「"幸せ"は人それぞれ」
私は、JAF(日本自動車連盟)が会員に送付する雑誌「JAF Mate」を愛読している。そのなかでも、「幸せって何だろう」というシリーズが好きだ。「幸せ」というお題についての、著名人によるリレーエッセイだ。
同誌の2022年春号に、漫画家・文筆家であるヤマザキマリ氏によるエッセイ「"幸せ"は人ぞれぞれ」が掲載されていた。
私は、彼女の代表作である『テルマエ・ロマエ』が大好きだ。古代ローマと日本を行き来するルシウスという主人公の、お風呂をめぐるドタバタが無茶苦茶面白くて、何度、お腹を抱えて笑ったことか。
しかし、ヤマザキ氏のこのエッセイを読むと、彼女が、同作品のイメージからは全く想像できないような、苦難の多い人生を送られてきたことが分かった。
そして、このエッセイを締めくくる、以下のくだりに大いに共感した。
この世には、家族や帰る家のあることこそ幸せだと捉える人もいれば、束縛のない自由奔放な風来坊的暮らしが幸せだと感じる人もいる。名誉や物欲を満たすことで幸せだと感じる人もいれば、戦火から逃れ、命があるだけで、生き延びられるだけで究極の幸せを感じる人もいる。生きることに挫けないために人間がそれぞれ生み出す“幸せ”は、果てしなく多様であり、そしてその価値観は、押し付けるものでもなければ、押し付けられるものでもないのである。
実は、私は、最近、近しい家族を亡くした。彼は、不治の病を宣告され、寝たきりとなり、意識も不明となった。余命は長くはなさそうだが、あと数日かもしれないし、数か月かもしれない、という状況になった。
わたしたち家族は、看取りの方法についての決断を迫られた。在宅介護をしながら看取るか、病院の緩和ケア病棟に入院させるかの二択だ。
在宅介護は、投薬、栄養補給、下の世話など、家族に多大な負担を強いる。彼の場合は特に、睡眠薬が効かず、夜中に何度も苦しみの声を上げ、家族の睡眠も妨げられていた。他方で、緩和ケアに入院となると、コロナ禍のため、容易に会えなくなり、最期の瞬間に立ち会える可能性も低くなる。
どちらにするかを決めるために、家族会議を開いた。意見は真っ二つに割れた。
在宅介護をすべきだという意見は、「彼は、自宅にいて、家族と過ごすほうが幸せなはずだ」という理由による。他方で、病院の緩和ケアに入れるべきだという意見の理由は、「病院にいてプロの看護を受けられるほうが、苦しまないはずだ。」というものと、「彼の家族思いの性格からして、家族に在宅介護の負担をかけることは望まないはずだ。」というものだった。
どちらの側も、彼ができるだけ幸せにその生涯を終えられるように、できるだけのことをしたい、という願いを持っていた。それぞれが、それぞれの視点で、彼の意思を想像して、彼の幸せが何なのかを、推しはかろうとしていた。しかし、それぞれが、反対側の解釈に納得できず、感情的な言い争いになってしまった。
結局、彼は、議論の決着がつかない間に、息を引き取った。しかし、この件で、家族間の関係は、決定的にこじれてしまった。
このタイミングで、ヤマザキ氏のこのエッセイを読んだ。「幸せ」の価値観は、果てしなく多様である。押し付けるものでも、押し付けられるものでもない。この言葉が、私に重くのしかかった。
あの家族会議のとき、彼に意識があり、通常の判断能力があったとしたら、私たちに、どうしてほしいと言っただろうか。私たちがどうするのが、彼にとっての「幸せ」だったのだろうか・・・。
今となっては、もう、誰にも分らない・・・。
* * *
※ヤマザキマリ氏の本エッセイは、以下のJAF Mate Onlineからも読めます。
※よろしければ、同シリーズのエッセイについて感じたことを書いた、以下の記事もどうぞ。
哲学者・鷲田清一氏による「幸せは小刻みに」について。
フリージャーナリスト・稲垣えみ子氏による「幸せってなんだっけ」について。
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