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小説【まだ嗅いだことのない花の香り】17

6-1

 洋介が六本木の東洋テレビに着いたのは、午後二時を少し過ぎた頃だった。三木は「会社に顔を出します」とだけ言い残し、東京駅で別れた。彼の顔には、終始どこかかげりがあった。洋介もまた、同じだった。この業界に入るきっかけをくれた恩人の死はあまりに重く、まだ現実として受け止めきれずにいる。
 鳥山は、自宅のガレージで車の排気ガスをホースで引き込み、まるで古いサスペンスドラマのようなやり方で命を絶ったのだという。遺書も残されており、そこには「今回の騒動のすべての責任は自分にある」と、はっきりと書かれていた。
 ──だが、引っかかることがある。
 そもそも、あの『脅迫メール』は何だったのか。制作費の削減をめぐって揉めてはいたが、鳥山との関係は良好だった。洋介が局に転職する際も、「うちから局員が出るなんて嬉しい」と、我がことのように喜んでくれた。洋介も、できるかぎり鳳プロダクションに便宜を図ってきたつもりだ。なにより、鳥山は裏で汚い手を使うような人間じゃなかった。
 洋介は駅の階段を急ぎ足で駆け上がった。息を切らしながらエントランスに足を踏み入れると、すぐに何人かの社員の視線が突き刺さった。
 『いつか世界の空港で』をめぐる不正は、すでに社内に知れ渡っている。洋介はうつむき、逃げるようにエレベーターへと滑り込んだ。
 制作局の幹部席には、今、対峙すべき男がいた。
「葛木、話がある」
 人目をはばかり、二人は空いていた会議室へと足を向ける。葛木は無言のまま背を向けて歩き出し、扉を閉めると、苛立ちを隠そうともせず吐き捨てるように言った。
「ホテルで待機しとけって言っただろ。何やってんだよ。こっちはお前の番組の後始末で手一杯なんだ」
「鳥山さんが、亡くなったらしいな……」
 洋介は単刀直入に切り出した。
 時間がない。幹部の目に留まれば、即座に制止される可能性がある。鳥山のことを、どこで聞いたのかを問い詰められるのは面倒ではあったが、もうそんな小さな駆け引きをしている余裕はなかった。
「知ってたのか。おかげで朝から大騒ぎだよ。世間じゃ『テレビ局の下請けいじめで自殺』なんて論調になりかけてる。記者の電話も鳴りっぱなしだ」
 そう捲し立てた葛木は、次の瞬間、鋭い視線を洋介に向けた。
「上は、情報のリーク元を探ってる。鳥山さんが、自分が関わった不正をバラして死ぬなんて、筋が通らない。まさか、本当にお前じゃないよな?」
「違う! たしかに、あのメールは俺のアカウントから送られてた。でも、俺が送った覚えなんてない。リークして、俺に何の得があるって言うんだ?」
「お前が冨樫さんと辞めたがってるって話、俺が知らないとでも? 辞める前に会社に泥かぶせるつもりだったんじゃないか?」
 疑念に満ちた視線が突き刺さる。洋介は、初めから疑惑の中心にいたことを思い知らされた。
「誘われたのは事実だ。でも、そこまでの義理を感じてるわけじゃない。自分で立ち上げた番組を、自分で潰すなんて、そんな馬鹿なことするはずがないだろ」
 洋介も必死だった。濡れ衣で、大恩ある鳥山の死の引き金を引いたなんて思われたくはない。
 そのとき、会議室のドアが勢いよく開いた。
「何してる、鮫島」
 等々力局長だった。普段の柔和な物腰が嘘のように、その顔には抑えきれない苛立ちが浮かんでいた。
「出社停止だと言ったはずだ。目立つ行動は控えろ!」
「私じゃありません。自分の番組を壊すような真似、するわけがありません」
「制作費の不正、関係者の死。もう、お前だけの問題じゃないんだ。君のパソコンは、すでにシステム管理部で解析した。やはりあのメールは君のアカウントから送られていた」
「私のメールを確認できると言うことは、会社の人間だったら、私のふりをしてメールを送ることもできると言うことですよね?」
「なんだ! 貴様は局の誰かがわざわざ自分の会社の不利になる事をやったというのか!?」
 等々力は、抑えきれず声を荒らげた。
 これ以上、自分の正しさを主張したところで、自分の立場は変わらないと、諦めにも似た感情が洋介を襲った。
「……私は、この先、どうなるんでしょうか」
 それが洋介の本音だった。幹部に突き放され、ついに後がないと悟ったとき、はじめて未来が怖くなった。
「制作からは外れてもらうことになるだろうな。そうだ、ちょうど冨樫くんのポストが空いている。どうだ? 彼とは師弟関係の君だ、跡継ぎにはお似合いだと思うが」
 その言葉に込められた皮肉の刃は鋭く、洋介の胸を切り裂いた。等々力は、それ以上言葉を交わすことなく、勢いよくドアを閉めて出ていった。
 静まり返った会議室で、葛木はようやく口を開いた。
「とにかく今は言うことを聞け。お前がコケれば、俺も、等々力さんも巻き添えなんだ。管理職ってのは、そういうもんだ。それが分かってて、お前を陥れると思うか? 少しは冷静になれ」
 そう言って、葛木は部屋を出て行った。

~つづく

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