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救命センターから応援ナースへ|私が働き方を変えた理由

はじめに

こんにちは、shiro_です。
私は今、応援ナースとして働いています。

でも数年前の私は、都内の高度救命センターで働く看護師でした。

今日は、病院勤務をしていた私が、どうして安定した常勤ナースではなく応援ナースを選んだのかをお伝えしたいと思います。

この記事を読んで、今の働き方に疑問や不満を持つ方、ちょっと看護師を休憩したい方などに、こんな働き方もあるんだというのをお伝えできればと思います。

年次が上がるにつれ、少しずつ「しんどい」が増えていった

ERに配属されて最初の2年くらいは、とにかく必死で。
一つひとつの処置や判断を覚えることに夢中で、しんどさを感じる余裕すらなかったように思います。

でも3年目に差し掛かった頃から、少しずつ「しんどいな」と感じる瞬間が増えていきました。
だんだんと忙しさには慣れてきたはずなのに、救急車の台数そのものが増えて、休憩をとる暇すらない日が多くなっていったんです。

そこにコロナが流行し始め、感染対策には常にシビアな判断が求められるようになりました。
感染対策と重症患者への対応、その両方を同時にこなさなければならない現場は、身体的にも精神的にも私を確実にすり減らしていきました。

コロナ禍のICUローテーションで感じた、ワクワクとしんどさ

そんな中、コロナ禍が重なり、私はHCU、そしてICUをローテーションすることになりました。

HCUでは、リーダー業務が多く、新人への目も常に光らせていなければなりません。
コロナ対応で重症患者が増えているのに、集中治療病棟のベッドが空かず、患者さんを移動させられない状況が続いていました。
急変しそうな患者さんも多く、常に気を張っていなければならない緊張状態。
緊急入院や転棟も他の病棟より圧倒的に多く、業務量も記録量も膨れ上がっていく一方でした。

ICUに移ってからは、最初は正直ワクワクしていたんです。

医療機器の設定や検査値の相関性を学びながら、バイタルサインや身体状況から「患者さんの体の中で今、何が起きているのか」を予測して行動する。
その一つひとつが楽しくて、自分の看護が患者さんの状態に直結している手応えもありました。

でも同時に、リーダー業務の責任は重く、普段の業務に加えて係・委員会活動、勉強会、新人教育、看護研究までもが重なり、へとへとになっていきました。

夜勤中の急変対応、コロナ対応、緊急入院、重症患者の管理•••。
気づけば、精神的にも身体的にも、自分をすり減らしながら働いている日々になっていたんです。

「世界は広いのに、私はなんでここにいるんだろう」

ICUとHCUを行き来する日々が続く中で、私はふと「外の景色が見たい」と思うようになりました。
きっかけの一つは、先輩がワーキングホリデーに行くために仕事を辞めたことでした。
やめると決めた先輩の表情はイキイキとしていて、とても楽しそうでした。

その先輩が辞めた後も定期的に連絡をとり、海外での経験や大変なこと、日本との違いなどを聞くことができました。

そして、少しずつ看護師という世界の狭さを感じるようになったんです。
病院と家の往復だけの毎日。
夜勤のたびに、なんとなく寿命が減っていくような感覚。
神経をすり減らす毎日を送りながら、ある日ふと、こう思いました。

「世界はこんなに広いのに、私はなんでここでずっと過ごしているんだろう。」

そんな思いが、ずっと胸の中で膨らんでいきました。

辞めたいと思うようになった、本当の理由

今振り返ると、辞めたいと思うようになった理由は、一つではありませんでした。

まず、病院の中だけで完結する毎日が、だんだんと狭く感じられるようになっていったこと。
同じ病棟、同じメンバー、同じルーティン。
その中でどれだけ頑張っても、見える景色はいつも同じ場所からのものでした。

そして、精神的にも身体的にも消耗しきっていた自分に気づき、一度医療から離れて、外の世界を見てみたいという気持ちが強くなっていったこと。

さらにもう一つ、ずっと心のどこかに引っかかっていたのが、自分がやっている仕事内容や役割に対して、報酬や評価が本当に見合っているのかわからなくなったことでした。

責任は増える一方なのに、それに見合うだけの対価をもらえている実感が持てない。
そのモヤモヤは、いくら忙しさに慣れても、消えることはありませんでした。

「狭さ」「消耗」「見合わなさ」。

この三つが積み重なった結果、私は初めて本気で「ここではない場所」を考えるようになったんです。

「なりたくなかった先輩」に、自分がなりかけていた

そして、辞める決意を後押しした、決定的な出来事がありました。

新卒で入職した時、私にはかなり怖い先輩がいました。
言い方がきつかったり、無視をされたり、時には怒鳴られたり。
まだ何もわからない新人ながら、その頃の私はこう固く誓っていたんです。

「私は絶対に、こんな先輩にはならない」

でも、自分がリーダー業務を任されるようになってから、あの時の先輩たちの気持ちが、少しずつわかるようになっていきました。

自分の責任や仕事量が増えて、心に余裕がなくなった状態で働いていると、周りの動きや言動が、やたらと気になってくるんです。

自分で調べればすぐにわかるようなことを質問されたり、優先順位の立て方が全くわかっていないのが目についたりすると、つい苛立ってしまう瞬間がありました。

自分に余裕がないことは、自分自身が一番わかっていました。
だからこそ、そんな自分の器の狭さに、悲しくなることもあったんです。

表面上は笑顔で対応しながら、本音はずっと覆い隠す毎日。

そのキャパシティに気づけたことは、とても良い経験だったと思う反面、正直かなりストレスフルな生活になっていたのも事実でした。
後輩にイライラすることが増えていくたびに、こう思うようになったんです。

「このままでは私は、自分がなりたくなかったはずの先輩たちのようになってしまう。」

その気づきが、一度現場を離れて、自分をリセットしようと思う、大きなきっかけになりました。

ワーキングホリデーへ|そして「戻ってきたけど、何しよう」

そうして私は、ついにワーキングホリデーへ行くことを決意しました。

日本を離れて過ごした日々は、想像していた以上に楽しく、刺激的なものでした。
でも、帰国してから待っていたのは「戻ってきたけど、何しよう」という、少し宙ぶらりんな感覚。
常勤に戻るという選択肢もありました。
でも、その前に「もっと外の世界を知りたい」という気持ちが、まだ私の中に残っていたんです。

そんな時にふと頭に浮かんだのが、離島医療でした。

「離島の医療現場って、どんな感じなんだろう」
「島での暮らしって、どんな景色が広がっているんだろう」

そんな純粋な好奇心が、私を離島応援ナースという選択肢へと導いてくれました。

応援ナースという働き方で見えてきたもの

離島応援ナースを経験してから、私は応援ナースという働き方そのものに、すっかり魅了されていきました。

いろいろな病院を見ることができて、たくさんの看護観に触れられる。
それぞれの地域の特色や文化を知ることができる。
出会う人の幅が広がり、同じ価値観を持った人と出会えることもある。
仕事もプライベートも、ちゃんと充実させられる。
住みたい場所に、実際に住むことができる。
興味のある分野に、飛び込んでいくことができる。

こうした経験を積み重ねる中で、看護師としての幅が広がっていくのを実感しました。
ライフワークバランスを自分で整えられるようになり、自分に合った場所や環境を見つけられるようになった。
新しい場所、新しい価値観に触れるたびに、まだ知らなかった自分に出会えている気がします。

しがらみから解放されて、心穏やかに働くということ

看護師の人間関係は、正直どこに行っても複雑で面倒なものです。

現場のリーダー的な存在の人に逆らうと次から呼ばれなくなったり、あからさまに「仕事ができない人」扱いされたりすることもある。
チームで仕事をするはずなのに、仲が悪い人同士が同じ勤務に重なると、それだけで現場の空気が悪くなってしまう。

そんな経験を重ねる中で、私は「信じられるのは自分の実力と経験だけ」だと思うようになりました。
他人に何を言われても、自分の軸さえブレていなければ気にしない。

そして、期間限定の応援ナースという働き方は、そういった職場のしがらみから距離を置くことを、自然に叶えてくれました。
心穏やかに仕事をするという感覚を、私は応援ナースになって初めて味わえた気がします。

おわりに|働き方に正解なんてない

一つの病院で長く働き、スペシャリストを目指す。

それも本当に素晴らしい、尊敬すべき看護師の姿です。

でも、もし今のあなたが、かつての私のように今の働き方に疑問や不満を感じているなら、あるいはちょっとだけ看護師を休憩したいと思っているなら。

「応援ナースとして、自分のために生きてみる」という選択肢があることを、どうか思い出してください。

看護師としての幅も、心の穏やかさも、住みたい場所での暮らしも、どれかを諦めなくていい。
自分にとって心地よいバランスを探し続けることは、決して甘えではなく、長く看護師を続けるための大切な戦略なんだと、私は信じています。

これからもこのnoteでは、私自身の経験やリアルな気づきを、飾らない言葉で少しずつ発信していきます。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

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