悪の化身と固着性ヒューリスティック
前回から「人権をめぐる偏見騒動」についてゆるーく書いてます。2回目。
ところで私のパートナーは「悪の化身」である。生得的に。
本人がそう語るので、そうなのだと思う。
子どもの頃からヒーローになりたかった男と、子どもの頃からヒーローを倒したかった男が仲良しなんである。思えば感慨深い。それでも、いつか戦わなければならないのだろうか。そんな決裂は必然ではないだろうか――つまり、ストーリー展開として。
元剣道部:「いつかおれら運命的に戦うの?」
元柔道部:「それはない」
元剣道部:「ホッとしたけど、それドラマとしてはどうなんすか」
たまに、悪の化身という活動の実態と進捗を聴く。昨夜は思い切って核心を突いた質問をしてみた。
元剣道部「例えば白杖を突いた人とかに対して、」
元柔道部「できるかぁ!」
元剣道部「回答早いですね。で、今ちょっと混乱してるんですけども」
元柔道部「やっていいこととダメなことがあるだろうがぁ!」
元剣道部「ええまあそれは、そうかもしれないですね」
悪とは何だろうか。
元剣道部「わざと白杖を蹴るような輩について、どう思……」
元柔道部「俺より悪い奴は許さねえんだよ!」
元剣道部「なるほど! なんかすげえスッキリした!」
そういうお仕事か。社会悪の調整的なね。おれ悪の化身に偏見もってたかもしんない。実際はふたり評価軸が近しくて、似たような行動原理になってるのかも。常に頭の中で「Hero」が流れてるような彼氏でごめんねと思うけど、いつか戦うことは、ないのかもしれない。そうさ。
運命なんて、信じない。
たまにこっそり打ち明け話もする。
元剣道部「おれ考えてみると蛇の中でガボンアダーがかなり好き」
元柔道部「その気持ちは、分かる……!」
元剣道部「順位付けとかアレだけど、蛇なのに蛇行しないトコとか」
元柔道部「芋虫運動だからなあ!」
多様性の話って面白くね?
いつかおれがヒーローを辞めたら。
あなたも悪の化身ではなくなってしまうのだろうか?
それは、まだ聞けない。
それよりオケラとモグラの収斂進化について話していたい。今は。
前回「おれは偏見ありますけどね。」というタイトルの記事を書いたのだが、パートナー氏も「ある属性の人に対して」厄介な先入観をもっている。しかし「その属性の人を」嫌いだと言って憚らない彼には、特筆すべき一面がある。「その属性の人が」権利を奪われていたり、不条理な待遇を受けていることに本気で怒るのだ。「その属性の人のために」せっせと投票している。社会的強者の人格にこんな類型があることを世間は「エラー扱い」にするのだが、これぞ私が「悪の化身」であるところの彼を心から信頼する理由であり、人類に希望をもち続ける理由である。だから私はヒトの「偏見」を問題にしないのだ。問題は個々人の偏見の有無ではなく政治であり、社会のシステムである。ヒトは(ヒーローも悪の化身も)この不完全な社会の産物であろうけれども、不完全な出来なりに、社会に対する義務を果たそうと熱い思いがあったりする。
個々人が不断の努力によって偏見から完全に解放されるという、長期的で遠大で実現可能性が疑わしい目標を掲げ続ける意味はあるだろうか。これは道徳の時間か何かなの。前回指摘したように、ヒトは「偏見のなさ」を自己申告して、「私にとって差別は終わった」と宣言して、抑圧構造を解体する仕事から離脱してしまうこともするのだ。
私は思う。
社会に必要なのは、他者に対するルールとマナー、それだけだ。同性愛者に対して別ルールが敷かれていることが問題なのだ。集団Aと集団Bに別ルールを適用することを「差別」というのね。同性婚は人権にかかる法的不均衡の修正という課題なの。
次回へ続く。きっと同性婚をめぐる判断のアンカリング問題とか? 有益な話になるかもだ。いや、なんねえと思うけど。

