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     ぼちぼちと

          一

 キミ・カニンガム・グラント『この密やかな森の奥で』。
 人里離れた森の奥深くにある家に、壮年の男が八歳の娘とふたりで暮らす。男は元軍人で、事故で内縁の妻を亡くしたらしい。そしてなぜか娘との生活を、徹底的に社会、世間から隔絶し、営んでいる。娘を学校に通わせることなく。スーパーにゆくことすらなく。
 どうやら男は、男なりになすべきことをなした結果、娘とともに隠れ住む仕儀に至った模様。生活物資は、男の友人が一年に一度運んでくるのだが、その当日に友人は現れず。…
 感涙必至、号泣の物語、泣きましたという惹句、レビュー、感想の類いを私は好まない。同じ感情になれればよいがたいていそうはならないし、むしろ白々しく感じられた場合が往々にしてあり。陳腐で安っぽいお涙ちょうだいほどしらけるものなんぞ他にあろうか。数多の人が涙するらしいものにできぬという自分自身が、もしかしたら異常なのだろうかと疑惑をもたされたり自己嫌悪を誘われたり、それも私が好まない心理にありそうだ。
 さりながら、あえて述べる、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。どの箇所か、は伏せるが。
 男は善良で無垢、に近い、素朴といってもよい。頑丈で運動神経に優れ、地理感覚が異常に鋭いという特色があり、元軍人でPTSDを抱えてはいるものの。そんな善良で素朴な男が、ただ自分の守るべきものを守ろうとし、守ってきた、それだけのことでしかない。それがなぜ困難な状況を招き、苦渋、葛藤を生んでしまうのか。
 社会の、人の世の不条理、としか言いようがないが、その負というのか苦を象徴するものとして、亡き内縁の妻の両親の存在がある。さりとて彼らとて悪意の人ではなく、すくなくとも彼らにとっては彼らなりの善意があり、また、悪意があるとしても、それだけに占められた存在でもない。当たり前のことだが。
 男とて、いくら善良で素朴とはいえ、まったき善なる存在ではないわけであるし。
 決着のつけ方には議論が分かれるところだろう。はたしてBestであろうか。されどBestとは認められないとして、Betterではあると、私は思う。そしてBetterを選択してゆくしかないのが人生ではないか、とも。Betterを和訳すれば「ぼちぼち」ということになるのだろうが、折り合いをつけぼちぼちやってゆくより仕方がないのだろう、人生というものは。
 男の秘密、得体の知れない不気味な隣人、近くで起きた殺人事件。それらが明かされてゆくミステリー、サスペンス、ハードボイルド。ジャンル別けすればそうなるわけだが、人間描写、自然描写が巧みで、詩情があり、詩そのものも作品を彩り、彩りは詩以外の文学作品もあり、心弾む。近ごろ読んだばかりの『時をさまようタック』、『荒野へ』が出てきて、うれしい驚きもあり。
 メアリー・オリバー(Mary Oliver)の『ある夏の日(The Summer Day )』という詩が出てくるのだが、名と題のみで中身がないため探してみると、状況にぴたりと合う。いかな状況であるかは、本著に当たれたし。

 The Summer Day 

 Who made the world?

 Who made the swan, and the black bear?

 Who made the grasshopper?

 This grasshopper, I mean-

 the one who has flung herself out of the grass,

 the one who is eating sugar out of my hand,

 who is moving her jaws back and forth instead of up and down-

 who is gazing around with her enormous and complicated eyes.

 Now she lifts her pale forearms and thoroughly washes her face.

 Now she snaps her wings open, and floats away.

 I don't know exactly what a prayer is.

 I do know how to pay attention, how to fall down into the grass, how to kneel down in the grass,
 how to be idle and blessed, how to stroll through the fields,

 which is what I have been doing all day.

 Tell me, what else should I have done?

Doesn't everything die at last, and too soon?

Tell me, what is it you plan to do with your one wild and precious life?



 「ある夏の日」

 この世をこさえたのは、だれ

 しろい鳥だとか、くろいクマをこさえたのは、だれ

 バッタをこさえたのは、だれ

 このバッタ、そう

 草むらから飛びだしてきた、この子

 いまこの手のうえでシュガーにかぶりつくこの子

 あごをたてに動かすのではなく前うしろに動かす 

 おおきくて複雑な目であたりをみまわし

 しろい前腕を上げて、ねんいりにかおを洗って

 たったいま、飛びたってゆく

 ほんとうの祈りとはなんぞやなんて、そんなことはしらない

 でも、草むらにねころがることとか

 草むらにしゃがみこんだりはしっている

 ほがらかに、野原をあるいたり

 日がなそうしてきたんだもの

 聞かせて、ほかに何をしたらよかったとおもう

 いずれみなはかなくなりゆく、またたく間に

 聞かせてよ、あなたはどうしてゆきたいのかを

 なんでもありのこころおどる、一度きりの、とびっきりな人生を

  (日本語訳 佐々木広治)

 本著は、この世で人として生きてゆく上での、ままならぬなかでいかに折り合いをつけ、可能な限り最善と思える選択をできるのか、という問いかけであると、私はとらえた。主人公たちは手さぐりでそうして歩んでゆくのだ。
 まさかここまで胸揺さぶられるとは、想像だにしなかった。
 末尾に著者へのインタビューが載せてあり、お勧めする著作のリストがあるのもよかった。たいていの解説というのは、無くてかまわぬもの、どころか、ない方がよいものが多数であるから。この著者のものが訳してゆかれることを、望み、願う。シンプルなようで一筋縄ではゆかぬ複雑な味わいのある、汚泥のうえにも澄んだ星空がひろがるような、そんな素敵な作品。


       二

 誰踏みそめしかたみぞと

 問ひたまふこそこひしけれ

 何故であろうか、このところ、島崎藤村のうら若き時分の有名な詩を、気がつくと思いおこしている。
 狡猾な偽善者と芥川龍之介が評し、私なりに、ではあるが同意でき、唯一まともに読んでいた『破戒』にはまったく感心しなかったこともあり、厭悪感しかもたず、彼の作品を避けてきた。そんななか、手にしたあるアンソロジーに彼の短篇があり、嫌々、渋々といった体で、そぞろに読んでみて──選者を信用して、というのでもなく、ろくに読まずに決めつけることを好まない信条と、やはり好みでないと確認したかったのかもしれない──、驚嘆し、いまでは厭わず読むようになっている。そのきっかけとなった一篇とは『ある女の生涯』。そういう背景も働いているのであろうか。
 昨年、早寿を迎えた。生活保護を受給しメンタルクリニックに通院する独り身の、人と接することのほぼない一日を重ね続けていて。当日もだれにも祝われることのなく過ぎ(誕生日すら、LINEで三人からメッセージがあったのみ)、また、そうでなくとも早寿で祝われる、祝うことなぞ一般的にも稀なのではないか。ちなみに後十年で迎える還暦は、赤いチャンチャンコを着せたり、赤いものを贈るようだが、早寿では青いもの、であるらしい。おそらくそう歴史のある風習ではなさそうだけれど、どうなのだろう。
 世間一般からしたら惨めでみっともない状態であるのだろうが、私自身においては不安だとか焦燥だとか哀しみだとか、心の搔き乱されることの比較的すくなく、穏やかな日々をすごしている。昨年の後半にいまいるアパートの一室に引っ越ししてくる前までは、片時も心の休まる時はなかったわけであるから、もとよりいまは何の憂いなく、というわけにはゆかぬものの、その過ぎ去りし時からすれば雲泥の差、極楽といっても過言ではないかもしれない。
 引っ越ししてきて半年以上たち、環境に馴染んできた余裕、ひらいた空間にうたかたのように浮かびきたのが、藤村のういうしい林檎の香のする詩であった。

    初恋

 まだあげ初めし前髪の

 林檎のもとに見えしとき

 前にさしたる花櫛の

 花ある君と思ひけり

 やさしく白き手をのべて

 林檎をわれにあたへしは

 薄紅の秋の実に

 人こひ初めしはじめなり

 わがこゝろなきためいきの

 その髪の毛にかゝるとき

 たのしき恋の盃を

 君が情けに酌みしかな

 林檎畑の樹の下に

 おのづからなる細道は

 誰踏みそめしかたみぞと

 問ひたまふこそこひしけれ

 有り様だけみれば、まこと繊細で感じやすい、微笑ましく、まぶしくもある純情。言わずもがな筆さばきの妙。この砌はこのとおりの性情であったのであろうか。後に至っても清廉で端正な文章をものされる人であるから、なかなかに判断はつけ難いが、さりとてさまで藤村という人に興味はないため詮索する労を私はとらない。作品だけ見てゆけばよいのだ、私にとっては。
 閑話休題。「初恋」の詩がうかび、そこからおのが初恋の思い出が、それに準じる恋の話が、つぎからつぎへと縷々数珠繋ぎに表れてくる、というのは、ありきたりのようだけれど、胸ときめく、あまたの耳目を集める導入にはなろう。鼻で笑いつつ、内心羨んでしまいそうだ、私とて。
 然り、私にはそういった思い出なるものが一切ない、というのか、思いあたらないのだ。初恋はいつのことであったろう。保育園のころであったような気がされ、そしてそれは砂をかけられたかして泣かされたときに庇ってくれた男の子だったような気のされるが、されどそれはいまの性的志向を自覚したときから、自らの萌芽を探るという操作のおこなわれたもので、いわばフィルターがかかったものである気配もあり、確信をもてない、というより、おそらくそのときには好きという心もちさえ湧かなかったような気がされなくもない。
 故に、ありていに、正確にいえば、初恋はいつであったのか分からない。恋自体、片思いをふくめるとしても、どれくらして、いかな人であったかは、今になると朧でよく憶えていない。単純にもの忘れが激しくなってきた、ということもあるのだろうか。そんななかでも、とある職場の同僚だとか、某ゲイ・バイ専用出会い系サイトの人だとかは、記憶に焼きついてはいるものの。
 恋というものを、得恋のみとするならば、皆無となる。すこしゆるめてつき合いをした人にすれば、たった一度だけ、それらしいものはある。
 さりながら、あれは恋であった、という認識が、私にはない。一時期までは、あんなもの恋愛でもなんでもないと不愉快に思っていたものであった位。消し去りたい人生における汚点だ、と。
 相手にとっては恋愛であったのだとしたら、ずいぶん酷い言いようだが、飾っても仕方がない。おざなりな建前の、きれいごとなんぞ、だれが読みたいと思うものだろうか。読みたい奇特な人がいるかもしれないが、私はちがう。そういったものを読みたいとは思わないので、腹蔵なくつづける。
 スマホどころか、今ではガラケーと卑称される携帯すらまだ一般的でない時代のこと。その時分の同性愛者の出会いは、所謂ハッテン場だとか、ゲイバー、ゲイ雑誌の文通欄くらいしかなかった。ハッテン場だとかゲイバーは都会にしかないわけで、自動的に選択肢は文通欄のみとなる。田舎では雑誌の入手すら難しい。どの書肆でもおいてあるわけではないのだから。
 私自身、初めてゲイ雑誌を手にとった、その前に実物を目にし、知ったのは東京の古びたちいさな書肆であったから。その時分には親もとに暮らしていて、家は東海地方の片田舎にあった。
 文通欄で募集したり、手紙を送ったりするも、当然田舎は人数がすくなく、反響のなく、結局つながったのは東京の人ばかり。
 初めて会いにいった人。泊めてもらい、なにもしないと言われるも寝ているときに恥ずかしめられた。あれが初体験、といえるだろうか。白々とした思いしかなく、はやく終わればよいとしか思わなかった。事後、泊まるということは承諾しているということだよなとニヤつきながら言われた。帰り、その人は駅まで送ってくれたが、改札口を抜けふり返ると、こちらを一顧だにせずさっさと帰りゆく後ろ姿を見た。それから電話があったりしたが、もとより固定電話で、母が出たときに酷い態度であったらしく、母が不快がっていたのを憶えている。傷ついたのは意に反して恥ずかしめられたことより、その後に言い訳がましく言われたことや、さっさと踵を返して帰っていったこと、肉親に無礼な態度をとったことどもによるものであったように思う。そういった人と、私は交際してゆきたいとは思えないので、絶交した。理由が分からないらしく、通話口から感情的に罵られたものだった。分からないところが、理由であろうに。造作自体、気色のわるい人であったように記憶する。
 その付近、直後あたりであったろう、また別の東京在住の人に会いにいった。小柄で中肉中背でゆるいパーマをかけた、自称三十八歳。その前に会った人よりは、印象がよかった。宿泊したとき、夜這いをかけてきたりせず、改札では見えなくなるまで見送りしてくれていたし、手土産ももたせてくれた。如才ない、というのか、紳士的、というのか。忌憚なくいえば好みではなかったが、苦痛だとか不快なことをする人ではなかったため、交際することに決めた。好みでない、というのは単純に外見のことであり、年齢差も含まれる。
 その当時私は、二十歳そこそこ。それで相手が三十八歳であれば、云々するほどの開きではない、と人によっては思うものかもしれない。いまの私自身、そう言うかもしれない。ただし、間違いなく相手が三十八歳だとしたら。
 初対面ですぐ、サバを読んでいることが見てとれた。当時、両親がぎりぎりまだ四十代であったと思う、その両親よりさらに齢を重ねているようだ、と。肌の垂れ具合だとか体つきだとか、うすくなりはじめた頭髪をカバーするためのパーマだとか、もろもろから受けた印象であったろう。後に白状させたところ、事実、両親より十いくつ上だとのこと。両親どころか、祖父母に近い年齢。いまの私より歳かさ。親はいまの私より年下。嗚呼。
 無論かなり年上の、老いた人が好みという人もいるだろうが。されどその男自身、そういう相手とは付き合いたくないらしく、それは年相応に見られたくない、という見栄からであるらしい。バレたのは初めてだと言われたものだった。よっぽど鈍い人ばかりであったのか、私のようにぶしつけに訊く者とは出会わなかった、というだけのことか。おそらく後者であろう。
 ここまでで予想可能だろう、とても円満とはいえぬ交際となり、一年くらいで終わったのではなかったか。私は付き合ってやっている、という意識を態度にも露骨に出し、頻繁に腹を立て当たってもいた。
 何ゆえ日常的に男に激していたのだろうか。後年そんな自分を訝り、申し訳なく思いもしたものだったが、いま思いあたるのは、年齢詐称されていてすぐに打ち明けられなかった、ということが、私にとっては意外に大きく影響していたのではないか、ということ。たかが二十や三十サバを読んだことくらいで、と人は笑うのかもしれない。たしかに些細なことだとして、そういうことをしてしまう根というものがあり、その根に拒絶反応をおこしていたのではないか。もしかすると、私自身齢を重ねてゆくなかで、またその見え方がかわってくるのかもしれないが、いまの時点ではそういうふうに捉えられる。
 根の現れとして、その具体的例をあげるべきだろう。はたしてその幹であり枝であり葉であるかどうか、私自身判断がつかないものの、印象に残っている出来事がいくつかあり、そこからふたつほど並べてみる。
 ひとつは、あるときの会話。テレビを母と見ていた。手術を受けて女体化した男性と親のドキュメンタリーであったと思う。母は私にこう言ったものだ。
「どんなふうになろうが、あんたが私の子どもであることに変わりないんだからね」
 その話を年齢詐称の男にはなすと、
「知らない人は、ゲイがみな女みたいななりやふりをすると思うものなんだよ」
 と笑っていた。そういう話をしているわけではないのだが。なんと返したらよいか分からず、私は黙す。
 もうひとつ。男の肉親が、私の住む片田舎のとなりの市に別荘を所有していて、そこに時おり招待された。もちろん利用はふたりきりで。そこに私の高校生の時分の友人をよんだ。詳細は省くが、複雑な事情を抱えた人で、私は私なりに力になってやりたく、友人にとっては未知の世界を見せてやることによって、なにかしら壁というのか殻というのか、破れるのではないか、ショック療法というのか、等考えた上で、私が提案し。下手の考え休むに似たり。
 当日付近からなにか嫌な予感がしていて、よぶのは止そうと男に言ったものだ。いまさら断れないんじゃないか、と、またわからず屋なことをと、男からは呆れ流された。
 男は友人に、男性同士のAVを見せていた。もちろんDVDのない時代であり、VHSのテープのもの。友人はゲイではなかったが発情し、男はそれを見越していたものであろう、私と友人を寝室にふたりきりにし、男はべつの部屋で寝ることにした。友人から迫られた。泣いて頼まれもしたが、私は断った。その後、友人は泣きながら男の部屋にゆき行為したそうな。翌日、男は平然と話していた。
 それをおりに、私は友人と絶交した。
 ここまでで男とも私から別れたのだと思われそうだが、実際には男から。交際するための費用が捻出できなくなったという経済的理由により。金の切れ目が縁の切れ目ということか。
 私はまったく求めてなく控えてくれと頼んだこともあったのだが、無理して貢いでくれていたらしい。装飾品をもらったり、金銭をもらうまではなかったものの、稼ぎがそうあるわけでない還暦過ぎの老人には厳しかったのだろう。
 そして世話してくれる人を紹介してくれると言われたが当然拒み、それを機に、こちらからも完全に関係を断った。あんなことはなかったし、あんな男は知りもしない。私はだれとも交際したことがないし、肉体関係はまだ未経験だと思いこもうとした。汚れを掻きおとすように思っていたのは数年ほどであったろうか。汚点でしかない、と厭悪感に震えていたものだったが、今になると、感情をかき乱されることはほとんどない。倫理観の欠けた男の非ばかり並べてきたが、私にもむろん非はあろう。そも、安易に会いにいったりつき合ったりしたのは他でもない私自身の選択。そうしたのは、実は捨て鉢になっていた時期であったから。どうなろうとよいと。故に文句を言える立場でもない。成人していたわけでもあるし。
 かろうじて交際といえる時間をもてたのは、後にも先にもあのときばかり。唯一があんなふうというのは、やりきれないような、でも、私らしくもあろうか、と滑稽味を感じもされる。自暴自棄になっていた時期にしては、あの程度で済んで不幸中の幸いではあろうし。あれから恋愛で実質的になにもなく、早寿を迎え。
 「薄紅の秋の実」ではなく腐り茶がかった晩秋の実となった我。「人こひ初めしはじめなり」はよく分からず、ただ一方的な片思いばかり重ね、「わがこゝろなきためいきの」ため息というのかゲップをし、放屁し、無作法だとか下品と眉をひそめられる心配なく、し放題の日々に、なんの感興をもよおすこともない思い出がういてくるのを、そぞろに眺め。

 花ある君と思ひけり

 やさしく白き手をのべて

 

          三

 尹東柱(ユン・ドンジュ)윤동주を私は愛す。作品としては詩集『空と風と星と詩』(하늘과 바람과 별과 시)これ一冊のみ。
 尹東柱の詩は、純度が高い。それは、この濁世において、濁りの度合いが低い、ということ。繊細でこころ優しき少年の心象。
 若さもあって社会的発言をしたい気持を鬱勃と抱えながも、作品のうえでは抑圧し、省き、あからさまには表さない。性格だとかキリスト教の影響もあってことだろうが、それがかれの特質であり、方法なのだろう。
 第二次大戦末期。創氏改名で「平沼東柱」とせられる。強制的に日本名をつけさせられた。私淑する詩人、鄭芝溶(정지용)にそのことを「恥ずかしいです」と打ち明けると、恥ずかしいという気持を持ち続けることが大切だと言い聞かされる。日本に留学中、同じく留学中であった従兄の宋夢奎が朝鮮独立運動をしていたため治安維持法違反容疑で逮捕され、煽りをくらって尹東柱も逮捕され、獄死する。
 死因は人体実験であるとされ映画化される際もその説が採用されてあるが、かれを永年探求しつづけた大胡吉朗の『生命の詩人・尹 東柱』によると、どうやら事実ではないらしい。
 どの国の囚人によらず、日本国全体が饑餓状態であり、刑務所は余計そうであって、栄養失調で衰弱死した、というのが真相らしい。日本人の囚人とおなじく。だから仕方ないとか許せるとはつゆ思えないし、言いはしない。
 ありていに言えばとばっちりで逮捕され、そもそも従兄の活動とてたいした脅威にもならないものであったらしいし。
 「道」という詩をことに好む。失してしまったのたです、と始まり、自分が生きているのは失したものを探さねばならないからです、と閉じる。はたして見つけられたのだろうか、見つけられたのであって欲しいと、切に願う。見つけられなかった、その前に断たれてしまったろうと思うから余計に。
 日本人であることに、これほど恥ずかしく申しわけなく思ったことがない。そして、慙愧と罪の意識を決してなくしてはならない、と改めて思いもする。それは自虐でも阿ることでもなく、日本人として必要なことで、日本人より前に、人として必要なことと確信しているから。そういうことにも、気づかされる。

 모든 죽어가는것을 사랑해야지

 그리고 나한테 주어진 길을

 尹東柱と同年生まれというと、日本の書き手でいえは柴田錬三郎、島尾敏雄、峠三吉、等がいる。峠三吉といえば、

 ちちをかえせははをかえせ

 としよりをかえせ

 こどもをかえせ

 わたしをかえせ わたしにつながる

 にんげんをかえせ

 にんげんの にんげんのよのあるかぎり

 くずれぬへいわを

 へいわをかえせ


 最近、『空と風と星と詩』の一篇「山あいの水」の「苦しんでいる人よ」とは、自他いずれを差すのか解釈の定まらなさをいう一文を読んだ。

「山あいの水」

 苦しんでいる人よ 苦しんでいる人よ

 風に裳裾ははためいていても

 胸ふかくこんこんと湧き水が流れ

 この夜とともにいうべき言葉をもはやもたない。

 街の騒音とはともに唄えやしないのだ。

 煤けたように川辺に坐っているので

 愛と仕事は街なかにあずけ

 そおっと そおっと

 海へ行こう、

 海へと行こう、

 (金鐘時訳)

 素直に読めば他者にかけたものだとわかる筈なのだが。呼びかけになっているわけだし。また、尹東柱の人となりを思い併せたとき、他者にかけたもの、と捉えた方がすんなり呑み込める。序詩に、こうあるわけだし。

 序詩

 死ぬ日まで天を仰ぎ

 一点の恥じ入ることもないことを、

 葉あいにおきる風にさえ

 私は思い煩った。

 星を歌う心で

 すべての絶え入るものをいとおしまねば

 そして私に与えられた道を

 歩いていかねば。

 今夜も星が風にかすれて泣いている。

 (金鐘時訳)

 すべての絶え入るものをいとおしまねば、と。
 私の場合は、一点どころでなく恥じ入ることばかりだ。そして恥じ入る気持ちをなくしてはならぬと思いもする。鄭芝溶を真似るわけではないが。そして、私なりに、私に与えられた道を歩いゆこうと思う。ぼちぼちと。



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