14_急転直下のいなり寿司
「なんで、菖蒲さんとジョージさんまでついてきてるの?」
達也の車の助手席から、私は後部座席を一瞥する。クラフトビールを飲みながら思いついたアイデアを実行するため、次の日、私は達也の車に乗っていた。
「香菜の妙案とやらが、うまくいくとは限らんからな。念の為だ」
「わしは、面白そうじゃからじゃ」
菖蒲さんは隣に座るジョージさんを、鋭い目つきで睨みつけた。
「よくわかんない組み合わせだけど、とりあえず穂結山の展望台に行けばいいわけ?」
達也はしっかりと前を見据えながら、ハンドルを握っている。せっかくのドライブデートになるはずが、うまくいかないものだと私は肩を落とす。
「そう。稲田くんの話だと、穂結山の展望台近くの神社で、琥珀っていう狐に取り憑かれたみたいなんだよね」
「で、香菜は、そこに行ってどうするつもりな訳?」
「鈴菜の真似をするつもりか」
菖蒲さんの一言に、私はこくりと頷いた。
「ジョージさんに『きつねうどん一杯で、狐が手を引くか?』って聞かれた時、私、思い出したんだ」
私は、膝の上に置いていた紙袋を一瞥する。
「何を?」
達也が私を横目で見た。
「お母さんさ、毎月欠かさずに、お稲荷さんを作って出かけてたんだよね」
「そうなの?」
私は深く頷いた。
「そう。小さい頃は私も一緒に来てて。穂結山でピクニックしてるだけだと思ってたんだよね。正直、お稲荷さんの記憶はあんまりなくて。でも、私が大きくなってからも、お母さんは一人で来てたっぽいんだ。特に理由は聞いたことがなかったから、深く考えたことはなかったんだけど、多分、琥珀にお供えをしてたんじゃないかと思って」
「香菜ちゃん、それは鋭いかもしれん」
ジョージさんが、ぴょんと私の膝に飛び乗った。
「やっぱり?」
「きつねうどん一杯ではなく、継続的な供物のおかげで、みずたま亭は長い間、狐の嫌がらせを避けることが出来ていたのかもしれん。供物をいきなり辞めると、お稲荷さんは裏切られたと感じることがあるんじゃ。もしかすると、お母さんが亡くなったことで供物が途切れ、みずたま亭に恨みを持ち、再びみずたま亭に現れた可能性が高い」
ジョージさんは珍しく真剣な顔をしている。
「そうなの? 菖蒲さん?」
私は後部座席を振り返った。
「まあ、その可能性はあるな」
菖蒲さんは腕組みして、ゆっくり瞼を動かす。
「香菜ちゃん、なんで菖蒲ちゃんに確認するんじゃ」
ジョージさんが、頬を膨らませた。
「おっさんは、あんまり信用されるタイプじゃないよな」
達也がツッコミを入れて、車の中が明るい笑い声で包まれた。
展望台に到着。私たちは祠の場所に向かう。
「場所はわかるのか?」
「山本のおばさんに聞いてきた」
展望台の裏手のひっそりとした山林に、荒れた小道があった。確かに石造りの階段が、上まで繋がっていて、何かがありそうな雰囲気を感じる。
私たちは、石造りの階段に足をかけた。空気はしんと澄んでいて、風が吹くと木々のざわめきだけが耳を突いた。あまりの静けさに、二段目に足をかけることを躊躇する。
「本当にここであってるの?」
達也に尋ねられて、「多分」と答えた。
ゆっくりと階段を上る。徐々に草花の背が高くなり、石造りの階段は苔に覆われ始めた。ただの山奥なにび、異空間に入り込んだ違和感を感じる。普段感じることの無い緊張が、体を包んだ。足元に力が入る。
「うわっ」
私は、足を滑らせた。
「大丈夫か」
背後を歩いていた達也が、咄嗟に支えてくれる。
「あ、ありがとう」
「この辺り足元が悪いから、俺が先に行くよ。ほら、香菜」
達也の大きな手が私に向かって、ぬっと伸びた。私は達也の手を取る。大きくて温かい手に包まれると私の手のひらに、じわりと汗が滲んだ。
「菖蒲さんも手、つなぐ?」
達也の手を見つめていると、急に気恥ずかしくなった。私は後ろを歩いている菖蒲さんに、声をかける。
「香菜、私を誰だと思っている。猫だぞ」
「だよね」
山間の冷たい空気で、頬の熱が冷やされた。
石造りの階段を登りきると、蔦が巻き付いた朱色の鳥居が目に飛び込んできた。
「あれじゃない?」
「あれっぽいな」
私たちは鳥居の前に立ち、深々と頭を下げた。
鳥居をくぐると、すぐに狐の石像。右には狐の石像があるが、左には見当たらない。
「これが、稲田くんが直した石像かな」
「だろうな」
菖蒲さんが石像を一瞥した。
しばらく誰の手も入っていない祠は、荒れ果てた姿だった。
私たちは落ち葉を取り払った。少しだけ綺麗になったところで、持ってきたいなり寿司をお供えした。みんなで横に並んで手を合わせる。
「これで、大丈夫かな?」
「さあな。狐に聞いてみないことには、わからん」
「だよね」
祠の周辺は、水を打ったような静けさだった。話すことの無い相手と、向かい合ってフランス料理を食べている時の、フォークとナイフの音だけが響く、あの独特の空気感によく似ている。何か気まずい。不思議な事でも起きれば、来た甲斐もあったのに。
「香菜、これって毎月お供えしないと、また変なこと起きるんじゃないのか?」
達也の質問に、私は頭を掻いた。
「……そうだよね。確かに、そうかも」
口に手を当てて、眉をしかめる。来月のことまでは考えていなかった。
「あ、俺付き合うよ。香菜は車ないから、ここまで来るの大変だろ?」
「え、あ、あ……」
思いがけない提案に、私は咄嗟に返事ができず口ごもる。
「よかったな、香菜。これで安心だ。達也、頼んだぞ」
菖蒲さんが軽く笑って、
「達也は優しいなぁ。香菜ちゃん、よかったねぇ」
ジョージさんも、口元を緩ませた。
どうやらこの二人には、私の気持ちはお見通しらしい。
それなら、二人きりにさせてくれればいいものを。
私たちは再び頭を下げ、祠から立ち去った。
風が吹く。ねっとりとした皮膚にまとわりつくような風だ。背後に鋭い視線を感じ、私は振り返った。もちろん誰もいない。一瞬、お稲荷さんのあたりで、琥珀色のモヤが動いた気がした。食べてくれれば嬉しいけれど。私はもう一度頭を下げる。
来た道を戻り、展望台に戻ってきた。
多めに作っておいた、いなり寿司を広げる。
「いなり寿司、うまいよな」
達也が、大きな口でいなり寿司を頬張った。
「私も大好きなんだよね」
一口頬張ると、ジュワッと甘辛い醤油がおあげから染み出した。ごまがたっぷり入った酢飯が、口の中でほろほろと崩れる。酢飯に混ぜ込んでおいた、たっぷりの炒りごまのプチプチとした食感がアクセントで心地いい。甘酸っぱい幸せが、鼻から抜けていく。
「これは、うまいな」
菖蒲さんも目を細めた。
「香菜ちゃんは、本当に料理上手じゃ。いいお嫁さんになるなぁ」
朗らかな空気が流れ、私の頬が緩む。
こんな時間が、ずっと続けばいいのに。
「そういえば達也、仕事っていつから変わるの?」
「あぁ、来月から」
「結構早いんだね」
「そう。今の会社には事前に相談しておいたから」
「頑張ってね」
私がポンと肩を叩くと、「ありがとな」と達也は笑った。
「あ、そういえばさ」
達也が何かを思い出したように、声を上げた。
「ん、どうしたの?」
どこからともなく大きな雲が現れて、穂結山の上にぽっかり浮かんでいる。明るい日差しが遮られ、一瞬辺りが暗くなった。
「風間さんって覚えてる? 同じ中学だった」
「あぁ」
私は興味なさげに返事をした。忘れるはずがない。風間さんは、達也の最初の彼女だ。
「面接に行って知ったんだけど、風間さんHOMUSUBI CRAFTに勤めてるんだよね。事務職なんだけど」
「えっっっ!」
ベンチから転げ落ちそうになった。間の抜けた大声が、展望台に響く。
「そんなにびっくりしなくても」
「風間さんって、達也の元カノの?」
達也は軽く笑った。
「よく覚えてるね。そうそう、その風間さん。久しぶりに会ったけど、全然変わってなかったよ。香菜の話をしたらさ、風間さんも懐かしがってて、みずたまに食べに行きたいって言ってた」
「そうだね。ぜひ」
私の右の頬が、引き攣った。思わず空を仰ぐ。頭上に浮かんでいたのは、灰色の雨雲だった。
次回予告 15_噛み合わないホットケーキ
穏やかな日々が訪れると思いきや、突然のライバル登場?
風間さんとか、トラウマでしかないんだけど。不穏すぎて萎える。
