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家の中にも、VARが欲しい。



サッカーワールドカップの決勝を見ていて、ふと気づいたことがあります。

決勝の審判は、軽い接触ではほとんどファールを取っていませんでした。

普段の試合なら止まっていそうな場面でも、笛を吹かずにプレーを続けさせる。

最初は「あれ、今の取らないんだ」と思ったのですが、見ているうちに、これはこれで一つの哲学なんだと気づきました。

ファールを取りすぎると、せっかくの好プレーが分断されて、試合のリズムが崩れてしまいます。

選手も委縮してしまう。
かといって、流しすぎるのも問題です。「なんでも許される」という空気になれば、プレーは荒れますし、ケガのリスクも上がります。

取りすぎても、取らなすぎても、試合に影響が出る。

決勝という大舞台だからこそ、審判は「選手同士の勝負を極力邪魔しない」というバランスを、相当な集中力で保っていたのだと思います。

これ、けんかと同じでは


そんなことを考えながら試合を見ていたらリビングから子供たちの声が聞こえてきました。

「パパ!〇〇が叩いてきた」
「パパ!〇〇が悪口言ってきた」


その瞬間、「あ、これ同じ構造だ」と思ったんです。

上の子と下の子の喧嘩の「審判」って、実はサッカーの主審よりずっと難しい仕事なんじゃないでしょうか。


VARもリプレイもない。
証言は両方とも、自分に都合よく編集されています。ものすごい一瞬で、自分に都合の良い感じに。これはこれで、感動しますが。

しかもサッカーには、ある程度共通認識としての「ルール」があります。

でも喧嘩には、「上の子だから」「今日は下の子が我慢することが多かったから」といった、その日ごとに揺れ動く暗黙のルールしかありません。

同じ行為でも、文脈次第で「セーフ」にも「アウト」にもなる。

それでいて、毎回きっちり親が裁定を下していると、子どもは「親が介入してくれるのが前提」になってしまい、自分たちで折り合いをつける力が育ちません。

かといって放置しすぎれば、力の強い方が押し切って終わる、という不公平が積み重なっていきます。

取りすぎても、取らなすぎても、影響が出る。まさに決勝の審判と同じジレンマが、我が家のリビングでも起きていたわけです。

VARが欲しい、と思ったけれど


正直、何度も「家でもVARが欲しい」と思いました。

「あ、これ3秒前に下の子が先に手を出してますね」って、一発で解決してくれたら、どんなに楽か。

でも、よく考えてみると、VARがあっても揉める気がします……

プロのサッカーですら、オンフィールドレビューの結果に監督や選手が納得いかないことは珍しくありません。

きょうだいの場合、たとえ映像で「上の子が先に手を出した」と証明されたとしても、「でも下の子が先に嫌なことを言った」と、文脈の反則を主張してくるはずです。

心理分析つきの副音声まで入れてくる、なかなか手強い選手たちです。

これ、おそらく我が家だけの話ではなくて、多くの親が同じように悩んでいるんじゃないかと思います。


ここから先は、実際に我が家でどう「介入の線引き」をしているか、そして「白黒つけない着地のさせ方」について、もう少し具体的に書いていきます。


介入する/しないの線引き


決勝の審判が「軽い接触では止めない」と判断していたのには、おそらく一定の基準があったはずです。
きょうだい喧嘩も同じで、線引きを持っておくと、親自身の迷いがぐっと減ります。

我が家で意識しているのは、次のような基準です。

身体的な危険があるかどうか
手が出た、物を投げた、など「ケガにつながりうる」ラインを越えたら即介入

一方的な力の差があるかどうか
年齢差・体格差で明らかに勝負にならない場合は、対等な"試合"として成立していないので介入

どちらかが本気で助けを求めているかどうか
遊びの延長の言い合いと、本当に困っている状態は、声のトーンや表情で見分けがつく

逆に言えば、この3つに当てはまらない「言い合い」レベルは、基本的に流します。決勝の審判が「選手同士の勝負を邪魔しない」ことを優先したのと同じで、子ども同士のやり取りの継続性を尊重する、というイメージです。

白黒つけない着地のさせ方


介入すると決めた場合でも、「どっちが悪いか」をジャッジすることが目的ではありません。

サッカーの審判も、ファールを取った後にやることは「誰が悪いか」を延々と説明することではなく、プレーを止めて、次に進めることです。

きょうだい喧嘩も同じで、親の役割は名判定を下すことではなく、その場を収めて、次に進める合図を出すことだと思っています。

具体的には、

「どっちが先か」の事実確認は、深追いしない(すればするほど泥沼化する)
「じゃあ、ここまでにしよう」という、区切りの言葉を先に置く
感情が落ち着いてから、必要であれば個別に話を聞く

という順番を意識しています。判定の精度よりも、収拾のうまさ。これは仕事のトラブル対応にも通じる感覚かもしれませんが、それはまた別の機会に書きたいと思います。

本当に育てたいのは「自分たちで折り合いをつける力」


長い目で見たとき、きょうだい喧嘩を通じて子どもに育ってほしいのは、「喧嘩をしないこと」ではなく、「喧嘩をしても自分たちで折り合いをつけられること」だと思っています。

親が毎回きっちり判定を下していると、この力は育ちません。判定してくれる審判がいなくなった瞬間(学校や社会に出た瞬間)、子どもは途方に暮れてしまいます。

だからこそ、「介入しない」という判断は、「放置」ではなく、子どもたちの成長を信じて任せる、という積極的な選択なのだと、自分に言い聞かせています。

とはいえ、リビングから聞こえてくる喧嘩の声を聞きながら「今のは介入ラインか、様子見ラインか」を瞬時に判断するのは、正直、決勝戦の審判より疲れます。今日もまた、笛を吹くタイミングに悩みながら、リビングに向かいます。

皆さんは、きょうだい喧嘩、どう"裁いて"いますか?

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