田道間守が持ち帰った橘はナツメヤシのデーツ
古事記と日本書紀の両方に、少し不思議な説話がある。垂仁天皇は田道間守を常世国に遣わし,非時香菓を求めさせた。しかし、手に入れて戻った時には天皇は既に亡くなっていた。田道間守は泣き叫んで非時香菓を献じてその場で命を絶ったという。そしてこの非時香菓は古事記、日本書紀とも今の橘であると記している。
しかし小学館の古事記の注釈にも、橘は古くは柑橘系の総称だが、これが現在の何にあたるかは未詳とされている。橘は酸味が強く食用ではない。それは通説ではミカンとされているのだが。人によっては、リンゴ、バナナという説もあるが、はるか遠方からだと持ち帰るのは無理であろう。しかも日本書紀では、探し求めて十年かかっているというのである。
いずれにしても、古事記や日本書紀の記述と関連付けがなされた説明になっていないように思える。記紀の記事から推測すると、この非時香菓はナツメヤシのデーツのことではないかと考えられることを述べる。
1.日本書紀には、橘を手に入れた場所が説明されている。
古事記では、常世国とだけ記されているが、日本書紀では、「遠く絶域」とし、「弱水を度る」とある。この「弱水」は「よわのみず」という訓が付されているが、これが誤解の元と思われる。当時の正確な発音はわからないが、「じゃくすい」で問題ないであろう。そしてこの弱水は、中国の文献にいくつも登場する。
『晋書』列伝には「跨弱水以建基」とある。ここでは跨ぐとあるので、弱水は河のことであろう。
『旧唐書』列伝第五十四は「娑夷河,即古之弱水也」とあって、娑夷河がかっての弱水であったとしていることからも河川名であろう。そしてその場所を表した記事もある。
『三国史』魏書の注釈には「弱水在條支西、今弱水在大秦西」 さらに、
『漢書』西域傳では「安息長老傳聞條支有弱水」 この「條支」は西アジアあたりの国と考えられるので、弱水は中国からはるか西方の河と考えられる。
『史記』大宛列伝「或云其國西有弱水、流沙,近西王母處,幾於日所入也」 これによれば、中国からは日の入る所とされるはるか西方にあって、しかも流沙は砂漠地帯のことであり、そこを流れる河が弱水で間違いないであろう。注1)
以上のように漢籍に見られる弱水は、河の固有名詞であり、田道間守はその弱水を渡っている。はるか西方の地であることから、西王母や神仙思想とも関連付けられたと考えられる。
なお『漢書』司馬相如伝下の顔師古注に「弱水ハ西域ノ絶遠ノ水ヲ謂ウ毛車ニ乗リテ渡ルノミ」とある。ここに「毛車」が登場するが、唐の時代までの漢籍にはほかに見当たらない。私はこの「毛車」を砂漠を渡るのに欠かせないラクダのことではないかと考える。

大シルクロード展京都にて
天皇がわざわざ使いを出して求めたということは、近隣にはない珍しいものとなろう。さらに王が所望するものは不老不死につながる場合が多い。またそれは美味なものとも考えられる。それを求めて戻って来るのに、十年かかる地域であるという。以上から探し求めた非時香菓は、はるか西方の砂漠地帯の樹木の育っている地域、すなわちオアシスにあるものではなかろうか。そこに育つのがナツメヤシであり、その実をデーツという。
2.最古の栽培植物、そして聖樹であるナツメヤシとその実のデーツ

北アフリカからペルシャ湾岸地域で生育する常緑で高木のヤシ科植物である。メソポタミアでは紀元前6000年頃より栽培がなされたようだ。今でも砂漠の中のオアシスに青々と茂っている。人工授粉で栽培を行っており果実は多数が房状に結実する。
この果実はデーツと呼ばれ、ビタミンや糖分を多く含み、黒糖のような甘味がありそのまま食べたり、料理や加工して菓子としても利用されている。干した実は保存がきき、遊牧民やオアシスで暮らす人々にとって欠かせない食料となる。
健康食品に関心のある人以外には、日本人にあまりなじみのないものだが、実はオタフクのお好み焼きソースなどに早くから使われているようだ。
果実から蜜を取って酒もつくる。樹幹は建材になり、葉は籠やむしろ、編み籠、マット状の敷物や屋根を葺く材料にもなる。さらに団扇や箒にもなる。
栄養価の面でも優れていることから、王が美味で不老不死の食べ物と考えて求めさせたのは無理もないことなのだ。しかも熱帯地域以外では育たないから、近隣に求めることはできなかった。
デーツは保存がきき、生で食べられることから遊牧民やオアシスの人々の欠かせない食料源であったことから、非時が、時期を選ばずいつもあることとつながるのである。香実はかくのみで、香りではなく輝く実という意味と解釈されている。デーツは熟せば飴色、まさに輝くような黄金色になるのである。

よく混同される棕櫚はミャンマーや中国中央部にみられるヤシ科シュロ属のヤシであり、耐寒性がある。これが日本ではシュロという用語でヤシ科全般を指す用語になってしまっている。聖書に出てくる樹木を棕櫚と訳出してしまったことも混同の一因とされるが、あくまでキリストと関係するのはナツメヤシである。パルメット文様の元もこのナツメヤシと考えられている。
3.はるか古代から信仰、儀礼と結びつく聖樹とされたナツメヤシ
現代でも、ムスリムの慣習として断食明けの食べ物に、また赤ん坊が最初に口にするものとしてデーツが使われる。古代よりナツメヤシは人々の信仰、儀礼と結びついている。
枯死した葉の落ちたところから新しい葉が出てくるナツメヤシは、生命力の象徴であった。エジプトでは葬儀の際にはナツメヤシの葉を携えて行列し、ミイラやそれを納めた棺の上に置いたという。
ギリシャ神話では、太陽神アポロンは、デロス島のナツメヤシの元で生まれ、その木がアポロンにささげられて聖樹となった。

古代ローマでは、死者を冥界に送る儀式を司る神アヌビスは、1世紀のローマのイシス神殿の祭壇浮彫に、左手に壺とともにナツメヤシの葉を手にしているところが描かれている。

また、エジプトのティグラネス墳墓壁の厨子の図像には、横たわるミイラに女神がナツメヤシを両手に持ってかざすものがあり、これは死者を守護していることを意味している。
初期キリスト教会では、キリスト教徒が迫害された際の、死に対する勝利の象徴とした。絵画の中で殉教者の持ち物として、またイエスの洗礼の背後にナツメヤシが描かれている。
以上のことから、非時香菓を持ち帰った田道間守が、垂仁天皇の後を追って殉死するという説話は、ナツメヤシの葉をかざして死者を守護する構図と重なるのではないか。
さらには古事記のこの記事の末尾に、石棺や石室を造る石祝作、埴輪や祭器を作る土師部を定めたとあるのも葬送儀礼の点でも関係するのである。さらに言うと、この田道間守のモリは、墓守のことだと考えれば、この説話の内容がすべて理解できるのではないだろうか。
4.八竿八縵の意味

この説話には、非時香菓の量を示す思われる八竿八縵、古事記は逆で縵八縵・矛八矛という難解な表現がある。
小学館の注釈では、竿は串刺しにしたものの助数詞、縵は葉のついたままのものの助数詞とある。だが岩波の注では縵は干し柿のようにいくつかの橘を縄に取り付けた形状とされる。串刺しとか吊るした干し柿のような状態は、とても柑橘類に結びつかないであろう。
しかし、これもナツメヤシに実るデーツの状態を意味すると考えられないだろうか。一本の軸から枝分かれして紡錘状にたっぷりの実がついている。その一本に実が連なるような状態は、干し柿を吊るしているかのようだ。
古事記では大妃に四縵・矛四矛を分けたとあるのも、正確な意味を把握しづらいが、小分けのできる単位としてイメージできそうだ。
まとめ
日本書紀の記述から、非時香菓は中国のはるか西方の弱水の地を渡った砂漠の中のオアシスに生息するナツメヤシと考えられる。保存が出来て栄養もある木の実のデーツこそ、王が求めたものとしてふさわしいものであろう。ミカンではそうはいかないのである。記紀共に、非時香菓を今の橘、と記しているが、この場合のタチバナは、なにやら別の意味、それこそ聖樹といったものを表していたのではないかと思われる。
さらに葬送儀礼と殉教に関わる聖樹信仰の点でも、ナツメヤシであればこそ、殉死してからも天皇の墓を守護する田道間守の説話の意味が理解できるのである。
だが、田道間守が実際に砂漠のオアシスに行ったとは考えにくい。おそらくは西方で語られた説話が、シルクロードを経て渡来氏族の祖先譚として記紀に取り入れられたもので、決して史実というわけではない。
記紀の記述によれば田道間守は、三宅連の始祖とされ、その三宅連は渡来してきた新羅国王子天日槍の末裔になる。その新羅は、ガラス、金製品などを持ち西方文化とつながる国であったことからも、ナツメヤシに関わる説話を保持していたとしても不思議ではないのである。
なお、田道間守はお菓子の神様として祀られているが、甘みがあってお菓子の材料ともなるデーツと関係するならば、あながち無関係とはいえないかもしれない。
注1.「オクサスの南北」というブログに弱水を娑夷河とするなど、田道間守と関連させて論じられる記事がある。
参考文献
前田 龍彦『ナツメヤシの図像と意味』金沢大学考古学紀要巻 25ページ 64-73発行年 2000-12-25 ネット掲載
甘粛人民出版社『シルクロードの伝説』濱田英作訳 サイマル出版会 1994
岡田温司監修『聖書と神話の象徴図鑑』ナツメ出版 2011
遠山茂樹『歴史の中の植物』八坂書房 2019
石山俊・綱田浩志『ナツメヤシ アラブのなりわい生態系2』臨川書店 2013
中村修也『田道間守と非時香菓伝説新考』文教大学 言語と文化 題27号 ネット掲載
北村泰一『タクラマカン砂漠の幻の海』(「タクラマカン砂漠の幻の海」古田史学HP)
韓永大『古代韓国のギリシャ渦文と月支国』明石書店 2014
由水常雄『ローマ文化王国-新羅』新潮社2001
写真のナツメヤシは、オタフク様のHP 「オタフクノート デーツコラム 歴史篇(古代文明)紀元前からの贈り物、デーツ」「知っておきたいデーツ情報~デーツってどうやってできるの編~」掲載のものを使わせていただいた。
シュロの写真は、「しゅろのき内科クリニック」様HPより
アヌビスとイシスとネプテゥスの図は前田 龍彦氏『ナツメヤシの図像と意味』より。
以下、デーツに関する記事のほんの一部をご紹介
次は途中にデーツマーケットの記事があります。
