見出し画像

置き去りにしていたのは、私自身だった ──アートセラピーにたどりつくまで #3

描いて、話す。
描いて、また話す。

そうした時間を重ねる中で、
私は何度も同じテーマについて語っていました。

境界線のこと。
距離感のこと。
相手を優先しすぎてしまうこと。

描いているときは、そんなこと考えていないのに、作品について話すとき、なぜかいつも同じことを話しているのです。

「ああ、また言ってる、私」

最初はそんな感じでした。

けれど、何度も同じことを繰り返しているうちに、だんだんフフッと笑ってしまうくらいには
余裕が出てきました。

子育てのなかで、私のことが見えなくなっていた


子どもが困っていると、
自分のことのように苦しくなる。

子どもがうまくいかないと、
自分が失敗したかのように感じる。

そのような感覚で過ごしていた日々でした。

答えが見つかったわけでもありません。

ただ、そんな私がいることを、前より少し受け入れられるようになっていたのです。

自分自身に戻る

アートセラピーの時間を通して、
私は少しずつ自分自身を取り戻していきました。

相手のためではなく、
理想的な母親になるためでもなく、

まず自分は何を感じているのか。
何を恐れているのか。
何を願っているのか。

置き去りになっていた
自分の気持ちにも気づくことでした。

置き去りだったのは、私の方だった


娘が学校へ行かなくなったときも、
もちろん悩みましたし、心はざわざわしていました。

それでも以前ほど慌てなかったのは、
この自分に戻る経験があったからかもしれません。

子どもには子どもの人生がある。
そして私には私の人生がある。

アートで少しずつ、
自分の輪郭を引いていったような感覚です。

アートセラピーの時間を重ねたから、
不登校という状況を受け止められた。

大きく言ってしまえば、
そんな話なのかもしれません。

描き、語り、自分自身と向き合う時間は、
親としての私に自立する力を
与えてくれたように思います。

そしてそれは、娘だけでなく、
私自身の心も軽くしてくれたのでした。

(おわり)


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集