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【あなたに会えて幸せ】/第2章第7話「ラブホの壁と宇宙の音」

山下公園での初めてのキスから、私たちの心の距離は一気に縮まった。
「本物の恋人」になった私たちは、その足で、みなとみらいのワールドポーターズにある映画館(イオンシネマみなとみらい)へと向かった。

お目当ては、SNSで話題のラブコメ映画。
車椅子用の観賞スペースは、劇場のいちばん後ろか、あるいは最前列にあることが多い。
私たちは最後列の車椅子スペースに2台並んで車椅子を停めた。
一般の座席とは違って肘掛けに遮られないその空間は、今の私たちにとっては、世界でいちばん居心地の良い特等席だった。

館内が暗転し、大音量で映画が始まる。
画面の向こうでは、美男美女の主人公たちが不器用なすれ違いを繰り返している。
それを観ながら、トモキが私の左手をそっと握りしめた。
大きな、温かい手。
私もその手を握り返し、車椅子をギリギリまでトモキの方へと寄せた。

映画のクライマックス。画面の中のふたりがハッピーエンドのキスを交わした瞬間、トモキがこちらを向いた。
暗闇の中、スクリーンの光に照らされたトモキの瞳が、真っ直ぐに私を捉える。

映画の音響にかき消されるような小さな声で、「ミク」と名前を呼ばれた。
「ねぇ、トモキさん」なんて他人行儀な呼び方は、もう要らない。

私はトモキの肩に手をかけ、今回は息を合わせて、お互いの顔を斜めに傾けた。
車輪も肘掛けも、もう私たちの邪魔はしない。
ポップコーンの甘い香りが漂う暗闇の中で、私たちは2度目の、そして映画の主人公たちよりもずっと深いキスを交わした。

映画館を出たとき、みなとみらいの街はすっかり夜の帳に包まれていた。
胸の奥が熱くて、お互いを見つめるだけで火傷しそうだった。
このまま離れたくない。
もっと一緒にいたい。
ふたりの想いは、言葉にしなくても完全に一致していた。

私たちは、きらびやかなネオンが光るラブホテルの駐車場へと向かった。
しかし、その入り口で私たちは絶望することになる。

「車椅子1台なら、なんとか入れる部屋があっても、2台並べて置けるスペースなんてどこにもない。そもそも入り口に段差がある」

普通のカップルが当たり前に吸い込まれていくきらびやかな扉が、ふたりには巨大な砦に見える。
ふたりが茫然としている間にも、カップルがそばを通り過ぎて行く。

通り過ぎたら、笑い声が聞こえた。

「なぁに、あのふたり?
 まさか、《する》つもりで来たのかしら?」

怒りに震えるふたり。
心臓を直に針で刺されたような衝撃。
怒りと屈辱で、私の車椅子のハンドリムを握る手にじっとりと汗がにじむ。
トモキの横顔を見ると、彼は唇を噛み締め、拳を震わせていた。
世間は、私たちに「恋をすること」さえ許さないのだろうか。

「、、、ミク、行こう」

トモキの低く、押し殺した声に頷き、私たちはその場を離れた。
諦めきれなかった。
私たちはスマホを必死に叩き、バリアフリー対応のユニバーサルルームがある近くのシティホテルを探し出して、そこに駆け込んだ。

普通は、シャワーを浴びるのだろう。
しかし、ホテルの浴室にリフトは、付いていない。
フロントでトモキが、蒸しタオルを数枚もらってくれた。

静かなホテルの部屋に入り、
ベッドに並んで座ったところで、私はフリーズしてしまった。

「ねぇ、どうやって《する》?
 あなたは、足が動かないから、私が上になる?
 だけど、私、足無いし、、、」

あまりにシンプルで、基本的で、だけどこれまで誰も教えてくれなかった課題。

「どうしよう。
 私、またがって自分で動くこともできない。 トモキさんだって、腰、動かせないよね」

ベッドの上で、私たちは完全にフリーズしていた。
実を言うと、私はこれが初めてだ。
動画では偉そうなことを言っていても、男の人の体に触れることすら、本当は心臓が破裂しそうなほど緊張している。

「、、、ミク。実は、俺も、初めてなんだ」

トモキが耳まで真っ赤にしながら、蚊の鳴くような声で白状した。
画面の中のクールなトモキはどこにもいなくて、ただの不器用で、愛おしい男の子がそこにいた。

「俺、体幹があんまり利かないから、座ったままキープするのは難しいかもしれない。
 でも、俺が仰向けに寝て、その上にミクがうつ伏せで乗る形なら、どうかな?」
「やってみよう」

お互いに、ゆっくり服を脱いだ。
フロントでもらった数枚の蒸しタオルで、体を拭いた。

車椅子以外で、何かによじ登るなんてあったかな?
トモキの体に手すりなんか付いてるわけなくて。

でも、トモキが引っ張り上げてくれて、
私の腰を下から持ち上げてくれて、
トモキの胸の上に、そっと体を重ねる。

ドクドクと、トモキの激しい鼓動が私の胸に直接伝わってきた。

お互いに手探りで、何度も失敗しながら、壊れ物を扱うようにゆっくり、ゆっくりと重なり合う。
繋がった瞬間、ミクの目から涙がひと粒こぼれて、トモキの鎖骨を濡らした。

「ミク、痛い……?」
「ううん。すっごく、温かい……」

腰を振ることも、激しく動かすこともできない。
だけど私は、トモキの胸にぴったりと顔を埋めたまま、上半身をゆっくりと、這うようにして滑らせた。
トモキの肩に手をかけて、上に数センチ這い上がる。
トモキが私の肩と腰に手をかけて、下に数センチ押し下げる。
ふたりで協調して、それを繰り返した。

教科書通りのセックスなんかじゃない。
だけど、お互いの心臓の音が重なるこの体位は、世界中のどのカップルよりも、私たちが「ひとつ」になっていることを実感させてくれた。

静かなユニバーサルルームに、ふたりの小さく重なる呼吸だけが響いていた。
トモキは私の背中を愛おしそうに何度も撫でながら、天井を見つめて、ぽつりと言った。

「俺、すっごく嬉しいよ。
 事故の後、自分が誰かとセックスできるなんて、まともに愛し合えるなんて、ずっと思ってなかったから」

その声は少し震えていて、男としてのプライドと、これまでの孤独がほどけていくようだった。
私はトモキの胸に耳をあてたまま、その温かい鼓動を聴きながら微笑んだ。
この広い宇宙で私だけが聴いてる音。

「誰が言ったか、忘れたけど、
 【「心」が「生きる」と書いて、《性》】
 なんだよね。トモキ、知ってた?」
「あ! 本当だね! 知らなかった」
「私もよ、トモキ。
 ねぇ、あの手話歌、覚えてるでしょ?」
「もちろん」

私が顔を上げると、トモキは優しく目を細めた。
言葉は要らなかった。

ふたり同時に、そっと右手を持ち上げる。
そして、お互いの目を見つめ合いながら、自分の顎を優しく撫でた。

――【あなたに会えて幸せ】。

出会ったあの日、画面越しに私の指が止まったあの言葉を、今、私たちは本物の肌の温もりの中で分かち合っている。
ローアングルな私たちの世界は、ゆっくりだけど、確かに、誰よりも深く繋がりはじめていた。


第8話に続く


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