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#44 noteをやってみてわかったこと4

あのー、僕の文章、面白いですかね?

しょっぱなから、ぶち込んでみました。

noteを書いていると、ときどき分からなくなる。
自分では面白いと思って書いている。
少なくとも、書いているときはそう思っている。

でも、あとから読み返すと、少し違って見える。

あれ。
これは面白いのか。
それとも、僕だけが面白いと思っているのか。

なかなか怖い問いである。

noteをやってみて、分かってきたことがある。
僕の中では、文章は大きく二つに分かれる。

自分のために書く文章。
誰かに届いてほしい文章。

自分のために書く文章は、気楽でいい。
うまくまとまらなくても、そのときの自分が残ればいい。
少しくらい言葉が揺れていても、それはそれで、その日の記録になる。

一方で、誰かに届いてほしい文章は、少し気を使う。

同じことで困っている人に読んでほしい。
そして、読んだあとに少しだけ楽になってほしい。

だから、書くときの緊張感が違う。

特に、ハラスメントの話はそうだ。
あれは、読んで楽しい文章ではない。
どちらかといえば、当時の日記と実用書のあいだにある文章に近い。

必要な人が、必要なときに読めばいい。
そういう文章だと思っている。

つまり、全部の記事が同じ役割を持つ必要はない。

散歩やカフェの記事は、少し出かけたくなればいい。
大学教員の憂鬱は、苦笑いしてもらえたらいい。
ハラスメントの記事は、必要な人の手元に残ればいい。

文章によって、役割が違う。

それを同じ物差しで見ようとすると、たぶん苦しくなる。
散歩の文章に、実用性ばかり求めても違う。
ハラスメントの文章に、笑える面白さばかり求めても違う。

そこで、最初の問いに戻る。

では、僕の文章は面白いのか?

まったく、分からない。いや、ほんとに。

でも、面白さにも種類があって、
笑える面白さ。
少し楽になる面白さ。
あとから残る面白さ。
必要なときに読み返される面白さ。

全部が同じ形でなくてもいい。

だから、これからも書いてみる。
自分のために書くこともある。
誰かに届いてほしいと思って書くこともある。

その違いが分かってきた。
noteをやってみて、そこはよかったと思う。

#43 大学教員の憂鬱 ちょっとカフェタイム
#42 大学教員の憂鬱 祝日授業日という制度設計
#41大学教員の憂鬱 学会に持っていくもの、持ち帰るもの
#40大学教員の憂鬱 今、僕が教員に求めたい資質
#20 神保町散歩、黒いカレーに呼ばれて

#さむらい #日常 #エッセイ #日記 #note #書くこと #文章 #言葉 #アウトプット #習慣

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