美食もお酒も楽しまない|それでも旅行を辞めない理由
3月から福岡に長期出張で滞在しているので、週末には九州の至るところに足を延ばしている。関東や関西から九州旅行する場合は飛行機を手配するような距離なので、こうして毎週末に九州のどこかに行ける環境は願ってもないチャンスだと言える。
だけど、僕にとって今までの旅行とは大きく異なる点がひとつある。それは2月頃から禁酒をしていることだ。それにより「旅先で飲食を楽しむ」という娯楽はほとんどなくなってしまったと言っても良い。僕は胃がないため少食であり、旅における食事へのモチベーションは著しく低く、スーパーで済ませることが多くなった。
そうすると、何のために旅行をしているのかを考えてしまっている。ひとりで行くわけだから、移動中は本を読んでいるし、旅先でも本を読むことが多い。それでいて美味いものも食わずに酒も飲まない。何をしに行ってるのかと思われそうだ。
これを自問自答してみたけれど、理由は複数あると思う。ひとつはミッション・クリープが発生してしまい、未だにそれがコントロールできていないことだ。
ミッション・クリープとは軍事用語であり「目的の肥大」を意味する。一か所に旅行に行くと、その旅先の別の場所の知識を得たことから、更に行きたいところが増えてしまい、次第に収拾がつかなくなる。これは読書でも多く起こる現象だと思う。読了本よりも積読本の増加数の方が多い人は多いのではないか。
もうひとつは、不確実性を求めているのだと気づいた。要は予定調和な人生がつまらないのだ。不確実性は知識を更に高めてくれることにも繋がる。
行った事のない土地に行くと、これだけGoogleMapがリアルに見られたとしても、やっぱり行かないとわからないことが多くある。それにより想定していなかった学びを得ることに繋がり、その記憶が蓄積されて、忘れかけた時に新しい旅先で得た知識と繋がるような、そんなことがたくさんある。
例えば、長崎の教会を全て周って隠れキリシタンの歴史に詳しくなったり、製粉技術が伝来した歴史を博多で学んでとんこつラーメンと博多うどんの歴史を語れるようになったとしても、会社から貰える給料は全く変わらないだろう。
だけど、こういった断片的な知識と体験は身体全体に記憶されるため、数年後に何らかの知識と繋がる可能性がある。こうして知的生活が複利のように積み重なって、次第にスケールしていくと、全国のことが自分事のように感じられるようになる。天気予報を見るだけでも、日本中に思いを巡らせられる共感の達人になるわけだ。
だから、ミッション・クリープとして収拾がつかなくなることには注意しつつも、自分の人生から好奇心や共感性が欠如しないよう、不確実性を取り入れるために色々な場所に出向くようにしている。これからもまだまだ色々な場所に訪れたい。人生は短いのだ。
