自由と孤独とスマホについて考えてみた
この前、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』を週末に読んでいた。タイトルは美しいけれど、同時に現実の厳しさも書かれているので読んでいていろいろなことを考えてしまった。読んでいて考えたことを書いてみたい。
基本的に人間は誰もが周りと同じであることに安心感を持つ傾向がある。FOMO(Fear of Missing Out)「取り残される不安」という心理学の用語があるくらいで、自分だけがみんなと違うことに、人は本能的に不安を覚える。
僕は1987年に生まれているので、大学生を過ぎた頃くらいから誰もがスマホを持ち、Youtubeを見て、個人の価値観に沿って生きていくライフスタイルが浸透してきたような傾向を感じている。大切なのは周りにあわせることではなく、個人の自由だという考えが日本にも広まってきていた。
それまでの日本人の価値観と言えば、一億総中流社会と言われるくらいで、受験戦争を勝ち抜いて良い大学を卒業し、一流の企業に勤め、結婚をして子供を産んで車を買って家のローンを組み、定年を過ぎたら悠々自適な生活をするという、人生のロールモデルが存在していた。
僕が生まれた1987年はバブルが弾けたことで、そのロールモデルの信憑性が不確かになり始めたところだったが、定着した価値観は根強く残り、なかなか個人の自由が尊重されることはなかった。しかし、パソコンとiPhoneがそれらに少しずつ影響を与えていくことになる。
大手メディアであるテレビを持っていない若者は増え続けている。誰もが共通の番組を観る時代は終わり、自分が興味のあるコンテンツだけをYoutubeかスマホのアプリで観る時代に置き換わった。
だから、基本的には「みんなと違う自分だけが好きな」コンテンツを観て過ごしているはずだ。周りと同じでいる必要などないし、気にもならないのが普通なのだと思う。
だけど、それでもやっぱり周りと同じでいたい気持ちは強い傾向が見える。会社員でいることもそうだし、結婚ができずに焦る人もそう、新NISAが流行れば誰もがオルカンに投資をしている。
おそらく昔の人たちは「個人の自由」といった考え方をそもそも持っておらず「そういうもの」と思って、迷いのないままロールモデルを追い続けて生活をしていたはずだ。
今はそれが揺らぎつつある時代なため「個人の自由」といっても、何をすればいいのかわからずにアイデンティティに悩む人が増えているんじゃないだろうか。
自由でいることはかけがえのない素晴らしいことだとは思うが、その反面、責任と決断力や行動力が必要とされる。
フロムは人間は誰もが孤独を恐れていると言っていた。それに打ち勝って人を愛するためには、自立をして主体的に人を愛する必要があるが、色んなものが便利になり過ぎた現代にそれを実現するのは本当に難しい。
いっそ昔のロールモデルに身を任せていた方が、よほどぐっすり眠れそうな気がするなんて考えながら、「主体的に生きる」という自由の重さに耐えきれず、スマホをスクロールして時間を浪費してしまう自分が少し悔しい。
