描いて、話す。描いて、また話す。──アートセラピーにたどりつくまで #2
前回の記事では、次男との日々の中で、
私の中の理屈が少しずつ吹き飛んでいったことを書きました。
不登校と、理屈が吹き飛んだ日々── アートセラピーにたどりつくまで#1
振り返ってみると、それ以前の私はずっと何かを得ようとしていました。
もっと知れば大丈夫。
もっと学べば安心できる。
そんな気持ちがあったのかもしれません。
けれど、次男との日々は、そのやり方を続けさせてくれませんでした。
これまでの理屈が、少しずつ吹き飛んでいったのです。
何が正しいのか。
どうしたらいいのか。
その答えを誰かに教えてほしい。
そんな気持ちでいました。
けれど、ぴったり当てはまる答えは見つかりませんでした。
答えを探し続けることに、少し疲れていたのだと思います。
余白ができたから、理論が入ってきた
アートセラピーと出会ったのは、その頃です。
これで人が変わる。
そんな答えを、私はどこかで期待していました。
けれど、アートセラピーはそれをくれませんでした。
私が触れたアートセラピーは
分析されることも、
教えられることも、
直されることもありませんでした。
ただ、描いて、話す。
描いて、また話す。
そんな時間でした。
不思議なことに、
私はその中で何度も同じようなことを話していました。
境界線のこと。
人との距離感のこと。
相手を優先しすぎてしまうこと。
自分の気持ちが後回しになること。
描くものは毎回違うのに、
なぜか同じことを言っています。
私は人に寄り添えるようになれたらいいなと
思って学び始めました。
けれど気づくと、自分自身を見つめていました。
そこには、子どもを支えようとしている私だけではなく、頑張り続けている私自身の姿もありました。
人を直そうとしない。
その姿勢が、後になって大きな意味を持つことになります。
娘が学校へ行かなくなった、あのときのことです。
(つづく)
