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旅しながら稼ぐは甘くなかった。父娘キャンピングカー旅1年半の現実

「旅しながら稼げたら最高だよね?」

僕は娘と、キャンピングカーでそれに挑戦したんです。

……で、その結果、続けられませんでした。

「やらぬ後悔より、やる後悔」と言えば収まりはいいかもしれません。
でも、勢いで見切り発車した部分もありました。

今回は、その挑戦がどう崩れて、最後はどこに着地したのか。この現実を、ありのままに書き残します。
同じように「旅しながら稼ぐ」を考えている人の、何かの材料になれば嬉しいです。

この僕と娘のキャンピングカー旅の連載は、マガジンにまとめています。


いつの間にか「ノマド」「ノマドワーカー」なんて言葉も広まり、「旅しながら稼ぐ」は現実的な選択肢みたいに語られるようになりました。

僕自身、ようやく自由を手に入れてから、40代では実際に全国や海外を旅しながら稼いでいました。

だから娘とのキャンピングカー旅も、その延長線上のつもりだったんです。
もちろん挑戦ではありましたが、なんなく実現できるって信じていました。

──が、現実はまったく美談でもかっこいい話でもない数々の問題と直面していきました。
旅を甘く見ていたんです。

家賃ゼロでも、生活費は多かった

僕が最初にぶつかったのは、生活費でした。

キャンピングカー生活は家賃がかからない。
電気代も水道代もゼロにできそう。
だから、生活費は結構安く済みそうだ。

出発前の僕は、どこかでそう思っていました。

でも実際は、真逆でした。

家賃がない代わりに、移動する家として別の出費が増える。
その出費は日々、想像以上に積み上がっていきました。

僕と娘の2人の車生活で、毎月ほぼ確実に出ていった生活費を計算すると、目安はこうなりました。

生活費:月15.2万〜20.7万円(目安)

この差の最大の理由は、お風呂に毎日入るかどうかです。

内訳(2人分)は、ざっくりこうです。

  • 燃料:月2万〜3.5万円

  • 風呂:月2万〜6万円(回数で変動)

  • 食事:月9万円(外食1回/日+それ以外の食費)

  • 水:月4500円

  • 洗濯:月7000円

  • 通信:月1万円以下

さらにここに、月ごとに上下する出費が乗ります。

  • RVパーク/キャンプ場/コインパーキング/ホテル

  • 服・消耗品・家電や設備の買い足し

  • 高速道路・有料道路・フェリー

  • 車の維持費(保険・整備・車検・修理)

月によってブレますが、僕の場合は最低でも月5万円くらいは予備費として見ておくべきだと感じました。
つまり体感としては、月20万〜26万円(予備費込み)がひとつの現実的な出費のラインでした。

ここは別記事で、生活費の内訳をもっと詳しくまとめています。

実質、家賃ゼロでも、出費は軽くならない。
むしろ、出費の種類が増えて上下するぶん、コントロールが難しくなる印象です。

まずはこの土台の上で、「じゃあどう稼ぐか」を考えていく必要がありました。

僕がやろうとした仕事と稼ぎ方

じゃあ僕は、旅の中でどう稼ごうとしたのか。

結論、稼ぎの柱は「過去の経験をそのまま持ち込める仕事」にしました。
旅先でもできて、オンラインで成立するものです。

軸は、「塾・コンサル」と「情報発信(YouTubeを含む)」に決めました。
そして同時に、旅の先々で地域とつながりを作りながら、次の仕事の基盤を作る計画も立てていました。

オンラインで「せき塾」を開催した

当時の僕の本業は、ひとり起業を教える「せき塾」とコンサルでした。

それまではセミナーや対面中心だったのですが、旅先からでもできるようにすべてオンライン開催に切り替えました。

ここは、正直うまくいった部分もあります。

ただ、一度やって終わりでは旅は続けられません。
とはいえ、旅の生活を続ける中で、安定して回し続ける難しさが、じわじわ出てきました。

旅先(千葉県)で対面コンサルをした

娘と旅をしていても、人と会えないわけじゃありません。
実際、旅先の千葉県で対面のコンサルをしたこともあります。

ただ、移動をしながらだと、場所とタイミングを取りにくいことが問題でした。

いつもどこまで移動できるかは、気温やその時の調子で変わります。
だから、毎回、どこにいるかも不確定でした。

しかも娘との車生活だと、娘を車に残して僕だけが自由に動くわけにはいきません。
だから、仕事のために人に会いに行くこと自体に、常に制約がかかっていました。

旅先(熊本県)で講座を開催した

以前よりお世話になっていた熊本県多良木町の行政からの依頼で、個人の情報発信のスキルやノウハウを教える「Webメディア講座」を2回に渡って現地開催させてもらいました。

主に動画配信の内容で、実際にGoProやドローンを使って、撮影や動画編集、発信方法まで教えました。

その前は、ウェブライター講座を開催して好評頂いたこともあり、当時のキャンピングカー旅の途中で、とても有り難い経験をさせてもらいました。

物販(メルカリ)もやった

旅をしながらでも、物販はできます。
実際、メルカリもやりました。

メインではありませんが、僕の不用品から現地で仕入れたものを売りました。

梱包作業も車内でできるし、コンビニは至るところにあるので、手間はかかっても簡単でした。

YouTubeも、ちょっぴり収益があった

YouTube配信でも、少しだけ収益はありました。

正直、当初は「副業」と呼べるところまで伸ばしたかったんです。
でも、全然簡単じゃなかったです。

やりながら強く思ったのは、YouTubeは一見ストックビジネスに見えて、実際はかなり労働収入寄りだということ。
新しい動画を出し続けないと、過去動画も見られなくなるので、毎日動画編集に明け暮れる日々でした。

各メディアからオンライン取材を受けて報酬をもらった

娘を連れて多拠点生活をしていることをきっかけに、雑誌AERA(朝日新聞出版)からオンライン取材を受けました。

また、僕がアップしたYouTube動画をきっかけに、NHKからオンライン取材を受けたこともあります。

他には、旅をしながら地方創生関連のビジネスを行っている様子を現地(熊本県)でNHKに取材され、NHK「クローズアップ現代+」に次女と出演しました。
熊本の新聞社からも取材を受けました。

すべて貴重な経験でした。

でも、こういう話ってあくまでも単発です。
報酬をもらえたら嬉しいけど、あくまでも臨時収入です。

その他、ブログからのアフィリエイト収入

僕のブログから、アフィリエイト収入も僅かですがありました。

ただ、キャンピングカー旅をやっているときは、動画制作に集中していたので、ブログ記事はほぼ書いてません。


理想がでかすぎた

ここまで読むと、やってること自体は「旅しながら稼ぐ」っぽいと思います。

むしろ当時は、ちゃんと形にして、「旅しながら稼ぐロールモデル」をしっかり確立したかったんです。

コンサルや情報発信者として、生き方そのものを見せられるようにと考えていました。

同時に、僕はデュアルライフ(二拠点生活)の経験者として、デュアルライフを促進する活動にも取り組んでいました。
そこで、キャンピングカー旅をしながら、おすすめの二拠点目を紹介できるような、地域とのつながりや基盤を作る目的もありました。

現地の人と、移住や二拠点を考えている人をつなぐハブになる仕組みを作る。そんな構想です。

当時は、あれもこれも、本気でした。

……でもあとで気づいたのですが、理想がでかすぎたのです。

キャパが追いつかなくなっていました。
そんなことに気づく余裕もなく、一気に現実に叩き落とされました。

問題は、仕事の種類じゃなく、それ以前に、余白が父娘の車生活に残らなかったことだったんです。

現実にぶつかった話:うまくいかなかった5つのポイント

「旅しながら稼ぐ」って、やろうと思えばできる。
少なくとも、僕は40代の頃に実際にやってきた。

でも、その時の僕は甘く見ていました。
娘とのキャンピングカー生活は、その延長線上じゃなかったんです。

理由はシンプルで、生活の前提が違いました。

「旅しながら稼ぐ」の前に、「子育て」と「車生活」をやることが想定外に大変だったのです。

これが、日が経つごとにじわじわ効いてきました。

① 時間が足りない(移動・生活・子育てが最優先)

現実として、時間が足りませんでした。

移動する。買い出しをする。湧き水を汲みに行く。コインランドリーに行く。自炊する。風呂に入る。寝る場所を探す。寝床を作る準備をする。

こうして生活を回した時点で、もうその日は終わっていました。

しかも、子育てが入るので、さらに時間が削られます。

途中から娘の学校のことが深刻になってきました。
学校とも電話で何度もやり取りをしながら、娘の状況を見て、次の判断をしていく。

そうした毎日を重ねていく中で、「仕事の時間を確保する」という考え以前に、「働く」とか「稼ぐ」という意識が、どんどん薄れていきました。

② 作業環境が安定しない(電気・通信・気温)

作業環境もなかなか大変でした。

なにより「電気」の残量の心配。
場所によっては「通信」も不安定。

「気温や湿度」も、通常の部屋の中よりかなり変わる。

通信といえば、特に動画は大変でした。
ポケットWi-Fiでは、アップするのにすごい時間がかかるんです。

家なら当たり前にできることが、車生活だと「今日はできない」が普通に起こる。
これが積み重なると、想像以上にメンタルを削ることになります。

③ 予定がとにかく組めない(場所・天候・娘のコンディション)

車生活の予定は、いつも仮です。

どこに向かうか、どこで水を汲むか、どこで買い物するか、どこで食事するか、どこで洗濯するか、どこでお風呂に入るか、どこで寝るか。

天候で変わる。娘のコンディションでも変わる。

「今日これをやろう」が崩れることがしょっちゅうでした。

最初は「それこそ自由だ」と思ったし、「それが楽しい」って心から思えました。
「不便こそ楽しい」と心に余裕があるうちは思えた。

それでも、しばらくは保てていました。
でも長くは続きません。

この繰り返しで、仕事が計画として成立しなくなっていきました。

④ 集中が切れる(疲労・睡眠不足・ストレス)

集中力って、気合いじゃどうにもならないんですよね。

毎日、生活をどう回すかの思考と選択の繰り返しで、精神的な疲労はたまります。

肉体的に疲れてる日もあるし、寝不足の日もある。

結果、集中力は削られ、作業の質も落ち、余計に時間が溶ける。
気づけば負のループでした。

時間だけが過ぎて、やることが進まない。
なのに出費だけは減っていく。

そうなると、焦りが積み重なって、心の余裕が消えていきます。

すると判断が狂うし、先延ばしにしたり、逆に無理したり。
気づけば、仕事だけじゃなく生活そのものが崩れる感覚がありました。

⑤ 収入が細っていった(続けたかったのに進まない)

収入の面で言うと、一番の収入源だった「せき塾」を続投する予定でした。
現地の対面コンサルも広げたかった。

デュアルライフ関連もやりたいことはあり、次の構想もありました。

一部、コロナの影響を考慮して思いとどまったことはありましたが、どれも進められませんでした。

結果、収入は安定どころか、むしろじわじわ減って無収入状態になったのです。

稼ぐ以前に生活が重すぎた

無収入状態になったとき、自分の才の無さに絶望さえ覚えました。
もう稼げなくなった自分が情けなくなりました。

でも、こうして振り返ると、僕がぶつかったのは「稼ぎ方」じゃなかったんですよね。

最初は、気力と体力でなんとか回せていたんです。

しかし、それが擦り減り、次第にさまざまな環境の変化への耐性がなくなってしまっていたんだと思います。

1年半の旅の間、なんとか精神的に大きなダメージは免れたものの、特に記憶している体の不調は熊本、広島、茨城で3回ありました。

つまり、稼ぐ以前に、生活が重すぎたんですよね。
親子の車生活では、逃げ場もない。
娘はなんとしても守らないといけない。

僕ひとりなら、無理してでも押し切っていた場面もたくさんあったと思う。

でも、隣に娘がいると、それができない。
「選べなかったこと」が、確実にありました。

50代の僕と娘の車生活だから選べなかったこと

収入がじわじわ減って無収入状態になる前に、もちろん手立てはいくつか打ちました。

でも、僕ひとりではなかったので、実現できなかったことがありました。

娘と車生活だからこその制約があったのです。

車を置いて、僕だけ長時間離れることができない

車が家の僕らは、たとえば「今日は丸一日、どこかの施設やファミレスに行って、ひとりで集中して作業しよう」と思っても、現実には難しかったです。

小中学生のひとり利用ができなかったり、娘と離れた席に座ることもできなかったり、だからといって、仮に娘を車に残すとしても、長時間ひとりで待たせるのは現実的じゃない。

たとえ、娘が大丈夫と言っても、なにより僕が気になって集中できない。

だからいつも娘とは毎日24時間ずっと一緒でした。

ちなみに現地で対面コンサルも一度は実行しましたが、その後は計画しませんでした。

つまり、かつては僕が最も必要としていた「稼ぐためにひとりの環境を整える」という選択肢がなかったのです。

収入ゼロになって、短時間の労働はやった

それでも収入がじわじわ減って、ゼロになったとき。

悠長なことは言ってられなくなりました。

その現実がやってきたとき、僕はスポットバイトの「タイミー」に登録して、山梨県にある倉庫や飲食店の仕事を、数時間だけ入れて稼ぎました。

働いている間も、正直ずっとソワソワしていました。

駐車場はすぐ目の前なので、休憩時には様子を見に行って、また戻って働きました。

「住み込みで働こう」と思っても、子連れは断られた

無収入状態が続き、いよいよどうしたらいいか、悩んだ挙げ句、家がない以上、いちばん現実的に見えたのは住む場所が提供されている仕事でした。

そこで最初に目につけたのは、短期で住み込みのリゾートバイト。

時給はそれほど高くなくても、食事の提供もあるし(僕だけだが)、場所によっては温泉に入り放題とか、条件はなかなかいい。

まずは普通に雇われて働くことで、立て直せるかもしれない。
立て直したらまた旅を再開すればいい。
雪が積もらないところなら、どこでも行くぞ。

そう思って、いくつか問い合わせをしました。

でも返ってきた答えは、どこも同じでした。

「子連れは難しいです。」

リゾートバイトを探してくれるサービスに聞いても、「子連れで住み込みができるところは無いですね」という返答。
そんな人が滅多にいないのか、子連れは厄介な感じなのか、真剣に探してくれているのかは正直分からなかった。

──その瞬間、はっきり分かったんです。

家なし父娘で車に住んでいる今の状況では、働き方の選択肢そのものが狭くなるんだと。

残酷な50代の年齢の壁

さらには、50代という年齢でも選択肢が狭まるという、残酷な現実を叩きつけられました。

年齢が問われない起業という道でずっと生きてきた僕にとって、この現実を受け入れるのには、心の厚い壁がありました。

僕は社会で必要とされているのだろうか、って考えている自分に気づきました。

もともとは自由を求めて旅に出たはず。

なのに、気づけば、不自由な現実を感じ始めていました。

「選べないこと」が増えていき、焦りが出てきたんです。

最後はどうしたか?1年半の旅の着地点

結論から言うと、娘との生活を守るために「旅をやめる」ほうを選びました。

本格的にキャンピングカー旅を決意したときは、3年と決めていました。
すべての都道府県に爪痕を残す計画でした。

もちろん、旅をやめると決断するギリギリまで粘りました。

何が何でも「旅しながら稼ぐ」を形にしたかったんです。
親子のキャンピングカー生活を、ただの逃避じゃなく、次につながるものにしたかった。

でも、現実は厳しく、じわじわと確実に終わりに向かっていきました。

決定的だったのは、娘の学校の問題だった

生活を回すだけで体力も気力も削れていき、仕事もできず。

でも、それよりも、小6で出発した娘が中1になり、学校の問題が深刻になってきていました。

娘にとって、キャンピングカー旅をしながら自学するというハードルは、想像以上の高さでした。

そして何より、リモートで出席を認めてくれる制度がない。
学校や市役所と何度も電話でやり取りをし、お願いもしてみました。
でも、例外としても認められませんでした。

娘のために、通える学校の環境を早く整える必要がある。
それには、僕が定住して、校区の中学校に通わせてあげないといけない。

その結論に達し、僕は「家なしで旅しながら稼ぐ」ことをはっきり諦めました。

僕らにとって限界が来ていました。
悔しさや情けなさもありました。

でも、僕より娘の人生を優先にすべきだ。

そして、旅を終える決断をしました。

定住するために家賃ゼロの寮付きの派遣社員になった

ではどこに住んで、どう働くのかを考えなければなりません。

その時の僕は、キャンピングカー生活をしたことで、家賃ゼロの生き方が価値観になっていました。

旅を始める以前は、宮崎と東京にそれぞれ2拠点、合計4つの家賃を払っていたことがある過去からすると、180度の価値観の変化です。

そんな僕が次の選択肢をいろいろ考えたうえで、たどり着いた現実的な答えは「寮付きの派遣社員」でした。

いくつかの派遣会社に確認したら、子連れでも寮(ワンルーム)に住めることがわかったのです。

まさか自分が派遣、しかも社員になるとは1ミリも想像していませんでした。
でも、疲弊した収入ゼロの父娘が、ひとまず家賃ゼロで定住するには、もうこれしか選択肢がなかったと思います。

いやむしろ、不安定な生活に限界を感じた僕らにとっては、すぐに屋根にあってエアコンが完備されている部屋に住めるなんて夢のようでした。

山梨県で面接を受け、最終的にたどり着いた先は神奈川県でした。

それから3年半後、noteに書いた

とはいえ、多くの葛藤があったのは事実。

本当は、こんな大失敗の人生なんて誰も語りたがらないと思います。
恥ずかしいし、プライド丸つぶれだし。
事実、僕も3年以上秘密にしていました。

でも、このnoteを始めたのは、そういった恥ずかしい部分も全部書き残そうと思ったからです。
だから、そのときの苦しみについても始めてすぐに書きました。

それでも残したこと:父娘で生き延びたという事実

結局、娘とキャンピングカー旅は失敗だったのか。

僕自身、それが4度目のどん底になってしまったし、娘のこともあるので、それがよぎったことがあります。
正直、今でも悩むことがあります。

正解はわかりません。

でも、娘と1年半の濃密なキャンピングカー旅を経験したことだけは、かけがえのない事実。

旅は終わったけど、人生が終わったわけではない。

今は、父娘で生き延びている。
日々、小さな幸せを感じ、前を向いて進んでいる。

それでいいじゃないかって、今は思っている。

そう思えるところまで、なんとかたどり着いたんです。

おわりに

今日の空。

今回まとめてみて、あらためて思ったのは、僕らが挑戦したのは「旅しながら稼ぐ」よりも、ずっとハードルが高いことだったんだな、と。

娘にとって、この経験が人生の糧になってくれることを願っています。

次回は、旅のはずなのに引きこもりになっていった話を書きます。

続きはこちら。
👉 旅のはずが、引きこもり。父娘1年半の旅で起きたこと

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。

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初めて僕の記事を読んでくださった方へ──
よければ、最初に書いた自己紹介の記事も読んでみてください。

せきたつや

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