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1年半、旅と娘の義務教育を両立させたかった。答えはすべてNOだった

「リモート学習も休学も無理ですか…」

娘と1年半、キャンピングカーを家にして旅をしました。

旅は自由でした。
景色も毎日変わる。どこへでも行ける。

でも、娘の義務教育だけは別でした。

小・中学校や教育委員会、町役場に、「旅と学校を両立させるための方法がないか」を相談しました。

ところが、制度の壁にぶつかって、答えはすべてNO。

今回は、僕が相談した内容と、親子でぶつかった制度の壁を、当時のやりとりも含めて書き残します。

この僕と娘のキャンピングカー旅の連載は、マガジンにまとめています。


僕は、旅をしながら娘に義務教育を受けさせたいと考えていました。

聞いたことがない話だと思います。
でも当時の僕は、本気でした。

キャンピングカーを家にして暮らす。
場所に縛られないで生きる。

それは旅というより、僕ら親子にとっては生活そのものでした。

だから最初にやったのは、学校や教育委員会に「出席扱いにできる方法」を相談することでした。

願ったのは、旅先からの出席扱いだった

コロナ禍で、オンライン授業が一気に広がりました。
配布されたタブレットで授業を受けるのが、当たり前になり始めた頃でした。

そんな流れの中で、僕は正直こう思いました。

「旅先からでも、出席扱いにできる方法があるかもしれない。
新しい時代の先駆けとなれば、義務教育のあり方も変わるかもしれない。」

小学校にも中学校にも相談しました。
「旅先からタブレットで学習して、出席扱いにできませんか」と。

でも返ってきた答えは、はっきりしていました。

旅が理由では、出席扱いにはできません。

病気や事情があるケースは別として、「旅をしながら」という理由では認められない。
定住していることがそもそも前提。

それが、制度の最初の壁でした。

次に考えたのは入学を1年ずらすことだった

リモートが無理なら、別の道を探すしかない。

娘がもうすぐ中学生になる時期でした。

調べていたところ、義務教育でも休学が認められる場合があることを知りました。
そこで僕が考えたのが、「入学を1年ずらす」という選択でした。

僕は教育委員会に電話して、事情を伝えて相談しました。

「いったん休学のような形にして、1年後に中学1年として通い始められないでしょうか。」

ここでも返ってきた答えは想像以上に硬かった。

例えば、親の海外赴任などで日本にいないケースなら、休学が認められることがあります。しかし、旅をしながらという理由では休学は適用できません。
1年後に通うなら、中学2年としての扱いになります。

そもそも家がないということを伝えても、答えは変わらずでした。

義務教育は、通わなくても年齢だけで学年は自動で進む。
なんだか、おかしな話にも聞こえます。

でも、制度はそういう仕組みということなんです。

電話口でその説明を聞きながら、追い詰められた感覚がありました。

旅は続ける。
でも義務教育は止めたくない。

その両方を成立させる方法が、思っていたよりずっと少なかった。

焦りが、現実味を持って迫ってきました。

最後の手段は寮だった

リモートも無理。
1年休学も無理。

残っている手段は何だろう。
家がない状態で、娘に義務教育を受けさせるには……

ずっと考え、調べに調べました。

そして僕は、熊本県阿蘇郡のとある町の「寮」制度を見つけました。

寮だと、娘と一緒には住めない。でも、もう他に考えられる手段はありません。
ひとまず相談してみることにしました。

電話をして、実際に現地の町役場まで行って相談しました。

「その中学校の寮に、娘が入ることはできませんか?」

でも、そこで分かったのは、僕が思っていた寮とは、そもそも前提が違ったことでした。

この寮は、中学校からかなり離れた場所に住む子のためのもので、校区に家(住民票)がある家庭が対象です。

つまり、校区に家がない(住民票を置いてない)状態で、娘を寮に住まわせて、僕は旅を続けて、月に何度か娘に会いに戻ってくる──こんな形は、最初から制度の想定に入っていなかったんです。

断られた、というより、最初から対象じゃなかったわけです。

僕にとっては、ここが最後の手段でした。

ただ、この選択肢が仮にOKだったとしても、もはや父娘旅ではなくなりますし、娘とバラバラに暮らすことになります。

求めていた形とはまったく異なります。
でも、それくらい、当時の僕は追い詰められていたし、必死だったんです。

小学校ではデュアルスクール(二拠点)が成功した

実は、僕らには「旅と義務教育の両立は、いけるかもしれない」と思わせる成功体験がありました。

当時、僕は宮崎と東京の二拠点生活や、地方を旅しながら多拠点で暮らす試みをしていました。

そこでよく滞在していた熊本県球磨郡多良木町と縁ができて、宮崎の小学校に通っていた娘が、小4と小5のときに多良木町小学校に通わせてもらったことがあったんです。

それは、多良木町が採用した「デュアルスクール」という2つの学校に通う制度でした。革新的な取り組みです。

デュアルスクールによって、娘が通う宮崎の小学校とも連携が取れて、多良木町小学校での出席が、宮崎でも正式に認められたのです。

短い期間でしたが、校長先生や担任の先生、そしてクラスのみんなが温かく迎えてくれました。
そのおかげで、娘が登校したその日に友達ができて、すぐにクラスに溶け込んでいた様子をみて驚きました。

前例があっても今回は別だった

だからこそ、キャンピングカー旅でも「うまくいくじゃないか」と楽観的に考えてしまっていたところもありました。

「僕らのような親子を受け入れてくれるかもしれない。旅をしながら転々と中学校に通うこともできるかもしれない。」と考えていたんです。
旅先の中学校を訪ねていこうとも計画していました。

子どもの数が減り、過疎化も進む日本で、小さな希望ですが、義務教育の新しい形が残せるんじゃないかと。

ただ、コロナ禍でその計画は大きく打ち砕かれてしまいました。

ぶつかった現実は、シンプルでした。
たとえ前例があっても、旅を理由にした出席扱いは制度の想定外だったこと。

デュアルスクールは定住が前提の二拠点。
でも僕らは、非定住の全国移動でした。

中学は入学式に行かない判断をした

結局、娘は中学校の入学式に参加しませんでした。

その状況で、入学式だけ行くというのは、娘にとって心苦しかったのです。

参加しなかった理由は、旅を続ける前提だったからです。
旅を終えたあとも、その中学校に通える可能性は、ほぼゼロに等しかった。

実際、中学に通わないまま旅を終えました。

最初から物理的に通学することが無理だと分かっていたので相談していたのですが、解決できませんでした。

小学校は、修学旅行と卒業式だけ参加できた

小学校の修学旅行と卒業式には参加できました。

ただ、卒業式は普通の形じゃありませんでした。

当時、住民票を一旦、元妻のいる福岡に移していました。
娘は転校したばかりで、その小学校に一度も通学していない状態でした。

それでも校長が卒業式に誘ってくれて、娘のために動いてくれたのです。

僕らが小学校に呼ばれたのは、卒業式が終わって、みんなが下校したあとでした。

ひとりっきりの卒業式

だだっ広い体育館に、椅子がふたつ、縦に距離を開けて並べられていました。
前に娘、後ろに僕が座り、ステージには校長先生が立つ。

そして──
娘たったひとりの卒業式が始まったのです。

静まりかえった体育館で、式は粛々と進みました。
卒業証書授与も、きちんと行われました。

他の先生たちも何名か、かなり後方に座っていました。

最後は、卒業証書を受け取った娘と僕を、みんなで送り出してくれたんです。

本当に、ありがたかった。

でも、正直、胸の奥が痛かった場面も。

「娘のことを考えてくれてるんだな」と思った反面、初めて対面する担任の先生からは、僕ら父娘にとって心に刺さる厳しい言葉もありました。

先生は、娘のことを思って言ってくれたんだと思います。
でも通学できなかった娘の状況を考えると、きつい言葉にも聞こえたのは事実です。

ここでその言葉を具体的に書くのは控えますが、いろんな感情が同時に押し寄せて、気持ちの整理がつくまで少し時間がかかりました。

相談は続けた。最後は、できる範囲に

誤解がないために書きますが、僕は「義務教育を否定したい」とか、「娘を学校から遠ざけたい」と思っていたわけではありません。

むしろ逆で、学びは止めたくなかった。
ただ僕は、考える力や個性を伸ばす学び方を、もっと選べる社会になってほしい。そう思っていました。

だからこそ、娘の義務教育をどうにか成立させたかったんです。

僕が実際にやった相談は、この3つです。

① 中学校の教頭先生と相談した

娘の住民票がある地域の中学校(福岡)の教頭先生とは、相談を続けていました。
ただ、家がない。娘も一緒に移動している。
そんな状況で、学校ができる対応には限界がありました。

② 寮のある中学校を検討した

すでに書いた、熊本県阿蘇郡のケースです。
娘がもう中学生になってからだったので、背に腹は代えられないという気持ちで相談に行きました。
娘と一緒に住めるわけじゃない。それでも義務教育を受けさせるには…と考えた末の行動でした。

③ ホームスクーリングも相談しながら進めた

ホームスクーリング(在宅で学ぶ形)についても、相談しながら進めました。とはいえ、これも現実は甘くなかったです。

  • 学校と同じペースで進めるのは、親子とも負担が大きい

  • 車生活だと、学習時間が毎日安定しない

  • そもそも「自学」そのものが難しい

相談は続けても、制度の中だけで解決するのはやはり難しい。
僕らは、車でできる範囲でやるしかなかったのです。

現実的にできたこと

iPadに学習用の教材「スタディサプリ」を入れる。
毎日は無理でも、少しでも進む。
できる範囲で、学びを止めないようにする。

とはいえ、がっつり取り組めたわけじゃありません。

もともと勉強嫌いな娘なので、勉強を忘れる(しない)日も多々ありました。

下の記事で書きましたが、僕自身も仕事の意欲がなくなるほどだったので、娘も自ら勉強することのハードルはかなり高かったと思います。

親としての反省

「僕のエゴだった」。

僕は、キャンピングカーで旅をしながら、娘の義務教育も成立させたい理想がありました。

さらに、旅をしながら、各地の学校に通えるようにする。
出席扱いにできる仕組みを実現して、ロールモデルになれれば。

本気でそう考えていました。

でも旅を終えて反省しました。

娘にとっては、僕の理想や期待が、重かったと思います。
新しいライフスタイルを成立させたい僕の気持ちが、娘の現実より先走っていました。

エゴでした。

ただひとつ言えることは、何かに駆られていた自分がいたこと。
家がなくなり、家族がバラバラになり、生活の土台が崩れて。

それでも娘を育てなきゃいけない。守らなきゃいけない。
娘の未来が詰まないように、何か道を作らなきゃいけない。

コロナ禍の閉塞感もあり、何かを変えるべきだともがいていました。

その必死さの中で、常識を疑いながら、僕は「制度そのもの」と戦おうとしていたんだと思います。

おわりに

今日の空。

もし同じように悩む親子がいたら。
僕らのこの記録が、ほんの少しでも参考になれば嬉しいです。

近い将来、どこにいても義務教育を受けられる環境が整うことを信じています。

そしていつか娘がこの1年半を振り返ったとき、「大変だったけど、新しいことに挑戦していた時間だったんだ」と思える記憶になっていたらと思います。

次回は、1年半の旅で辿り着いた答えを書きます。連載の最終章です。

続きはこちら。
👉 家なし父娘の旅の終わり。最後に辿り着いた答え

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。

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初めて僕の記事を読んでくださった方へ──
よければ、最初に書いた自己紹介の記事も読んでみてください。

せきたつや

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