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【読書録】『秋津温泉』藤原審爾

今日ご紹介する本は、藤原審爾しんじの小説『秋津温泉』

私が読んだのは、集英社文庫版(昭和53年出版)。紙の本は絶版になっているようで、古本を購入した。なお、新潮社のKindle版もある。

藤原審爾(1921 - 1984年)は小説家、直木賞作家。純文学、恋愛小説、ミステリーまで、幅広い作品を世に出した。本作品『秋津温泉』は、彼の代表作だ。1950年代からは「藤原学校」とよばれる勉強会を開き、三好京三、山田洋次、江國滋、色川武大、高橋治らの後進を育てたという。

私は、昨日記事にした奥津温泉の「奥津荘」さんに宿泊した際、この小説の存在を知った。こちらのお宿の休憩室で、地域のプロモーションビデオ的な番組を流していた。そこで、この『秋津温泉』という作品が、奥津温泉をモデルにしたものだと知ったのだ。

また、この作品は、映画化もされている(1962年、吉田喜重監督)。主演は、岡田茉莉子と長門裕之。古い作品なので、私自身は知らなかったが、私の母親に聞くと、昔は有名だったと言っていた。

奥津温泉の旅から戻って、この作品を小説で読み、映画も観てみた。以下、両方の作品の感想をまとめておく(ネタバレご注意ください。)。


小説『秋津温泉』

全体を通して、流れるような文章が、とても美しかった。叙情的で、繊細で、一分の隙もない。

まずは、自然描写が素晴らしい。なんという誌的で豊かな表現力だろう。冒頭の秋津温泉という温泉街についての描写が、とりわけ美しかった。今の奥津温泉の雰囲気にも、そのまま、よくあてはまっている。

 秋津温泉は単純泉だから、とりたてた薬効もなく、土地も辺鄙な山奥にあるので、あまり人に知られていない。湯宿も山峡やまかいのせまい土地へわずか一町たらずあるきりで、別府や伊東のように、温泉客めあての遊び場やバアなどもない。温泉町というはなやいだところが少なく、ー 山峡の谷間を拓いた町にしては広過ぎる表通り、その表通りの両側へ軒々を並べた宿という宿が、一様に広い格のある古びた庭と、厚味のある白壁の多い、棟の頑丈な家なので、ー むかし城下町であったような、ものさびた落ち着きをもっている。
 その、町を縦に、坂となって通っている広い表通りは、農閑期になると、付近の農家から骨休めに来た人々の往来で、いくらかごみごみする。しかし、その季節が過ぎれば、その広い通りに人影も稀れになり、宿々の門さきの打水の濡れあとが、いつまでも乱されず残った。打水へ山国の柔らかい光りがとどいている日など、秋津という湯の町は、澄んだ水底のようになった。
 人どおりも少なく町はいたって閑散であったが、湯治の客がないわけではなく、ただ、この町にほどよい客しか滞在していないのだった。ほどよい客の数で、秋津の生計はなりたって行くらしく、年ごと、町のどこかでぼつぼつ増築された、新しい屋根が見うけられた。
 表通りは古めいた造りの宿が多いが、通りから裏筋へむけると、直ぐ迫ってきている山裾の杉林の中に、赤瓦緑瓦の瀟洒しょうしゃな洋館が散在している。古めいた表通りとこの瀟洒な洋館の別荘は、かけはなれたものながら、澄んだ山の気の中でみょうにしっくりと調和していた。それは、なにか秋津という湯の町がその深い教養で、二つの逆な世界のものを静かにかき抱いているようだった。
 この、秋津がもっている深い教養のような落着いた気配に、一度この町を訪れた人々は誰も魅せられてしまうらしかった。だからふりの湯治客より、例年冬を越しに来る画家とか、夏の盛りに子供連で訪れる語学教授の一家などという、この温泉そのものより町の気配のよさに惹かれて訪れる人々が多かった。

p3-4

そして、感情の描写も素晴らしい。官能的なシーンもあるのだが、直接的な表現は一切使っていない。そのためか、却って、ドキリとさせられる。

「それだよ、そんなたあいもないものだよ、それっきりのものだよ!」
 虚しいものから脱れようとはげます声を、蒼白い月の映えた畳へのり出たお新さんはうけとめて、豊かな乳房の胸で喘ぎながら、はげしくうなずきながら、
「これなのね、たったこれきりのことなのね!」
 かすれたその声が、不思議に清浄な余韻を残して、薫物の香の淡くこめた閑謐な気配のなかへ溶けて行った。たなびくその清浄な余韻にあやされ、すべての力をかけてたたかったあとのような、安息な虚脱感の深みへ、私もお新さんもしばらく昏々こんこんと沈んで行った。

p181-182

(・・・)お新さんは湯舟の中で背すじを伸ばし、その背を私に向けて、
「まあ、綺麗! ー」
 倖せのこぼれるような、陶酔に気遠くなった美しい声をたてた。お新さんの目の先の小窻こまどの、湯気に濡れたガラス越しに、山の峰の空いちめんの朝焼けが清々しい淡紅の色をたたえているのであった。

p183

 そのお新さんの純白な裸身の遥かで、朝焼けはその紅を映えかわし、その紅いの色を深めながら、次第と秋津の空へひろがって行った。

p184

なお、巻末には、井伏鱒二と小松伸六による解説が付いている。いずれも、その表現力をほめたたえている。

<井伏鱒二による解説>

(・・・)初々しくて澄明なところ、戦争の混乱した世相と対蹠的で特に引き立った。二十一歳で書きだしたのにしては対人物の観察が鋭く大人びているが、底抜けに詩情ゆたかな筆致である。(中略)
 謂わば姉妹作の「煉獄の曲」と共に、これは藤原君の第一期恋物語である。 

p187

<小松伸六による解説>

 たしかに「底抜けに詩情ゆたかな筆致」であればこそ、妻子ある主人公(周作)の<私>と結婚前だというお新さんとの官能の一夜にも、不潔感がなく、第四章「煩悩去来」での直子さん、お新さんと三人の危機をはらんだ出会いも、美しく逃れることができたのであろう。<詩情>=(美)が<倫理>に立ちまさっている作品なのだ。前半はメルヘンの世界での恋物語、後半は、なまぐさい恋物語になってゆくのだが、私がなお、この作品をメルヘンというのは、<底抜けの詩情>によるものだ。もしかすると、この作品の主人公は<私>ではなく、秋津温泉という架空の山峡の澄明で静寂な温泉の気配、、(けはい)が主人公であるかもしれない。

p195

映画『秋津温泉』

原作からは、ストーリーにかなり改変が加えられていた。原作で登場した少女が出てこなかったり、結末がドラマチックな展開になっていたりと、やや驚いた。

それでも、自然豊かな温泉地で繰り広げられる切ない愛の物語として、完成度は高いと感じた。岡田茉莉子は、ただただ、美しかった。長門裕之も悪い男を上手に演じていた。ふたりの濃密な演技と、ドロドロとしたストーリーに引き込まれた。

そして、「秋津」の美しい自然と、昭和の温泉宿の鄙びた情景が醸し出す世界観に魅了された。明らかに奥津温泉がロケ地となったもので、「奥津荘」に宿泊したときに見た集落の情景の面影があった。また、先日記事にした「般若寺温泉」も、はっきりとそれとわかる形で登場した。

また、津山城のシーンもあった。桜の咲き乱れる津山城は美しく、ふたりの主人公を引き立ていた。城ガールの私にとってはボーナスのようなものだった。

山あいの片田舎の鄙びた温泉地がお好きな方には、小説も映画も、きっと気に入っていただけると思う。ご興味のある方は、小説か映画か、できればその両方をご覧になって、奥津温泉、般若寺温泉、津山城などをめぐってみていただきたい。きっと、しっとりとした情緒を感じられる特別な旅になるのではないかと思う。

ご参考になれば幸いです!

小説『秋津温泉』はこちら。

映画『秋津温泉』はこちら。

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