フィリピン里親の話④|感動の再会のあとにあった現実|国際支援で教えられた「直接支援」の難しさ
15年ぶりの再会。
Facebookで偶然見つけた、
昔の里子。
初めて聞いた声。
15年越しのビデオ通話。
そして、
15年以上前に送った振袖の写真を、
今も大切に持っていてくれたこと。
正直、
私は感動していた。
18歳の頃に始めた小さな支援が、
こんな形で繋がっていた。
そんなことがあるんだ、と。
けれど。
再会は、
感動だけでは終わらなかった。
◆支援団体が言っていたこと
里親制度に参加していた頃。
支援団体から、
繰り返し言われていたことがある。
「個人情報を教えたり、直接連絡は取らないでください。」
「金銭を要求されることがあり、トラブルの元になります。」
当時の私は、
正直、
そこまで深く考えていなかった。
団体のルール。
そのくらいの感覚だったと思う。
けれど、
15年後。
私は、
その意味を、
現実として知ることになる。
◆再会後に聞いた、里子の生活
ビデオ通話の中で、
里子は自分の近況を話してくれた。
高校を卒業し、
結婚し、
子どもが二人いること。
でも、
生活は決して楽ではなかった。
夫は、
トライシクルドライバー をしている。
けれど、
義母とのトラブルで、
乗り物を取り上げられてしまい、
収入源がなくなっているという。
以前、
高校を卒業して間もない独身の頃、
シンガポールへ出稼ぎに行ったことがあったそう。
メイドとして働いたけれど、
一年も経たないうちに帰国したらしい。
私は、
話を聞きながら、
ただ、
「大変そうだな…」
と思っていた。
でも、
その頃の私はまだ、
この話が自分の問題になるとは思っていなかった。
◆「1万円あれば、小さな店を始められる」
ある日。
里子から相談が来た。
「小さな商店を始めたい。」
家で簡単な物を売る、
小さなお店。
それができれば、
生活が少し安定するかもしれない。
そして、
そのために、
1万円が必要だ と言う。
私は、
すぐには答えられなかった。
どうすればいいんだろう。
助けるべきなのか。
それとも、
ここで線を引くべきなのか。
実は当時、
私は里子のことが忘れられなくて、
里子が住んでいた地域の日本のNGO団体へ、
個人的に寄付をしていた。
だから、
その団体の現地スタッフに、
メールで相談してみた。
里子の支援団体は、
今も活動しているのか。
日本人で個人的に支援しているような事例はあるのか。
返ってきた答えは、
少し意外なものだった。
里子の支援団体は、
里子が卒業して数年後、
その地域では、
もう学資支援の必要性が低くなったと判断し、
撤退していた。
そして、
現地スタッフは言った。
「日本人が個人的に支援している話は、聞いたことがありません。」
私は、
少し不安になった。
◆誰に相談すればいいのか分からない
当時、
私はオンライン英会話をやっていた。
そこで、
フィリピン人の先生にも、
相談してみた。
ただ、
先生は都会に住んでいる人だった。
田舎の地域事情までは、
詳しく分からない。
それでも、
話を聞いた先生は、
「聞く限り、大変そうですね…」
と言った。
私は、
分かっていた。
自分からFacebookで連絡を取った時点で、
こういう展開になる可能性は、
ゼロではないことを。
でも。
里子の子ども達には、
お金がないことで、
学校へ行けなくなるような状況になって欲しくなかった。
その気持ちは、
どうしても消えなかった。
そして私は、
悩んだ末に、
送金することを決めた。
◆問題は、送金方法だった
決めたのはいい。
けれど、
次に困った。
どうやってフィリピンへ送金すればいいのか分からない。
オンライン英会話の先生も、
日本からの受け取り方は分からないと言う。
どうしよう。
そう考えて、
ふと思い出した人がいた。
同じオンライン英会話で先生をしていた、
フィリピン人女性。
その後、
ALTとして来日し、
日本で働いていた。
彼女もまた、
弟が大学へ進学できるよう、
日本で働きながら実家へ仕送りをしていた。
だから、
話は早かった。
ALTの彼女。
オンライン英会話の先生。
そして、
里子。
そんな少し特殊なルートで、
送金を手伝ってもらうことになった。
さらに問題があった。
里子は、
英語が流暢ではない。
私との直接のやり取りが、
思うように進まない。
だから、
オンライン英会話のレッスン中に、
私が先生へ事情を説明し、
先生が、
里子へ電話をし、レッスン中に現地語で通訳してもらう。
そんなことまでしてもらっていた。
送金が無事に届くまで、
何度も。
今思うと、
かなり特殊な状況だったと思う。
オンライン英会話の先生も、
本当によく協力してくれた。
そして後から聞いた話では、
先生自身も、
送金する際に、
自分のお金を少し足して送ってくれていたそうだった。
私は驚いた。
私だけではなく、
見えないところで、
誰かの善意が重なっていた。
しばらくして。
里子のFacebookに、
小さな商店の写真が投稿された。
簡単な商品が並んでいる。
私は、
少しだけ肩の力が抜けた。
ちゃんと届いたんだ。
生活が少しでも良くなるなら。
子ども達のためになるなら。
そう思った。
でも、
現実は、
ここでは終わらなかった。
私はまだ、
「直接支援」の難しさの、本当の入口 に立ったばかりだった。
(続く)
次回予告
フィリピン里親の話⑤|善意と依存の間で揺れた話|
「見捨てたら」と思ってしまった私
小さな商店を始めた里子。
けれど、
相談は終わらなかった。
シンガポールへの再出稼ぎ。
必要だと言われた 5万円。
私は、
「助けたい」と、
「このままではいけない」の間で、
揺れることになります。
【フィリピン里親の話シリーズ】
① 18歳でフィリピンの里親になった私|あしながおじさんになりたかった18歳の私
② 新入社員の頃から、遠い国の女の子に支えられていた|私を励ましてくれた、フィリピンの妹のような存在
③15年後、Facebookで里子を見つけた|会えないと思っていた私たちの再会
④感動の再会のあとにあった現実|国際支援で教えられた「直接支援」の難しさ(この記事)
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