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15_噛み合わないホットケーキ

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山本のおばさんは、神棚を確認して満足気にうなづいた。脚立から下りて、神棚に向かって手を合わせる。

「ちゃんと手入れが行き届いてる。あれから特に変わったことはない?」
「う〜ん、特にないかな」
考えてみても、何も思いつかない。
達也と元カノが、急接近したことぐらいしか。

「それは良かった。香菜ちゃんがわざわざ穂結山の展望台に行って、お稲荷さんへお供えしに行った甲斐があったのかもね」

おばさんは、椅子に腰掛けた。

「ありがとう、おばさん。コーヒー淹れるから、ちょっと座ってて」
「気を遣わなくていいのに〜」
「いいから、いいから」

私は厨房でコーヒーを淹れた。
香ばしい香りが鼻をくすぐる。こんな時に食べたいのは、口の中から幸せにしてくれる甘いもの。

熱したフライパンに、乳白色の液体をとろりと流し込んだ。綺麗な円形に、心まで丸くなる。ぷつぷつと浮かび上がる気泡が、ひっくり返すタイミングを教えてくれる。いつもなら、ホットケーキが私に「今だよ」と教えてくれるけど、やっぱり今日も食材からの"声"の合図はない。水玉を壊したせいかと思っていたから元に戻せば声も聞こえると思っていたけど、どうやらそうではないらしい。

食べ物との距離を感じ、胸がちりっと焦がれる。中身の分からない春巻きを出されたみたいに、食べ物のたちが何を考えているか、私には全くわからなかった。
そろそろかなとひっくり返して、小さくため息をついた。

「ちょっと遅かったかも……」
綺麗なきつね色だけど、いつもより色が濃い。どちらかと言えば、たぬき色。ホットケーキからの合図がないだけで、ホットケーキ一枚キレイに焼けない自分が情けなくなる。
仕方がないので、こまめに焼き色を確認しながら、ホットケーキを四枚焼いた。

焼きたてのホットケーキを、皿に二枚ずつ重ねて乗せていく。その上にバターを乗せて、たっぷりはちみつをかけた。コーヒーをカップに注ぎ、お盆に乗せる。

「どうぞ〜」
おばさんの前にお盆を置いた。お盆を一瞥したおばさんの目が、キラリと光るのを見逃さない。

「あら〜、香菜ちゃん、ホットケーキじゃないの。めちゃくちゃ美味しそう!お気遣いありがとうね〜。お父さんには内緒にしなくっちゃ」
おばさんは、肩をすくめた。

「ホットケーキって、たまに食べたくなるんだよね」
私は自分のお盆をおばさんの向かいに置いて、テーブルについた。実はホットケーキには少し自信がある。日曜の朝、私がホットケーキを作ると母は毎度喜んでくれた。

「そういえば、今日は菖蒲ちゃんは?」
私は首を傾げる。
「今日は来てない。お腹がすいたら、遊びにくるんじゃないかな?」

ホットケーキを一口サイズに切って、頬張った。ホットケーキの熱でゆるく溶けたバターのコクと塩味、そしてはちみつの優しい甘さが、舌を包み込む。ほわりとした幸せが口いっぱいに広がった。噛み砕いたホットケーキの生地に、舌が違和感を覚える。私は眉根を寄せた。ざらりとしていて、いつもより少し硬い。

「このホットケーキ、すごく美味しいね。コツがあるの?」

目を細めて幸せそうな表情のおばさんに、私は胸を撫で下ろす。
「うん。ヨーグルトを入れるの」
「ヨーグルト!初めて聞いた!」
おばさんは、目を見開いた。

「これ、お店で出したらいいのに〜。みんな、絶対頼むと思う。お茶の時間とか、ママさんとか子ども連れの人とか喜ぶと思うわ〜」
「いいね、それ」

頭の中に、ぽわんとイメージが湧く。少し高い声色が響く店内に、カラフルな色合いの洋服とかわいい笑い声で賑やかな様子が浮かんできた。絵本のワンシーンみたいな可愛い店内を想像して、店のインテリアを一新するのもアリかもしれないと思う。

今でもランチタイムに、ママさんたちがやってくることもある。けれど、平日のみずたま亭のメインのお客さんは、おじさんや学生さんだ。時間帯によって提供するものを変えたら、客層が変わって私の刺激にもなるかもなんてことを想像して、少しワクワクする。

「でも、それだと香菜ちゃんが忙しくなっちゃうわよね」
「飲食店が忙しいなら、それに越したことないよ」
私が軽く笑うと、おばさんは「それもそうね」と笑った。

美味しいと言ってもらったホットケーキの食感が、コーヒーを飲んだ後も口の中に残っている。食べ物の声が聞こえないだけで、ホットケーキの味が変わるなんて、今まで一度だって考えたこともなかった。

おばさんが帰って一人になった店で、私はいつものように、夜の営業の準備をした。
店の清掃に、米の仕込み。唐揚げに下味をつけて、味噌汁の出汁をとり、食材を切る。いつもは賑やかだった厨房が静まり返っていて、なんだか調子が出ない。食べ物の声がうるさいと集中できないなんて思っていたのに、逆に落ち着かないなんて予想外で自分でも驚く。あまりに静かすぎて、キャベツを切る包丁の音が頭に響くぐらいだ。

けれど、この仕込みの時間にお客さんを入れるとなると、一人で店を回すのはどう考えても難しい。誰か雇えば回せるかもしれないけれど、そもそも店を続けていくかどうかも、まだしっかりと考えられていない。母なら、なんと言うだろうか。きっと、「好きにしなさい」と言うだろう。店を継いで欲しいなんて言葉は、母の口からは一度だって聞いたことがない。

夜営業は、午後五時から午後九時までだ。
早い時間には、近所のおじいちゃんやおばあちゃん、それに仕事帰りのサラリーマンや学生さんに、正体不明の音無さんがやってくる。忘れちゃいけないのが、
十九時になると必ずやってくる酒屋の綿貫さんだ。

今日も綿貫さんは、日本酒の瓶を片手にやってきた。

「今日は日本酒?珍しいね」
「これね、なかなか手に入らないのよ。人づてでやっと手に入って、もしかするとうちに置いてもらえるかもしれないって話でね。今日はちょっと、みずたま亭で試飲させてもらっていい? 香菜ちゃんも飲む?」

綿貫さんは右手で、猪口でくいっと飲む仕草をした。
私は首を横に振る。

「いい日本酒って、美味しすぎて飲みすぎちゃうから、今日はやめとく」
「残念だな〜。今日の魚、何?」

今日の魚定食は、イワシの梅煮だ。梅雨のムシムシした時期でも、梅の酸味でさっぱり食べられる代物として人気がある。綿貫さんは、イワシの“い“の字が出る前に、「香菜ちゃん、魚をお願い」と手を振った。「は〜い」と私も気持ちよく返事をする。

早速、味噌汁を温めた。
味噌汁に沈んでいたいりこが、汁から顔を覗かせた。一瞬、いりこの口が開いたように見えて胸が弾む。しかし、いりこは喋らない。静かにいりこをお玉ですくって、鍋から取り出した。

いりこで出汁を取る時、いつも私は、いりこの言葉に従いながら出汁をとっていた。いりこの量も出汁を取る時間も、すべていりこの指示だった。声が聞こえない今日は、記憶にあるいりこの声を思い出しながら出汁をとった。早速味見をしてみる。我ながら、しっかり出汁が取れていると胸を張った。

綿貫さんの前にお盆を置く。
イワシを箸で摘んで口に放り込むと、綿貫さんはお猪口の日本酒をキュッと飲んだ。目をギュッとつぶって、「うまいなぁ」と噛み締めている。

「そういえばたっちゃん、転職したんだっけ?」
「知ってたの?綿貫さん」
綿貫さんは、頭を上下に動かした。
「うん、この間、ここで会った時に聞いた」
「そうなんだ。仕事は決まったらしいけど、行き始めるのは、来月からだって」
「お、もうすぐだねぇ。しっかし、今は時代が違うよなぁ。一昔前までは、ひとつの会社で務めあげるのが美徳みたいなところがあったけど、今は自分にあった場所を探す方が大事だもんなぁ」

綿貫さんは、味噌汁をずずと啜った。
「ん?」
少し低めの、唸るような声が店内に響く。
「ねえ、香菜ちゃん。この味噌汁さ──」



次回予告 16_信じられない味噌汁
綿貫さんって、ただの酒好きのおじさんかと思ったのに、意外に鋭い?
いつも通りの店内に不穏な空気が立ち込め始める。

#創作大賞2025 #ファンタジー小説部門


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