風燕伝: 清河裏物語解説 英雄の陰で暗躍する懸剣 <無間無相 田英> そのニ
皆さん風燕伝楽しんでいますか?
風燕伝のストーリーと文化要素はファンタジーと実際の歴史を実に上手く融合させて作られていると思います。
その魅力を他のユーザーにも感じて貰いたいと思いこのような記事を無定期ですがやっていきたいと思っておりますのでこれからもよろしくお願い致します。
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※あくまで専門家ではなく素人一個人の趣味でやっておりますので間違っているところや不足な点があれば優しく指摘いただけると幸いです。
またどうしてもネタバレが含まれる事があるので観る前に是非ご了承ください。
前回は戦乱を生き抜き紆余曲折を経て懸剣に加入した田英に任務が言い渡される所まで解説しました。
前回の記事

-仏を以て仏を制す-
ある晩呼び出された田英は魏先生からこう言い渡された
「主君柴栄は間も無く大規模な廃仏策を行う、お前にもこの後世に悪名を残す大業を任せたい。これが成就すれば必ずや民と国に益をもたらす、だが任務とは言え必ず神仏を冒涜するような大罪となる、それによってお前がどんな業に落ちるかは定かではない、それでも引き受ける覚悟はあるか?」
ここで物語から一旦離れて後周が廃仏策を行った背景を含めた当時の情勢を理解するために説明いたします。
田英が懸剣に加入した954年、この年後周では太祖郭威が病に倒れ世継ぎの柴栄が2代目皇帝世宗として即位する。

柴栄は父郭威の意思を引き継ぎ乱世を終わらせ太平な時代を築くため、民に田畑を分配する分田策や儒家、文官の重用、節度使(大名)や軍部の再編など次々と改革を行た。同時に燕雲十六州を奪還し十国を中華を再び統一するという壮大な計画をも打ち出す。

それを実現するため彼が即位してまず着手した策の一つが仏教の弾圧、再編であった、その主な要因として以下になります
・当時も仏門から税を取ることは出来ず、寺院は田畑も所有しており(全国の約7%)これらも当然年貢を納める必要がありません
・長く続く戦乱の中で徴兵から逃れるため庶民は避難目的で仏門に駆け込む事で働き手や兵士の人員確保の不足(当時の後周の人口はおよそ900万人に対して僧侶は男女合わせ約60万人あった、15人に1人は僧侶ということになる)。
・寺院や仏像建設で貨幣製造で使われていた銅が不足になり通貨危機を引き起こした(開封編でも語られていた)
・貴族や官僚と結託して脱税や高利貸しをする寺院、盗賊や犯罪者が寺を乗っ取り賊の砦と化した寺院が朝廷の許可なく乱立していた(清河に悪僧がいっぱい居る訳だ…)
全ての寺院では無いのですが戦乱が長く続いた影響で当時の仏教界もまた無戒律が蔓延していました。これらは長年慢性的に北華王朝の統治能力を弱体させ終わりのない戦乱を生み出した要因の一つであると考えた柴栄は中国史に残る4回目の大規模な仏教弾圧を実施する、記録によると最終的に後周は約3万の寺院が壊され(2600の寺院を残存)、6〜10万人の僧を帰俗させた。

そして清河は特に戦乱が激しく生活の苦しさから庶民は仏教へ信仰心が強くそれにつれて歪んだ信仰や戒律はもちろん、豫からぬ目的で仏を偽る者も少なくありません。
これらの寺院を強行に取締まろうとすると大きな反感を買うのは必至、そこで懸剣は内側から仏の道を正す者の存在を使い仏門を再編する策を立てた。
そこで清河に土地勘があり潜入経験もあって武芸多才の田英が選ばれた。
魏先生からの問いに田英は躊躇なく
「喜んで。」
と答えると先生は更に
「昔、田光が自ら命を絶ち荊軻を奮い立たせ。国と民のためなら君はどこまでできる?」
田英はこう答えた
「命さえ惜しくありません。」
この晩を境に「田英」という者は姿を消し、代わりに清河に「妙善」という怪僧がやってくる。
※田光は春秋戦国時代の人物で、秦の嬴政を暗殺しようとした燕の太子丹が先生と慕っていた田光に相談したところ老いた田光は若く腕が立つ荊軻を紹介したため太子丹にくろぐれもこの話を他人に漏らさないで欲しいと言われ、主君に疑念を持たせてしまった事を重く感じた田光は潔白を証明するのと荊軻に覚悟というものを見せて奮い立たせるため自ら自分の首をはねたという話だそうです。
-妙善-
毒を以て毒を制する
仏を以て仏を制する
まやかしを以てまやかしを制する
当時奇術やまやかしを使って信者や名声を手に入れる仏門も珍しくありません、特に迷信や御伽話が混在する時代では。(この当時日本も平安時代で安倍晴明などのが活躍していた時代でした)
清河の仏門を制するため、まず懸剣は予め仏光頂に塔を建設し玉色の石「仏光玉」を妙善に持たせた、清河の善妙州にやってくると彼は早速石を塔頂に置き経を唱える、すると塔から仏光が善妙州の地を照らしたその神がかりな登場は妙善禅師の名を広め、瞬く間に善妙州に知れ渡るようになった。

次に清河で最も仏教信仰深いと称された千仏村という村があったが、その異常な信仰は苦難を経れば仏へなれると信じ苦行のために自身を傷つけてもいとわないという歪なものでした。

その噂を聞きつけると妙善は自ら村に出向き一日中仏を敬うとは何か、歪んだ信仰には必ず業を受けるだろうと説き悔い改めるものがあれば自分についてきて欲しいと説得する、が信仰深い村人達は妙善に耳を傾ける者は少なく時には石を投げられ、暴力を振るう者もいた。それでも妙善の説法は翌日の夜明けまで続き少数の改心したい者と一緒に妙善は仏光頂へ帰っていた。

そしてその日の夜大きな事件が起こります、衝撃と共に千仏村に得体のしれない天火が降り注ぎ村は一瞬にして業火に焼かれ村は全べて灰となった、その直後仏光頂で経を説く妙善の姿は彼についてきた村人にとってまさにの仏の化身に見えたのでしょう、一連の出来事を目撃した人々はこの妙善が起こした奇跡を清河全土へ広めていった。

千仏村の一件の後妙善の名声は益々広がり彼の元には清河各地から多くの信者が集まった妙善はその弟子たちに悔い改めさせ歪んだ戒律を正し、その上で更に師としている志宝禅師の教えを皆に説き混沌とした清河の仏門をまとめあげていった。


妙善の神業や説法は慧薬みたいな信仰心のない破戒僧ですら一時とは言え悔い改めて真面目に修行に励んでいたのをみると相当の影響力や人気があったのでしょう。
そしての最後の仕上げはこの翌年の955年に皇帝の世宗 柴栄が自ら妙善を開封へ招き、彼の説法を聞いた後妙善を仏子(朝廷が認可する最高位の僧侶)として封じこれにて仏教界で妙善禅師を疑う者や知らぬ者は無くなった。

これより間も無く後周はこの年に大規模な廃仏令をいよいよ実施した。朝廷からの勅令は清河にも届き最初は仏に背を向けるのを恐れ誰も仏像に手を出せなかったが、ある時妙善禅師が清めの儀式を行ったところ仏像の手から銅母(貨幣の製造に使う金型)がこぼれ落ちそれを見て妙善はこれは仏が我が身(銅像)を使い世や民を救いなさいという思し召しであると弟子たち説いた、この事によって清河での廃仏は円滑に行われた。


-先南後北-
後周は数々の改革や廃仏策が功を奏し国力や兵力が回復すると朝廷内では中華統一に向けて先南後北の戦略を打ち立てた。
(長年北華王朝に対し自分達こそが漢民族の正統な王朝だと称し敵対していた南唐やその他諸国を制してから北の燕雲十六州を奪還する戦略、後の宋もこの考え方を受け継いた)
すると廃仏令を実施した年955年の11月、後周は主力軍を南下させ侵攻を開始した、この戦いで30歳の趙匡胤(趙兄貴)は戦神が如く活躍し節度使に大出世した。(1万5千の敵兵が籠城してる中に単騎で突入し敵大将を生け取りにしたり、2千の兵を率いて敵2万の軍を破るなどの伝説を残す)

この後太祖拳という中国武術の源流の一つとされる拳法を創り上げます
戦いは約3年間続き遂に958年に後周は南唐の首都金陵(今の南京市)の目の前まで迫った所で南唐元宗 李璟は降伏し皇帝と名乗るのを辞め北部の土地を後周に割譲、そしてこの年から毎年莫大な税金を朝廷に納める(これが南唐経済危機を引き起こし後の開封編「公子の書」の話に繋がる)など実質後周に服属する事となった。
その翌年の959年4月柴栄は再び軍を集結させ北部偵察を名目に北上、燕雲十六州の国境沿いに迫ると進行を止める事なく国境を越え僅か40日で契丹に奪われた16州中の3州を奪還した、陣破竹の勢いをみせていた進軍ですがある晩柴栄は突然体調を崩し2、3日療養するも回復が見込めないと判断し軍は開封に引き返した。この時、軍は既に燕雲十六州の首都・幽州(今の北京市)の50km手前まで来ていたので世宗 柴栄にとっては無念の撤退となった。

後周が撤退するとすぐに契丹は3州の奪還及び反撃のために南唐と結託し南北から後周を挟み撃ちにしようと江南に向け使者団を遣わす。契丹に予め潜伏させていた諜報員から使者団派遣の知らせを受け取った魏先生はこの計画を阻止するため田英を再び帰還をさせる事になる…
-太平鐘楼の戦い-
魏先生からの召集で田英は春秋別館に戻り魏先生ら懸剣メンバーと今後の南北からの危機に対抗する「先斬使臣、後潜契丹」策を練り上げた。
この策は先に契丹からの使者を南唐領内で暗殺し南唐の仕業と見せかける事で契丹との同盟を破棄させた後に、洛神の変容術で顔を変え今まで以上に契丹朝廷の奥深くに潜入する者を置き今後の契丹の動きに対抗する策でした、そして暗殺の役を田英、顔を変え潜入する役を懸剣に加入した諸清泉とした。
諸清泉は洛神(寒おばさん)の恋人であったのでかつて懸剣に協力していた洛神も今回の作戦には反対した、なぜなら変容の術はリスクを伴うもので成功したとしても今後契丹の奥深くで潜入することになる諸清泉を案じたのでしょう、しかし何としても作戦を成就しようとする懸剣は宴で洛神に眠り薬を盛りその隙に変容術の奥義書を盗み出そうとするが、異変に気づいた洛神は宴を抜け出したところ諸清泉に阻まれやがて二人は口論から真剣の戦いに発展した。
この戦いは太平鐘楼で三日三晩続き太平鐘が破損する原因となった。


この時二人の戦いを遠くで見た紅線は大侠に憧れるようになった…

予定とは違ったものの、この戦いの間に田英は変容の術の書を無事盗み出し、後に「断」の書を残し「続」の書を諸清泉が受け取り彼は洛神と別れ潜入の機会を待つため単身北の地へ旅立った。
-清風宿の変-
一方で暗殺役の田英はまず確実に使者を南唐で暗殺するために妙善禅師に戻り使者を南唐にある清風の宿まで助言し導く役となった(契丹人は仏教への信仰が深く妙善の身分はまさに適役だった)そしてもう一人使者団を南唐まで陰ながら護衛する腕が立つ役が必要となり田英は当時江湖で噂になっていた刺客・月神(梨秦秦)に依頼することにした。
月神は謎が多く初めて会った時田英は彼女が盲目で華奢な女性だと驚いた、しかし彼女は盲目のはずなのにただ力強く真っすぐ田英を見つめていた。
すべてを見透かされているようで一瞬躊躇した田英は口を開いた
「どうか一人の命を救ってもらいたい」
月神は簡潔に分かったと答えた
「そのためにはどこの誰かも知らずの無実な人々を殺めるかもしれない」
月神はまたも簡潔に構わないと答えるだけだった
そして田英は報酬は何がいい?一対の瞳はどうだ?
と聞くと彼女は
「いいわ」
と答えた。

準備は整い後は使者団が無事清風の宿まで誘導する機会を待つのみだったがここで恐れていた事態が発生する、清河に入った契丹の使者団ですがその情報は江湖の義士たちの耳にも入り、彼らは集結し臨江宿(主人公の時代では牢獄の場所)に宿泊中の使者団と護衛兵達を襲撃した。



これを察した田英はすぐに月神に知らせを出し自分も急ぎ使者のところへ向かう。襲撃で契丹使者と生き残った護衛は宿から何とか仏光頂のふもとまで来るが義士達に追いつかれ絶体絶命、その時仏光頂は2度目の大きな光に包まれ次の瞬間使者の前に月神が現れ反応する間もなく義士たちの首は次々と身体から離れた。

突然の出来事に驚いた使者は光る仏光頂の方向を見上げるとそこには馬を引き連れた妙善禅師が立っていました。妙善は使者に自らの馬である夜露飛光を渡し
「清風宿 そこならば安全」
と言い残す、これに対し信仰深かった契丹使者は妙善に感謝し夜明けとともに夜露飛光を走らせ南へ向かった。
その後も使者は禅師の言葉を守り南唐が用意した宿を次々と断りひたすら清風宿を目指したという。


使者を見送ったあと田英もまた南へ向い使者を暗殺するのを知ると、月神は田英の南唐での安否を案じて自分も南へ供をしたいと田英に申し出た、彼女の意思はなぜか固く渋々田英が了承すると月神はなぜか田英には嬉しそうに見えた。
こうして二人は三日後に共に清風宿へ向かうため再び落ち合う約束をして別れた…
この間田英は今後万が一のために妙善が懸剣へ繋がる物の処分を行った、仏光頂のカラクリである仏光石も仏彫り職人に半分に割ってもらい片側を苦海彼岸の塔で懺悔修行中の葉万山に、もう片方を春秋別館の留守役の十七坊に渡し十七坊は龍頭の像の中にそれを隠した。
そして三日後の出発の日、田英は約束の場所で月神を待つが結局彼女が現れることは無かった…
任務の期日が迫る中、田英には彼女が何故来なかったのかを考える時間も無く独り早馬を走らせ南唐清風宿へ向かった。
南唐に入り宿に着くと使者の姿を確認した田英は身を潜め暗殺の機会を待った。
そしてこの後の清風宿の変に対して歴史の記録にはこの一文が残っている

この暗殺をきっかけに懸剣の思惑通り契丹と南唐の同盟は破局を迎えたが、南唐はすぐに犯人捕縛のために後周との国境を封鎖、それにより懸剣と田英との連絡が絶えた。
しばらくすると魏先生の元に一通の密書が届く

密書は田英からのもので暗殺は成功、契丹と南唐の策も破れた、だが追手の追跡は厳しく未だに南唐から脱出する事が出来ない、更に南唐はどうやら夢傀儡を使って何かを企んでいると。
魏先生は田英の救出を試みるがしかしこの時すでに後周の世宗 柴栄が北伐後容体が更に悪化しついに959年の7月に崩御。柴栄の子息はまだ7歳と幼くそれを危惧した趙匡胤一派は翌年に陳橋兵変(クーデター)を起こし皇帝として即位すると後周は消滅し宋が建国した。この混乱の中懸剣は実質解散となり江湖で魏先生が頼れるのはもはや我ら主人公の育て親の江無浪のみだった

江無浪は手紙を受け取ると主人公を寒おばさんに預け南唐へ旅立った、これが即ちゲーム開始時で江おじさんが居なくなったきっかけです。
さて江おじさんは田英を果たして救出する事が出来たのでしょうか、それはまた次回田英編最終回で解説致します。
今回はここまでとさせていただきます、ではまた次回お会いしましょう!
清河裏物語その三
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