見出し画像

The Dance of Eternity (14)

生物進化において抑制性が果たす役割

『The Dance of Eternity(13)』では、エピジェネティクスのメカニズムを組織マネジメントに応用することで経営環境の変化に対して柔軟で適応力の高い組織を構築するアイデアについて述べましたが、そこにはエピジェネティクスに関して重要な論点が抜けています。

エピジェネティクスのスイッチは、本来表現されるはずだった形質を抑え込むフタとして機能しています。遺伝的形質を電球に例えると、自然に点灯するはずの電球に対して、メチル化やヒストン修飾のようなエピジェネティックなメカニズムがフタをして光を遮るようなものです。このようにして、一部の電球が消灯状態になり全体としてモザイク模様のような外観になります。

初期設定は点灯状態なのにエピジェネティックなスイッチが働くと消灯状態になる。メチル化やヒストン修飾といったフタが、本来発現するはずの遺伝的形質を抑え込み形質全体の表現をコントロールしているのです。これは日本の有名な教育会社が使っている「やる気スイッチ(スイッチを押すと何かが活性化される)」と真逆で、エピジェネティクスは「抑制の仕組み」なのです。

日本の教育サービス会社:やる気スイッチグループ
「やる気スイッチ」が入ると勉強に熱が入る

エピジェネティクスの抑制性を議論する前に、生物進化全体に内在する抑制性について考えてみましょう。日本の生物学者・高木由臣は、「有性生殖には、本質的に抑制的な側面がある」と述べました。曰く、有性生殖が遺伝的多様性を促すと同時に、不適切な変異や有害な遺伝情報の拡散を抑える働きを併せ持つというのです。進化の過程で生物が獲得した有性生殖という再生産のメカニズムは、無性生殖と比べて非効率的ですが、雌雄両親という複数の別個体から遺伝情報を引き継いで遺伝子がシャッフルされることで、環境に適応した多様な子孫を生み出す可能性が高まる一方、不適応な変異や有害遺伝子が次世代へ伝わるリスクを減らす抑制的な機能を担っているのです。

この主張は高木に限ったものではなく、イギリスの著名な生物学者ジョン・メイナード・スミスも、有性生殖は不適応な変異を抑制することを通じて環境変化への適応を助ける仕組みであると説明しているし、ジョージ・C・ウィリアムズも、有性生殖が有害遺伝子の蓄積を防ぐ効果に注目しています。

有性生殖という、無性生殖に比べてコスパの悪いメカニズムがなぜ生物進化の長い歴史のなかで採用されてきたかについて多くの研究者がさまざまな視点から興味深い研究を行ってきました。かれらの知見は、組織マネジメントに応用できる可能性がありまた別の機会に論じます。この抑制性は地味で見過ごされがちだけど、生命という謎に満ちた存在を考える上で、僕にとってとても面白く見えます。

原核生物 vs 真核生物

38億年におよぶ生命の歴史の前半は、核を持たない単細胞生物(細菌)=原核生物の時代で、ヒトを含む真核生物が登場したのは約20億年前になってからです。原核生物には細胞分裂を止める仕組みがありません。事故がない限り死にません。これはブレーキのない車のようなもので、エサがある限り無限に分裂を続けます。原核生物である大腸菌(Escherichia coli)は、20分ごとに分裂するので、48時間では144回の分裂が可能です。1つ1つの大腸菌はたった10^(-15)グラムの質量でも、なんとたった2日間で大腸菌の総質量が地球のそれを超えてしまう計算です。大腸菌はたった2日で地球全体よりも大きくなってしまう可能性を秘めているのです。もちろん、現実にはエサは有限だし捕食者がいるのでこのようなことは起こりません。これは抑制が働いている例です。

細菌が爆発的に増殖できるなら、地球はまたたく間に食い尽くされてしまう

エンドサイトーシスの意義

原核生物が地球を食い尽くすほど増殖しなかったのは、必要な栄養源が足りなかったからです。別の細胞を栄養源として取り込み、取り込んだ細胞を消化せず共生する能力(エンドサイトーシス)は、真核細胞のみに備わっており、原核生物にはない。光合成を除くと原核生物が取り込める栄養源は、自らの細胞膜を通過できるほど小さな分子や、偶発的に壊れた他の生物の残骸に限られていたので、理屈上は地球を覆うほど増殖できるとしても、実際には不可能だったのです。

別の細胞を取り込んで共生する機能(エンドサートーシス)

真核生物が約20億年前に現れて原核生物を取り込んで共生する可能性を獲得したことで、生態系という「種を超えてバランスをとる仕組み」が誕生したわけだけど、その生態系を維持するためには特定の集団が暴走するのを防ぐ抑制が必要不可欠です。

真核生物のゲノムは末端のある線状のDNAで構成されていて、原核生物の環状の小さなDNAと比べて1,000倍もの大きさになるので、真核生物は原核生物よりはるかに多くの遺伝子と多様な機能を持つことができ、相反する機能を持つ遺伝子(例えばアポトーシスを促進するBAXと、それを抑制するBCL-2など)も持てるキャパシティが生まれます。こうした拮抗する働きをする遺伝子が同時に発現すると個体の生存を脅かすことになるので、それを防ぐのが「抑制性」ということになります。

ヒト(=真核生物)の細胞が無限に増殖せず、資源があっても細胞分裂が暴走しないのは、真核細胞では細胞の分裂が「抑制」されているから。どの遺伝子を発現させ、どの遺伝子を抑制するかという「選択的調整」が働いているのです。この抑制性が働かなければ、真核生物に特有の大きなゲノムが維持できないのです。

DNAの線路:コーディング領域と非コーディング領域

真核細胞のDNAのうち、タンパク質をコードしている領域(コーディング領域)は2%に過ぎず、残りの98%は非コーディング領域と呼ばれます。コーディング領域は、広大なゲノムに点在する「駅」であり、非コーディング領域は駅をつなぐ「線路」のような存在です。かつてはリボソームRNAやトランスファーRNA、スモールRNAなどの非コーディング領域で作られる小さなRNAは単なる「余白」や「ガラクタ」と見なされていましたが、最近の研究でこうした「小さなRNA」が、タンパク質合成に関する情報こそ持たないものの、重要な「抑制」の役割を果たしていることがわかってきました。たとえばマイクロRNA(miRNA)は、mRNAの一部を相補的な塩基配列で覆うことで特定のタンパク質の機能を抑制しているのです。

コーディング領域(全体の2%)と非コーディング領域(98%)

死=進化が獲得した究極のゴール

生命の活動というと一般に躍動的なイメージを抱きますが、実際には特定の機能を「停止」させること(=不可逆的に削除するのではなく)こそ能動的なプロセスなのです。このようなと言えます。脊椎動物や一年草(顕花植物)のように寿命を持つ生物は、テトラヒメナベニクラゲ(Turritopsis dohrnii)のように不死に近い真核生物より、寿命を持たず理論上無限に生きる原核生物より、進化的にみて高等とされます。進化とは生物が「寿命という抑制性」を獲得してきた歴史と見ることもできるのです。

細胞の死:オートファジーとアポトーシス

オートファジーアポトーシスのような「意図的な細胞死」も、生物が獲得した抑制性の代表例といえます。2016年に日本の研究者である大隅良典がノーベル生理学・医学賞を受賞して注目されたオートファジーは、細胞が不必要なタンパク質を分解することで飢餓に適応する役割を果たします。

オートファジー(細胞自食)の仕組み

『The Dance of Eternity(5)』で触れた動的平衡も、タンパク質の合成と利用だけでなく、タンパク質の分解と廃棄(=抑制性)を含めた循環として捉えることで、初めてその循環が完結し平衡が保たれるのです。ヒトの体内では毎秒300万個の赤血球が合成され、同数が分解される(=細胞死)ことでバランスが保たれています。

清水茜の漫画『はたらく細胞』とその映画版(2024年)では、細胞がその短い一生のなかで働きながら次の世代に仕事を繋いでいく様子がコミカルかつ感動的に語られる

「完成された生命の循環の輪」の美しさをみるにつけ、使用済み核燃料の処理を軽視したまま原子力発電の普及を遮二無二に進めてきた人類が、今になって廃棄物処理に頭を悩ませている様が「閉じない輪」として想起されてしまいます。生み出したものを「抑制」して(破棄して、または殺して)、平衡を保つことが生命の営みの基本原則なのに。

アポトーシス

アポトーシス(細胞の計画的な自殺)も、多細胞生物における「前向きな抑制機能」の代表格です。胚の発達段階では手の原型が丸く膨らんだ状態なのですが、指と指の間の細胞が自壊することで個別の指が分離して形成されます。細胞の自殺が、結果的に多細胞生物の形成を支えているのです。

細胞死のタイプ:ネクローシス(病理的要因による死)とアポトーシス(意図された死)
計画された細胞死(アポトーシス)によって器官が形成される様子

このように見てくることで、エピジェネティクスにおける遺伝子発現の「抑制性」という仕組みに対する否定的な印象が拭われてきませんか?

今回の記事では、もっぱら生物の身体が持つ抑制的な機能が、命の循環のために果たす役割の重要性についてやや理屈っぽく書いてしまい企業経営への示唆まで手が回りませんでしたが、次回は多様な遺伝子に潜在する無数の機能のうち、何を抑制し、何を活性化するかによって形質が決まるというエピジェネティクスの考え方を、組織マネジメントにどのように応用できるかについて考察していきます。

いいなと思ったら応援しよう!