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ゲーミフィケーションな人生|仕事からポイ活まで

ここ最近、週に5日間出張の生活が続いており、行きと帰りの新幹線と4泊分の宿泊の予約をしなければならない。一般的な会社では会社が予約と支払いをして社員は指定された宿泊先に泊まるのかもしれないが、うちは小さな会社だからか、予約から経費精算まで全て自分で行う。

そして一週間のうちに複数の拠点に実際に足を運ぶので、出張先でも移動が多い。

こうして自分で予約して移動してチェックインして…と慌ただしく動いていると、予定通りに物事が進んだ時にゲームをクリアしたような感覚になっていることに気づいた。

ゲーミフィケーションという用語があるが、これはコンピューターゲームの要素を非ゲームの物事に当てはめて人々の行動を促すことを言う。企業で従業員の生産性を向上させるような報酬制度もこれにあたる。ポイ活の様な消費者向けの仕組みもゲーミフィケーションと言えるだろう。

人はあらゆる活動において、刺激や達成を得るとドーパミンが分泌されて快感を覚える。人事評価や金銭的な報酬も発生した場合は自己承認欲求も高まるだろうから、更にハマっていくこととなる。

このゲーミフィケーションの視点に立って、自分の出張生活を俯瞰的に考えてみると、本当にゲームをさせられているような気になってきてしまい、ふと我に返ることとなった。これで本当に良いんだろうか?

高校生の頃に好きだった『封神演義』という漫画がある。アニメ化もされた人気作品だから僕と同じように好きだった人も多いだろう。

紀元前の中国が舞台の仙人と人間の闘いを描いた難しそうな作品だったが、キャラクターも親しみやすくて何度も読みなおすほど好きだった。

『封神演義』では、女媧(じょか)という「絶対的な存在」が世界を創造していて、「人間の不完全さ」に失望した彼女は世界を作り直し続けている。主人公である太公望は、この女媧のシステムに対抗して人類自身の手で未来を選ぶ世界を作ろうと封神計画を進める。

「人間は神の操り人形ではない」というテーマが強調されており、当時高校生だった僕は強く胸を打たれていたのだ。

それが今や会社の指示で出張に向かい、企業が用意したプラットフォームに操られながら、1週間の大半を出張生活に奪われつつ達成感を快感とともに得ている。自分も企業の操り人形になっていると思ってしまうのだ。

本来ならば自分が行きたい場所に行くこと、自分が会いたい人に会いに行くこと、自分が果たすべき役割を果たすことが大切なはずだ。それがいつの間にか全ての活動がタスクの様に落とし込まれてしまい、ゲーミフィケーションの様な人生になってしまっている。

ゲーミフィケーションによって分泌されたドーパミンによって、自分の意思とは関係ないことに快感を覚えてしまい、なかなかそれに気づくことができていないのだ。

知らず知らずのうちに会社の操り人形のように猛然と働いてしまっていたり、ポイ活にハマって本当に自分が欲しいわけではない物を買ってしまったりしている人は、少し立ち止まってみて自分の意思を確認した方がいい。

本来は誰もが「自分は企業や社会の操り人形ではない」と思っているはずだ。少なくとも僕はそうだけど、ここから抜け出すことはなかなかに難しい。

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