【旅日記#11-3】あの時の記憶をもう一度。自転車でカントリーサインの旅(後編)
行き先を運に委ねてカードを引いた市町村を目指して走り続ける、北海道の伝説的ローカル番組『水曜どうでしょう』でお馴染みのカントリーサインの旅。
当時高校1年生の私は3連休をフルに使い、オホーツクを舞台にこのテレビ企画を自転車で真似していた。
(これまでの回はこちら↓)
そして今回は大波乱の最終日。
その道中には、今までにない困難が待ち受ける。
正直なところ、この日は己の未熟さが特に目立った反省点ばかりの一日であり、こうして公開するのも恥ずかしいくらいだが、それも含めて旅のリアル。チャリ馬鹿少年が企てた冒険のありのままの結末を、ご覧いただこう。
2019年9月23日(月・祝)
6:30 起床
昨晩、遠軽町の祖父母宅にて、長旅の様子を見に来た両親と共に賑やかな一夜を過ごした私。
前回は紋別市まで北上したところで津別町を引き、一転して南東へと進路を変えることとなった。今日中に網走まで帰らなければならないことを踏まえると、これが最後のカントリーサインになりそうだ。

家までの距離も含めれば、軽く100kmを上回るだろう
かくして頭の中でルートを組み立てながら、朝食を食べる。日頃は朝からそこまで食べないのは当時も今も変わらないが、ここにいると茶碗が空になる前から「ご飯出しな〜」と祖母におかわりを催促されるので、毎度食べ過ぎてしまう。
(この時に限らず、祖父母宅では昼夜問わず常に何らかの食べ物が提供されているから、お腹が空いているタイミングが存在しない。ありがたいけれども、さすがにやりすぎでは、なんて思ったりもする)
すると、何気なく見ていたテレビが、この旅の不穏な先行きを報じていた。なんと現在、北海道に台風が接近しているというのである。
1日目の朝を除けば3日間を通して目立った雨予報はなかったし、北海道が台風の進路と重なることは本州より格段に少ないから、これは完全にノーマークだった。こんなことなら、昨日のうちに北見くらいまで進んでおくべきだったなあ⋯。
とはいえ今のところ雨はまだ降っておらず、中止の判断をするには時期尚早だ。というか、前回のように車に乗せてもらおうにも父の車には自転車を積むスペースがないので、どのみち自力で走るほかに道はない。
カントリーサインはもちろん、雨が降るまでにどこまで行けるかもこの日の勝負と言えよう。
突然のタイムトライアルが、いま幕を開ける。
7:40 3日目スタート
そうと決まれば、すぐに動くとしよう。
結局使わなかった寝袋などを親に引き取ってもらい、身軽になって遠軽を発つ。空模様はやはりどんよりとしていて、いつ降り出してもおかしくない。
まずは留辺蘂を目指して国道242号を南下する。例に漏れず沿道には農家が多く、生田原川に沿って耕地が続いていてのどかな風景なのだが、如何せん天気が悪いので、感じる印象としては寂寥感の方が強い。
また、ここも林業のまちであり、市街地の手前には木のおもちゃとアートが楽しめる「ちゃちゃワールド」が建っている。
私も、子どもの頃には連れてきてもらったっけ。
朝から過酷な未来を前にしてげんなり気味の私だけれども、道中のちょっとした感慨のおかげで、前を向いて進むことができる。

生田原駅はオホーツク文学館が併設。
それにしても、変な画角⋯
生田原はかつて金鉱で栄えた町。その山の名は「北の王鉱山」と呼ばれるほど大規模なもので、駅前のホテルの屋号にもその名残が残っている。
しかし現在の様子はそれを感じさせないほど静かになっており、典型的な田舎の山村といった雰囲気漂う町の朝、開いているのは安定のセイコーマートのみ。さすがは道内一のネットワーク、ありがたく補給して山越えに備える。
生田原を過ぎると、道は金華峠に向けて少しずつ標高を上げ始める。
最初のうちはまだ人の営みがあって勾配もゆるいものの、沿道には平然と「熊出没注意」の旗が林立していて、何の対抗手段も持たない自転車には気休め程度のベルを鳴らすくらいしかできない。
これまでのサイクリングでも熊にまつわる看板はいろいろ見てきたが、国道沿いの一見平和な人里でも実際に自然とのせめぎ合いがあるのだな、と再認識させられた。
そしてついに民家も途絶え、一面の緑の中を走り抜ける車の背中に励まされながら、本日第1の頂こと金華峠(標高360m)に達して北見市へ。大きくカーブを描きながら下りに転じていくさまはいかにも峠らしい様相で、気持ち良い達成感に包まれる。

古そうな字体のおにぎりといい、
展望は開けないもののどこかグッとくる眺め
そこからの下りは早いもので、9時40分に留辺蘂市街へ到着。ここは1日目の昼に来た所だから、ここまで来られたということは、ひとまず帰れる見込みは立ったことになる。
よし、今のところは良い感じだ。この調子で労せず最後まで行ければいいが、さてどうなることやら。

先ほどまで山の中にいたこともあり、
これが見えた時はかなりほっとした
11:00 昼食
一昨日には西に走った国道39号を今度は東へ、わずかに下り基調の快走路を意気揚々と流す。
するとここで私の慢心を見抜かれたように、ついに頭の濡れる感触と共に、アスファルトが黒く染まり始めた。
⋯雨だ。
体が冷えないうちに少しでも進むべく漕ぎ足に力を込めるも、自転車のスピードでは天候の変化から逃れることなど到底できず、相内まで進む頃には本降りになっていた。
南西の雲は分厚く、この雨が1日中止むことはないという事実が、このとき残酷にもはっきりしてしまったのだ(いや、朝から分かりきっていたと言われれば、全くもってその通りなのだが⋯)。
ともかく、ここは一度暖かい場所で英気を養おう。時間もちょうど良いことだし、北見市内で昼食をとる。今回はなんとなく目に入った「ココス 北見本町店」に立ち寄った。
どうでもいいが、地味にこれが私のひとりファミレスデビューである。

こんな日に自転車少年が単身やってくるなんて、
店員さんもさぞ驚いたことだろう
この状態で入るにはあまりにもずぶ濡れ過ぎるので、一応軒先で着替えてから入店。
ああ、建物って素晴らしい。
自ら苦難を経験することで、あらゆる物事の尊さが際立って感じられる。料理が届くまでの間も、今までにないほど感謝を込めながらスープバーに通って下がった体温を補った。

寒空の一人旅とは一見相反する存在のようだけれども、
こんな私も受け入れてくれる懐の広さに救われた
雨の日でも暖かくて、そのうえ美味しいご飯も食べられる。ここにいて唯一困ったのは、そんな場所に腰を落ち着けたら、もう離れたくなくなってしまうこと。
もしも明日が休みなら。この先に待ち受けるものを想像すると、そう思わずにはいられない。
12:00 決死の峠越え
ファミレスの快適さという思わぬ伏兵、そして帰りたいのに帰りたくないジレンマと格闘しつつ、再び冷たい雨の中に戻る私。冬のような防寒具を着込んで自転車に乗る姿はどう見ても不審だけれども、今さらなりふり構っていられるものか。
なお、この時は止まってカメラを構える余裕などとてもなかったため、このチャプターには写真が1枚もないことをお許しいただきたい。
北見市郊外の若松地区には「きたみファミリーランド」という遊園地があり、休日ともなれば毎度賑わいを見せる一方、この日はさすがに誰もいなかった。
それよりも、市街地からこの若松へのメインルートが大人なホテル街というのは、どうなのだろう。近くには小学校まであるというのに⋯部外者ながら、北見市の青少年の教育事情が心配になったりする。
そしてここからが本日最大の山場、道道217号活汲峠越えである。標高は金華峠よりも低く、車であれば取るに足らない峠なのだが、この雨に加え旅も終盤とあって、かなりの疲労がのしかかる。
金華峠では勇気づけられた車たちも、こうも泥水にまみれて坂道を漕いでいると、だんだんエンジンが付いているのが恨めしく思えてきた。
もちろんこれは単なる言いがかりだけれども、こんなことが頭に浮かぶなんて、精神的にも相当参っているらしい。
早く、早く終わってくれ!
こんな調子で本家『水どう』ばりに悪態をつきながら、何とか美幌トンネル前の駐車帯まで登ってきた。このトンネルはそこまで長くないうえにトラックも少ないので、自転車でも案外快適に通ることができる。
ここを越えてしまえば、あとは下りと平地ばかり。台風の迫る中、私は見事やり遂げたのだ。
ところが、峠をクリアしてからも新たな難関が。
勢いに任せて下っていると、カーブや水たまりで体重を動かす度に後輪がどこかへすっ飛んでいきそうになる。一歩間違えば転倒待ったなし、危なっかしくて仕方ない。
というのも、このMTBは通学から旅まで毎日のように乗っており、半年前には頼もしい凹凸のあったタイヤも今や見事にツルツルになってしまっている。
自動車学校に通ったことのある方ならご存知だと思うが、これはハイドロプレーニング現象と言い、雨の日にスピードを出すとタイヤの排水能力が追い付かず、水の膜の上を滑走している状態になり非常に滑りやすくなるのである。
雨天のダウンヒル、そして溝のないタイヤ(人はそれを整備不良と呼ぶ)というまさに最悪のコンディション。並行する栄森川の谷筋はまだ長く、こんな山中で事故なんてやらかしたら、目も当てられない。
しかしここで遅れを取っていては明るいうちに帰れないと、暴れる車体を抑えつけながら綱渡りのバランス感覚で突き進んでいく。
結果的には幸い何事もなく麓まで降りることができたものの、こうして振り返ってみるとさすがにこれは危険すぎた。反省⋯。
13:25 4市町村目
さて、ここにきてようやくこの旅の趣旨とも言える目的地のお出ましだ。
山を抜けて平野部に出たあたり、カーブの途中にある交差点を曲がるとすぐに津別町に入る。だがここは町道なのでカントリーサインは設置されておらず、一度津別町内を経由しつつ国道240号に出て、美幌町界まで戻って振り返る。

依然として雨は降り続くが、
久しぶりの国道の安心感もあり少し肩の力が抜けた
ここまできたらあとは寄り道せずに帰るだけで精一杯だけれども、一応次のカードも引いてみる。無理そうな場所であれば潔く諦めるが、やるからには最後までこの企画を全うしようではないか。

5市町村目は大空町。
2006(平成18)年に女満別町と東藻琴村が合併してできた新しい町で、町のキャラ「そらっきー」が主役を務める三角形には女満別の空港と水芭蕉、東藻琴の芝桜が表現されている。
空港があることからオホーツクの玄関口として多くの観光客が訪れ、田舎ながら活気のある町なのだ。

遠回りゼロで行ける。
これはナイス!
最後の最後で神引きに成功し、思いがけずテンションが上がる私。すぐさま踵を返し、心なしか軽い足取りで北上していくのであった。
14:20 5市町村目
国道240号、39号と網走川を下っていく。雨脚はだんだん強まっているが、その反面道路状況が穏やかなのがまだ救い。
およそ1時間で美幌町を縦断し、今度こそ最後の市町村、大空町にたどり着いた。

標識のそばだと危ないし汚れるので、
反対側の歩道から撮影
この雨の中ではもはやカードを取り出すだけでびしょびしょになってしまうものの、お約束だからと抽選を行う。この際どこが出ても行けないから、引くのは正直どこでも良い。
ただ、もし後日この旅の続きをやるとすればそこからスタートしようと思うので、やっぱり網走から近い方が嬉しいか。

6市町村目は清里町。
斜里岳のお膝元に位置する自然と農業のまちであり、特にこのイラストに描かれた工場で作られるじゃがいも焼酎は地域ブランドとして長い歴史を持つ。他には有名な神の子池やさくらの滝といった景勝地も目白押しの、幅広い魅力を持つ町である。
なお、濡れるわ風は強いわで、カードを持った状態でシャッターを押す動作は、全6回の抽選で一番難しかった。

網走と知床の間くらいという立地で、
観光ルートにも入れやすい
というわけで、今回のカントリーサインの旅はこれにて終了。時刻もまずまず、あとは家まで帰れば無事完遂となる。
その前に、道の駅「メルヘンの丘めまんべつ」にて久方ぶりの小休止。ここのフードコートは営業時間が気まぐれなのか、行く度にやっていたりやっていなかったりして困るのだが、運良く開いていた。
この先は網走までコンビニもないから、とても助かる。

ラストスパートに向けて力を蓄える。
餅のおかげで思ったよりお腹いっぱいになった
さあ、それでは最後の闘いといこう。
たった今暖をとったのも虚しく、容赦ない風雨が私を襲う。水をたっぷりと含んだ衣服は身体を重くさせ、靴の中は漕ぐごとにまるで川に入った後のような感触。
普段なら全然楽勝な道のりすらこれほど苦しい体験になるとは、雨の長旅は想像以上の恐ろしさを秘めていたようである。車も普及しておらず、舗装すらされていなかった時代と比べれば贅沢なことだと思うが、この令和の時代にわざわざやる事では、断じてない⋯。
17:00 帰宅
そんなこんなで、命からがら網走へ帰還を果たしたのは遠軽を出てから9時間あまりが経った頃。祖父母宅で共に朝を過ごした両親はとっくに家におり、よく戻ったと温かく迎えてくれた。
直ちに濡れた服を脱ぎ、ソファに寝転がる。これまでファミレスに道の駅と雨宿りをしてきたが、やはり自宅は最高だ。
今日の走行距離は最終日にして過去最高記録に並ぶ120km。3日間の合計は329km(1日目に車に乗せてもらったのを含めると343km)と、なんと網走〜札幌間に匹敵する長さを走り抜いたらしい。
国道1号に換算すれば東京を出てギリギリ愛知県に入るくらいだというのだから、しんどくて当たり前である。
その弊害として、サドルとズボンが擦れるあまり、お尻に炎症ができてしまった。以前から週末といえば1日100kmくらいは走っていたから、一概に今回の旅だけが原因とは言えないけれども、まさかパンツに穴が開くとは。
ちなみに、ここまで散々酷使してきたタイヤも、この2週間後にパンクの憂き目に遭っている。人も自転車も、なかなか追い込まれていたようだ。

そして、肝心のカントリーサインの旅の結果はこの通り。今回到達できたのは、スタート地点の網走市を入れて6市町。オホーツク管内は全部で18市町村だから、3日間で3分の1を制覇したことになる。
いやはや、こうして自分の足で回ってみると、北海道がいかに広いかを思い知らされる。いくら車とはいえ、道内全域を舞台とした本家どうでしょう班の行動力とガッツが相当にぶっ飛んでいることも、この体験を通してよく分かった。
さて、チャリ馬鹿少年が見よう見まねでやってみたカントリーサインの旅は以上である。
当時の日記のリメイクと言いながら全編にわたって完全に書き直し、かなり長くなってしまったが、いかがだっただろうか。
まさしく若気の至りと言うべき無謀の数々、今振り返るとよくこれだけの真似をして生きて帰ってきたなという感じである。改めて、この旅路を支えてくれた家族には感謝してもしきれない。
それと同時に、こうして積んだ経験は、豊かな視点を育んでくれたかけがえのない財産でもある。こんな旅は多分もうやらないと思うけれども、私の人生史には未来永劫刻まれていることだろう。
今回は以上になります。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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