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知見と経験の話はいくらなのか

 もともと言い値で(イイネで)講師をしていた。というより、完全に無償/持ち出しだった時期を経て、「交通費出るんだ嬉しいね」期間があり、あちこちの大学に呼ばれるようになって、現在でこそさすがに時間給は発生する、という感じ。平日に隣県の男女共同参画事業に何度も通って企画を出してプレゼンして連続講座を開かせてもらってというような場合でも、交通費だけでも出てホッとするというような状況がかつて(長く)あった。
 しかしこの一年ばかり、これでいいのかなあと考えていた。遅すぎるのだが、少しずつでも状況は改善されたい。そのために誰かが動くしかないなら、それは自分のような古株の役目だろうと思う。

 大学の非常勤講師のように交渉の余地がほとんどないケースは別として、自分はいくらいくらの講師ですと言えなければならない。しかしはたと困った。自分に値付けをするのである。知見と経験の話はいくらなのか。しかし目的が「当事者は交通費だけで呼べる」という感覚の変革であるのだから、そこはきちんと言えなければならないのだ。
 それで今、「一講座あたり10万円」と言おうと考えている。

 「随分景気いいな! 性的少数者の講師ってそんなにもらえるのか」と思うなかれ。実際この値段では呼ばれない。また当然のことながら、「ゲイとバイのちがい」を語れる程度の講師にそこまでの謝礼を出す必要はない。私は「呼ばれなくなることを覚悟した上で」、意識改革をしたいだけだ。それで将来的に他の講師が「2万円で」と値段交渉できるようになるなら、それでいい。そういうことをする人間が少なすぎるのだ。
 ちなみに10万円という金額は私にとって最高額ではない。そして本当にその金額で呼んでもらえるなら、満足してもらえるだけの話をしなければならないし15万円のスーツで出向くが、事実上、もう呼ばれなくなるつもりでやるのだ。「知見と経験の語りはいくらか」という問いを社会に置くのである。それはあまりにも状況がひどいからだ。経験を積む頃には、生活に追われている。疲弊し燃え尽きる。そして優秀な人材が失われるのである。

 今日、性的被害を受けた8歳の男児がやっとの思いで母親に話す動画を見た。その動画のリンクは、改めて流すのも心が痛いので、過去の記事に追加しておいた。しかし自分も話せなければと、発声練習のように6歳の時の経験をひとり語っていると、直前に少年の訴えを聴いたせいか、被害の場面で舌がもつれた。ぐらりと世の中が傾いだような感覚があった。「脳が拒否している」と思った。それでも私がやらなかった役割が8歳の少年に押し付けられるのであれば——いや、私がすべきことをしなかったせいで社会が前進しなかったのなら——舌をもつれさせながらも語らなければならない。

 講師はそんな気持ちでいるものだ。

 そんなことを考えていたら、カウンセラーからメンバーシップのお誘いが来た。何か教えていただけるのだという。いやそっちが何年カウンセラーをやっているか知らないが、こっちは6歳の時からこれやってんだよ。教えるのはこっちだ。助けるのもな。

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