見出し画像

20_楽しげな夏野菜の豚汁

<前を読む      はじめから      次を読む>


「なんですか? "ゲッパク"って」

ぼんやりした視界が開けると、そこには眉根を寄せた稲田くんがいた。
「稲田くん。なんでここに?」
「香菜さんこそ。こんなところに座り込んで、どうしたんですか?」

私は、稲田くんに抱えられながら立ち上がる。
霧はすっかり晴れていた。目の前には、以前ここに来た時と同じように、荒れ果てた祠が静かに立っている。

「お供物をね。ちょっと」
「ふ〜ん。そうなんですね」

私は、手に持っていた赤い風呂敷が、ないことに気づく。祠に目をやると、赤い風呂敷が神殿で広げられていた。重箱の蓋も開けっ放しになっている。私は神殿に近づくと、開いている重箱を覗き込んだ。

「琥珀が食べたんですかね」
背後から稲田くんも覗き込んでいる。
「そうかもね」
私は空になった重箱を、風呂敷で包んだ。

二人で並んで賽銭を入れる。
二拝二拍手一拝。
背筋が伸びた。重たかった体がすぅっと軽くなる。

稲田くんと階段を降りて、展望台に向かった。
爽やかな風が吹く。鬱蒼と茂る木々を抜けると、視界が開けた。展望台だ。鮮やかな赤い夕焼けが、目に飛び込んでくる。こんなに綺麗な夕焼けを今まで見たことがあっただろうか。雨で澄んだ空気が、真っ赤に染まっていた。

「うわぁ。綺麗」
「ほんと、綺麗ですね」
「来てよかった」
「僕もです」

稲田くんは、私に向き直る。
「香菜さん、どうやって来たんですか?」
「バス」
「稲田くんは?」
「営業車です」

私はプッと吹き出した。
「もしかして、またサボり?」
「そうですね。そうなりますかね。僕、みずたま亭まで送りますよ」

私は首を振った。
「いいよ、悪いし」
稲田くんは肩をすくめて、バス停の時刻表を指差した。
「平日の夕方は、バス、ないですよ」

私は稲田くんにお礼を言って、営業車の助手席に乗り込んだ。
「それにしても、稲田くんはなんで、お稲荷さんにいたの?」

「なんか気になっちゃって。多分、琥珀って悪いやつじゃないと思うんですよ。確かに『いなりパーク』とか意味わかんないことは言ってましたけど、無理やり何かをしてるって感じじゃなくて。思い返せば、手探りで営業してくれてる感じでした。それもあってか、なんか憎めなくって」
「なんか分かる」
私は小さく頷いた。

「それで僕、営業頑張って他の部署に行きたかったんですけど、狐に心配されるぐらい壊滅的に営業が向いてないんで、会社辞めることにしたんです。元々、設計事務所に入りたかったんですけど、就職できなくて。希望の職種でもないし。今日は、その報告に」

なるほど、と私は大きく顔を上下に動かした。

「そういえば、香菜さんはお仕事を辞められてから、お母さんがやってたみずたま亭を継いだんでしたっけ。どうしてお店、継がれたんですか?」

車がゆるく止まった。赤信号。母親に手を引かれた女の子が、横断歩道を渡っていく。女の子は白線だけを踏んで、楽しそうに渡っていた。母親は優しく微笑みながら、女の子を見つめている。どこか、私と母に重なって見えた。

「そうだねぇ。色々理由はあるのかもしれないけど、結局は、お母さんもあの店も好きだったっていう、単純な理由かも。もちろん、料理も好きだけど」
信号が青になる。稲田くんは私を一瞥して前を向き直ると、車を発進させた。
「いいですね、そういうの。導かれるみたいで。運命って言うんですか? よくわかんないけど。僕も何かないかなぁ」

赤い空が、次第に紺色に染まっていく。雨上がりの空はスッキリしていて、一番星がはっきり見えた。

「ありがとう、送ってくれて」
私は助手席から降りる。
「あ、お礼に何か食べていく?」

稲田くんは声を高くした。
「え?いいんですか?あ、でも、これ置いてきていいですか?」
車を指差す。
「もちろん。用意しておくね」

走り出す秋常不動産の営業車を、私は見送った。
店に入る。張り紙はそのままにした。今日は稲田くんの貸切だ。

米を研いで、浸水させる。稲田くんの戻ってくる時間を考えて、少し短めの三十分。その間に、冷蔵庫から豚肉とたっぷりの夏野菜を取り出した。お店で出す時は母譲りの豚汁だけど、今日は香菜特製の夏野菜の豚汁にする。おくらにトマトに茄子とパプリカという変わり種だ。

オリーブオイルで豚肉を炒めて、別の鍋で取っておいた出汁を注ぎ込む。乱切りにした茄子を入れてくつくつと煮る。おくらとトマトとパプリカを入れるのは、お味噌と同じ食べる直前。

土鍋に水を浸しておいたお米を入れて、火にかけた。
ぐつぐつと沸騰する音が、静かな厨房に鳴り響く。いつもは聞こえていたはずの、お米たちの歌声が懐かしい。

厨房の隅の椅子に座り、湯気を眺める。
ゆっくりと流れる時に、体がゆるりと溶けていく。

がらっと店の戸が開いた。
「香菜さ〜ん、今日、お店やってないんですか? 僕、入って大丈夫ですか?」
稲田くんの声が、誰もいない店内に響く。
「あ!今日は、稲田くんの貸切だから」
「まじですか? 悪いですよ!」

私は稲田くんに向き直る。
「もう作っちゃったから、食べてって。お腹空かせたまま帰したら、定食屋の恥だから」
稲田くんは、腹の虫で返事をした。頬を赤らめる稲田くんに、私は大きく口を開けて笑った。

「ほら、早く座って」

豚汁を温めて、茹でておいたオクラとトマト、パプリカを入れる。ぐつぐつ煮立ったところで、火を止めて味噌を投入した。

土鍋に目を向ける。ご飯がふっくらと炊き上がっていて嬉しくなった。
しゃもじですくって、濡らして塩をつけた手にのせる。熱いけど、この熱さにはもう慣れた。具材は梅干しと昆布の佃煮。いつもなら、握り加減はご飯たちが教えてくれたけど、今日も声は聞こえない。いつもより慎重に握っていく。

丼にカラフルな豚汁を注ぎ、大きなおにぎりは皿に乗せた。お盆は二つ。

「うわぁ、美味しそう!」
稲田くんは目を細めた。
「私も一緒に食べてもいい?」
「もちろん!」

二人で向かい合わせになって、手を合わせる。
「いただきます!」

豚汁ずずっと啜る。しっかり出汁も効いていて、色んな食感が楽しい。ナスのトロッとした食感に、パプリカの甘みが口に広がった。トマトの酸味が複雑に絡み合う。
おにぎりも頬張った。ご飯がほろっと口の中で解ける。自分で言うのもなんだけど、いい出来だ。

「これ、めちゃくちゃ美味しい!初めて食べたけど、すっごく美味しいです!」
目を一文字にした稲田くんの表情から、その言葉がお世辞ではないことが伝わってきた。
稲田くんも大きな口を開けて、おにぎりを頬張る。

「やっぱり、おにぎりめちゃくちゃうめぇ!」

私は思わず破顔した。
「嬉しい!ありがとう!」

稲田くんは顔の前で手を振った。
「これ、ホントですからね。お世辞じゃないんで。マジでうまいです」
「ありがとう」
私は頭を下げた。

「稲田くんはお酒飲む?」
「日本酒が好きですかね」
「大人だね」
私が目を見開くと、「大人ですよ」と稲田くんは頬を緩めた。

とぼけている印象の稲田くんだったけど、話してみると、案外しっかりしていた。昔から建築に興味があることや出身地、好きなお酒に好きな音楽。なんてない会話と日本酒が、疲れた体にゆるゆると流れた。ふわふわと心地よい。頬が熱を帯びる。

「香菜さん、僕思ったんですけど、穂結山のお稲荷さん、直してあげた方がよくないですか?」
「確かにね〜」
「放置されてると、誰だって荒れますよ」
「でも、神社って勝手に直していいのかな?」
「そうですよね〜」

私と稲田くんは首を捻った。
何かいい方法はないものか。

「神社に詳しい人がいればいいんですけどねぇ」
稲田くんの一言に、私は目を見開いた。
稲田くんも、自分の言葉で閃いたようだった。


「いるじゃん! 神社に詳しい人!」




次回予告 21_華やかなパンケーキ
神社に詳しい人といえば、二人いる。もちろん、それはあの二人。
絶対に相談に乗ってくれるはず!私、ナイスアイデア!

#創作大賞2025 #ファンタジー小説部門


いいなと思ったら応援しよう!