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フィリピン里親の話③|15年後、Facebookで里子を見つけた|会えないと思っていた私たちの再会

18歳で始めた、フィリピンの女の子への里親支援。

社会人になって数年間。

仕事に疲れた私を、

遠い国のその子の存在が支えてくれていた。

 

手紙。

写真。

成長の記録。

 

会ったことは一度もない。

それでも、私の中では、

いつの間にか 「妹のような存在」 になっていた。

 

やがて彼女は成長し、

支援期間も終わった。

 

その後、

別の男の子と女の子の里親紹介も受けた。

 

けれど、

忙しさもあり、

最初の子との絆やインパクトがあまりにも強く、

私は数年で支援を辞めてしまった。

 

正直に言うと、

後から紹介された二人には、

途中で支援を終えてしまったことへの申し訳なさが、今も少し残っている。

 

そして、

支援期間が終わると、

私たちは、お互いの連絡先を知らない。

 

連絡を取る方法は、

なくなってしまう。

 

最後の手紙が届いた。

 

英語で、

紙いっぱいに書かれた感謝の言葉。

 

今までの支援への感謝。

 

そして、

「あなたは私の人生の一部です。」

 

そんな言葉も書かれていた。

 

私は嬉しかった。

 

でも同時に、

「これで終わりなんだな」

とも思った。

 

それから、

約15年。

 

私は、まさか、

もう一度彼女と繋がる日が来るなんて、

思ってもいなかった。

 

◆15年後、Facebookで名前を見つけた

ある時、

本当に何気なく、

私はFacebookで彼女の名前を検索した。

 

理由は、

オンライン英会話でフィリピンの先生と話していて、

ふと思い出したからだった。

 

「あの子、今どうしているんだろう。」

 

高校は卒業できただろうか。

元気だろうか。

結婚しているのだろうか。

 

そんな気持ちだった。

 

正直、

見つかるとは思っていなかった。

 

フィリピンでは珍しくない名前。

 

たまたま同姓同名の人が出てくるだけかもしれない。

 

けれど、

検索結果の中に、

里子と同じ名前があった。

 

プロフィール写真を見る。

 

大人の女性になっている。

 

でも、

どこか面影がある。

 

私は少し迷ったあと、

思い切ってメッセージを送った。

 

昔、日本であなたのスポンサーをしていたこと。

もし人違いだったらごめんなさい、と。

 

すると。

 

数日もしないうちに、

返信が来た。

 

彼女は、

私のことを覚えていた。

 

15年以上も経っているのに。

 

私は、驚いた。

そして、

嬉しかった。

 

◆初めて聞いた、彼女の声

やり取りが始まって数日後。

 

「ビデオ通話しよう」

という話になった。

 

けれど、

彼女が住んでいるのは、

フィリピンの田舎の地域。

 

回線環境が良くない。

 

インターネットカフェに行って試してくれたものの、

通信が安定しない。

 

ビデオは難しい。

 

何とか音声だけ繋がった。

 

「Hello…」

 

聞こえた。

 

初めて聞く、

彼女の声。

 

15年以上前、

手紙だけで繋がっていた相手。

 

会ったことはない。

 

それなのに。

 

私は、

何年も会っていなかった妹と再会したような、

そんな不思議な感覚になっていた。

 

嬉しくて、

涙が出そうだった。

 

けれど、

回線はすぐ切れてしまった。

 

少ししか話せなかった。

 

それでも、

十分だった。

 

「生きてる。」

 

「本当に、ここにいる。」

 

それだけで、

胸がいっぱいになった。

 

◆15年越しのビデオ通話

数日後。

 

彼女から、

叔母の家で

「従姉妹の仕事用のノートPCで話せる」

とメッセージが届いた。

 

そして、

ようやく。

 

15年越しのビデオ通話 が実現した。

 

画面の向こうにいたのは、

もう小さな女の子ではなかった。

 

一人の大人の女性だった。

 

彼女は、

高校を卒業し、

結婚し、

二人の子どもの母親になっていた。

 

私は、

ただただ驚いていた。

 

時間が、本当に流れていた。

 

あの小学生の女の子が、

母親になっている。

 

そんな当たり前の事実に、

妙に感動してしまった。

 

話を聞くと、

彼女の母親は、

都市部へ出稼ぎに出たあと亡くなったという。

 

父親は、

昔、家を出たまま。

 

頼れる家族はいなくなっていた。

 

でも、

彼女は笑っていた。

 

子ども達の話をする時の表情は、

幸せそうに見えた。

 

そして、

従姉妹もまた、

昔、日本人の高齢男性から支援を受けていたと話してくれた。

 

ただ、

かなり高齢の方だったらしく、

「もう亡くなっていると思う」

と言っていた。

 

支援というものが、

遠い国の人の人生を、

静かに繋いでいる。

 

そんなことを考えていた時だった。

 

◆15年以上前の写真

突然、

彼女が何かを取り出した。

 

古い封筒のようなもの。

 

そして、

中から数枚の写真を見せてきた。

 

私は、

一瞬、何か分からなかった。

 

次の瞬間。

 

息を呑んだ。

 

それは、

私の写真だった。

 

成人式の前撮りで撮った、

振袖姿の写真。

 

昔、

彼女から一度だけ、

「あなたの写真を1枚でもいいから欲しい」

とリクエストされたことがあった。

 

その時と、

その後、何枚か送った。

 

でも、

それはもう、

15年以上前の話。

 

私は正直、

そんなことすら、

少し忘れかけていた。

 

なのに。

 

彼女は、

全部、

大切に保管していた。

 

折れないように。

 

汚れないように。

 

ずっと。

 

15年以上も。

 

私は、

言葉が出なかった。

 

驚きと、

嬉しさと、

色々な感情が一気に押し寄せた。

 

こんなに大事に持っていてくれたんだ。

 

私にとっては、

昔送った数枚の写真。

 

でも、

彼女にとっては、

15年以上、

手元に置いておくほど大切なものだった。

 

気づけば、

涙が出ていた。

 

18歳の私が始めた支援。

 

手紙だけの交流。

 

会ったこともない、

遠い国の女の子。

 

それなのに、

私たちは、

お互いの人生のどこかに、

ちゃんと存在していた。

 

そして私は、

この時はまだ知らなかった。

 

感動の再会のあとに、

国際支援の「現実」 と向き合うことになることを。

 

(続く)


次回予告

次回は、

「フィリピン里親の話④|感動の再会のあとにあった現実 ― 国際支援で教えられた『直接支援』の難しさ ―」

再会は、感動だけでは終わらなかった。

里親当時、

支援団体が、

「直接やり取りをしないでください」

と言っていた本当の理由を、

私は後になって実感することになります。

【フィリピン里親の話シリーズ】
① 18歳でフィリピンの里親になった私|あしながおじさんになりたかった18歳の私
② 新入社員の頃から、遠い国の女の子に支えられていた|私を励ましてくれた、フィリピンの妹のような存在
③15年後、Facebookで里子を見つけた|会えないと思っていた私たちの再会(この記事)

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