システムの奴隷になるより便所掃除をしていたい
読書家の上司がいる。彼はSFを特に好んでいるが、歴史や人文学にも渡り幅広い知識を持っていることから、仕事に疲れた時によく雑談を交えながら本の話をしている
現在新システムの導入を僕らが担っていることもあり、そのシステムの設計を2人でよく議論している。しかし、なかなか議論はうまくいかずに長い時間をかけた割には良い結論に辿りつかないことが増えてきた。
この時に2人で疲弊してしまい、雑談でクールダウンすることになった。僕が好きなデイヴィッドグレーバーの話を上司がしてきたので、文化人類学的な視点だと、このシステムに関わる議論は社会の何の役に立つんだろうか、という話をしていた。
更には昔のヨーロッパであった神学論争も持ち出し、議論ばかりを続けて進歩はせず、社会に何の価値も提供していない事実を、今の僕らの不毛な議論に照らし合わせて自分たちで皮肉っていたのだ。
こうしてシステムの奴隷に成り下がるくらいなら、いっそのことトイレの清掃員に転職してエッセンシャルワーカーになった方が労働者として心が満たされるんではないか、とその雑談は結論づけられた。この結論では、映画『PERFECT DAYS』をイメージしている。
もちろん、会社員として給与が発生しているので、雑談はここらで切り上げて何とか生産性のある議論に持っていったが、仕事が終わってからこの雑談を振り返ってみても、あながち間違いではないことを話していた気がする。やはりグレーバーが言った通り、仕事の本質は議論には存在しない。
世の中はどんどんシステム化されていき、生産性は向上し続けるだろうけど、システムの奴隷にならぬように気をつけて働いていきたい。
