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AIはどうせ人間の仕事を奪ってくれない

近年、AIが話題になっている。AIは人間を幸福にするのか、はたまた人間の仕事を奪ってしまうのか、どうなるかはわからないけど僕はそれほど単純に考えていない。

悲観論者は「AIに人間の仕事が奪われる」と騒いでいるけれど、それは別にAIでなくても今まで何度でも起こってきたことで、原因がAIにあるわけではない。

iPhoneが発売されて固定電話の需要はなくなったわけだし、自動改札が普及して駅の切符切りはいなくなった。写真フィルムの現像師もデジカメとスマホの普及でいなくなったし、NetflixやAmazonPrimeVideoの普及でレンタルビデオ店員の仕事もなくなってきている。

そもそも、みんな「仕事が嫌だ」と愚痴をこぼしているにも関わらず、いざ仕事が無くなる未来が見えると不安になるのは、一体どういう考え方をしているのだろうか。

20世紀の偉大な経済学者であるケインズは1930年に「百年後、一日に3時間働けば十分に生きていける社会がやってくるだろう」と言ったが、多くの日本人はケインズが予測した100年後である現代に、毎日8時間以上、それどころか12時間以上の労働を投下している人もいるのではないか。

要するに現代社会は加速し続ける資本に巻き込まれるように、全員が成長を促されて働き続けるようにできているのだ。技術革新はそれを加速させるだけに過ぎず、僕らの労働を代わりに行ってはくれないと思う。

ChatGPTの上流モデル「ChatGPT Pro」は月額200ドル(約3万円)掛かるらしい。このニュースを聞いて使いたくなる気持ちももちろん湧いたが、AIにも格差が生じそうだなとも思った。

経済的に豊かな家庭では、子供がGPT Proを使っており、貧困世帯の子供は無料版のGPT3.5を使う。「あいつのAIは賢くない」といったいじめも起こりそうに思えてくる。

だから世の中は根本的には変わらないまま、同じ方向に進歩を続けていくのだと思う。格差も生じたまま、人類は過剰労働を続け、自分の境遇を悔いながら人生を終えていきそうな気がする。

なので、AIが人間の人生を良くするか悪くするかを考える以前に、人生で遭遇する不条理な出来事があっても、その境遇を楽しめるようになっておいた方がいい。

僕はそれを「教養」と呼ぶのだと思っている。高い知能ではなく、どの様に生きるかを考える力が必要だろう。

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