を無償で引きずり回す権利など、誰にもない。あなたが自分の権利のために引きずり回していいのは「政治家」だけだ。何のために政治家に高額な給料を払い権力を与えているのか、自問した方がいい——活動家は国ができていないことをやっている人たちだ。カン違いしてはならない。
ノンゲイの人たちへ。
いま日本国民は甘言に釣られて一線を踏み越えた。同じ国民を切り捨てたのだ。そうやって戻れなくさせられる。外国人とゲイの次は誰を切り捨てる? ただし憲法改正は国民投票だ。その国民投票までにじっくりと考えてほしい。憲法改悪に反対してもらいたい。不安で盲目になってはならない。あなたたちは愚かでも無力でもない。「アクション・アサイラム」を日本で始めたらどうだ? クルド人やゲイと安全な関係を築き始めてはどうだ? おれはゲイとして参加するよ。まず一緒にいてみるんだ。やることはゴミ拾いでもいいんだ。一緒に地域社会のために活動して、一緒に笑って、一緒におにぎりか何か食って、——共通の目的を、仲間になる習慣をひとつ見つけるんだ。そんな交流からも未来は開けて行く。——まだ試してないだろう? 排除や戦争の前に、できることをやろう。まだチャンスがある。こっちが「お天道様に顔を向けていられる」選択だ。
ゲイの人たちへ。
見捨てられたこの時に、ゲイに何ができるか。おれはそれを見てる。
今、ケニアを日本のゲイが救えたら、その経験は自分たちの誇りになる。
だからおれは毎月1,000円の寄付をすることにしたよ。Tシャツも買うだろう。ケニア、日本、いま自国を頼れないのは同じだもん。そうじゃんか。
すぐおれを慰めてくれようとする人たちへ。
ありがとう。でも、おれほど一人で立っていられる奴はそうそういないよ。大丈夫。
それよりあなた自身が強い光を放っていてほしい。
遠くにいても、闇夜でも、おれから見えるように。
おれは守るべき者たちの存在を見失うと歩けなくなるから。
この記事をご紹介いただきました①
たよろよろ図書館DATABASE 様、ありがとうございます。
この記事をご紹介いただきました②
ドイツ女装哀史 様、ありがとうございます。
この記事をご紹介いただきました③
マガジン「生きる力を分けてもらえる記事」でシェアしていただきました。
ゆる 様、ありがとうございます。
この記事をご紹介いただきました④
マガジンでシェアしてくださっただけでなく、「その後」についても書いてくださいました。感謝の次に「なんか祝福したい気持ち」が起こり、いま残る「同志感」。ありがとうございます。note やっててよかったー
