誰でもできる人生を良くする小さな決断
4月と5月は人生で初めて九州を中心に生活をしていた。短期のはずだった出張が長引くこととなり、結果的にマンスリーマンション生活をすることになったのである。ちなみに今の住所は大阪にある。1年前は名古屋、2年前は大阪の別のエリアに住んでいた。
この話を周囲の人にすると「人遣いの荒い会社ですね」「ブラック企業では」といった反応をされることが多い。「妻子持ちじゃないから」といった文脈で何らかの含みを持たせた反応をされることもある。
いずれも最もな意見だとは思うが、自分の人生に責任を持って生きている以上、余計なお世話だと思っている。もちろん僕の身を心配してくれる声掛けは嬉しい。
この移動の多さは僕の会社内での立場だけが原因ではない。僕自身のフットワークが軽く、次第にその印象が社内でも浸透したからに他ならない。何せ、社内には若くて活きの良い単身の社員は複数いるにも関わらず、こういった依頼は真っ先に僕のもとに来るからだ。
僕自身、公私に関わらず、機会があればどこにでも行くようにすることを意識している。
友人が釧路の国立公園で働いていることを聞き「今度遊びに来てよ」と言われた年には釧路まで行って、現地を案内してもらった。別の友人はパートナーとの遠距離恋愛の末に結婚して新潟に移住することとなったが「そしたら新潟で会おう」と言って、長岡市と新潟市で日本酒を飲みながら彼の結婚を祝った。東京にいた頃の友人が西日本に来るときは、できるだけ会うようにしており、東京にいる時以上に仲を深める機会を作れている気さえしてくる。
今回の九州滞在でも、拠点となる福岡だけでなく、アクセスの良さを活かして週末には長崎を中心に大分、熊本とできるだけ多くのスポットを訪れていた。時々、自宅のある大阪まで帰るが、その道中では途中下車をして下関や徳山にも降り、関東や関西住みにとっては貴重な機会を逃すことのないようにしていた。
これだけあちこち行っていると、側から見れば、とてもアクティブだと思われるだけでなく、旅行が好きだといった印象を持たれることも多い。だけどそんなことはない。旅行が好きなのは事実だが、僕は自宅の近くで本を読みながら平穏な時間を過ごすことの方が何より好きなのである。
にも関わらずあちこち行くようにしているは、僕の闘病体験に基づいた価値観によるところが大きい。20代で胃がんを経験したが、手術の前日の病室で自分の人生を振り返ったことを今も強く覚えている。学生の頃の僕は音楽に熱中しており、有り余る学生生活の時間を音楽に捧げてしまい、東京だけで生活を終えていたのだった。そんな人生を手術前日に強く後悔した。
「世界は広いにも関わらず、人生のほぼ全てを東京だけで終えてしまうかもしれない」
この後悔が根強く、今でもチャンスがあれば行ったことがない場所に積極的に行くことにしている。だからこそ、転勤も前向きに捉えているし、遠方に住む知人がいても臆せずに会いに行くこともむしろ楽しめる。
この「少しの無茶」は僕の人生を劇的に良くしてくれている実感がある。こうして以来、僕の世界観は拡がり、世の中への理解の解像度は格段に増した。狭い世界に閉じ込められていた学生から、視野の広い大人に生まれ変われているのである。
そして何より行くのは簡単だ。新幹線も飛行機も充実し切った現代社会において、どこかに「行く」ことは、本質的には誰でもできる。だけど大半の人はそれをしない。だからこそ、少し無茶をして「行く」だけで貴重な体験を次から次へとできるようになるのだ。
今では、日本全国で行ったことがない場所が次第に減ってきている。もちろん、日本はまだまだ広く、言い出したら切りがないけれど、日本地図を眺めた時に今までのあらゆる経験を想起して思いを馳せられるのは、大きな強みになっている。ここ最近は行けていないが、海外においても同様で、それは今後の人生において再び少し無茶をするようになるのかもしれない。
目の前に落ちている「行く」というチャンスは、できるだけ掴みに行きたい。
休日をスマホを見過ぎて無駄にした後悔があるなら、ぜひどこかへ「行く」選択をしてみてほしい。それだけで人生は好転する。

