ただ、生きるためだけに働いた。娘と暮らした50代派遣、寮と工場の日々
前回は、寮での暮らしの中で、娘とのささやかな生活のありがたさについて書きました。
でも今回は、その裏側にあった、誰にも語ることがなかった「もうひとつの僕の現実」について綴りたいと思います。
家や家族を失った50代の僕は、かつては日本や世界を巡りながら働いていたり、娘とキャンピングカーで全国を移動しながら自由な暮らしをしていました。
そんな僕が、なぜ突然「寮付きの派遣社員」という働き方を選んだのか…
寮付きの派遣社員という働き方を選んだ理由
娘とのキャンピングカー生活やバンライフは、好きなときに働き、好きな場所で寝起きする、と何にも縛られない自由な日々でした。
しかし、それを続けていく中で、あるときから働く意欲が消えてしまいました。
そして、気づけば思考も停止し、生活の手段を考えることすら難しくなっていったのです。
虚無に近い状態だったと思います。
そして無職に近い状態が続き、「なんでもいいから何かを始めなければ」と焦り始めました。
タイミーで仕事を探し、倉庫などで働いてみました。
しかし、キャンピングカーで同じ場所にとどまるわけにはいきませんし、都合よくいい場所に仕事がありません。
また、僕の仕事の問題だけではありません。
娘の学校の問題もありました。
「賃貸を探すか、または、どこかに就職するしかないのか…」
24歳で起業した僕は、それ以降、就職する道は一度も考えたことがありませんでした。
もし就職しようとしても、年齢は50代。
経験があっても、年齢だけで門前払いされることもあります。
ひとまず職を探してみると、選択肢が少ない現実に驚きました。
そんな中で「寮付き・派遣社員」の求人を見つけたのです。
まさに駆け込み寺でした。
もちろん、そこに理想や希望があったわけではありません。
娘と暮らせる「住まい」と「お金」、そして娘の「学校」のために選んだのです。
「住まいとお金」を得るためだけに選んだ場所
初出社してみると、現場は20〜30代の若者が大半を占める工場でした。
派遣で働く人たちも、本当にさまざまでした。
特に寮付きの仕事を選ぶ人は、人に言えないバックグラウンドがある人が多いようです。
借金や離婚で頼る場所を失った人、地元に戻れず流れ着いた人、ギャンブル癖のある人、すぐクビになる人など。
喧嘩っ早い人や、人のものを盗む人も普通にいました…
工場では危険物を扱う工程もあり、防護服と防塵マスクが欠かせない環境でした。
50代の僕にとっては、体力的にも精神的にも、決してラクな現場ではありません。
年齢的にも最年長だった僕は、20代の若者から指示を受けたり、仕事を教わる立場にまわることも多く、少し戸惑いもありました。
でも、考える余裕がないほど働いている間だけは、現実を忘れられる気がしていました。
黙々と必死に体を動かしていれば、「今の自分」と真正面から向き合わずに済んだからです。
職場では、話すことも笑うことも少なかったです。
僕自身、本来は人と打ち解けるのが得意なタイプです。
雑談も好きだし、初対面の人と仲良くなることにも抵抗はありません。
でも、ここでは一切それをしませんでした。
できなかったのではなく、自分の意思でしなかったのです。
なぜなら、ここはシングルファーザーとして、娘との住まいとお金を得るためだけに選んだ場所だったからです。
いや、本音は、どん底にいる自分のことを話したくなかったのです。
笑われたくなかったのかもしれない、小さなプライドです。
人知れず、ただ住まいとお金だけが欲しかった。
友達をつくるつもりも、スキルを磨くつもりも、ありませんでした。
そして僕は、娘とのささやかな暮らしと引き換えに、毎朝5時に起きて、娘の弁当を作り働き続けました。
逃げられない場所で、働き続けた理由
派遣社員は、時給制でした。
どれだけ頑張っても、昇給はなし。評価制度も存在しない。
むしろ、仕事ができ、真面目な人ほど、責任ある仕事や余計な仕事を任されることが多い。
僕は僕なりに、真面目に積極的に、そして無遅刻無欠勤で働きました。
しかし、褒められることは、ほとんどありませんでした。
そもそも褒められたからといって、何かが変わるわけでもないのですが、それでも、寂しいと感じました。
そして、仕事が遅い、覚えが悪い、というだけで、簡単に切られていきます。
実際に、僕の周囲でも、次々と仲間が姿を消していきました。急にいなくなった人もいました。
切られた、飛んだ、という言葉で、昨日までいた人がいなくなるのは、本当にあっけないものでした。
また、僕と娘は会社が用意した寮に住んでいましたが、家賃は無料でした。
しかし、欠勤や遅刻をすると、家賃を支払わないといけないペナルティがありました。
つまり体調が悪くても、精神的にきつくても、休みなく働け、という見えない拘束がある世界だったのです。
それはまるで、牢獄の中で働かされているように感じました。
おわりに
この話に、カタルシスはありません。 美談でもなく、感動も、成功も、なにもありません。
あるのは、ただ50代で家を失い、黙々と工場で働きながら、娘とふたりきりで住む場所を守っていた、その日々だけです。
派遣という働き方の全てが悪いとは言いません。
ただ、家を失い、どん底まで落ちていた僕に、住まいや仕事が提供されたとしても、そこでずっと働き続けたいとは思いませんでした。
でも、約1年働き続けました。
その状況から抜け出すには、必要な時間だったのです。
この日々の経験が、人生の意味を改めて問い直し、次の一歩の原動力になったのは間違いありません。
そして、あの一行につながったのがこの記事です。
もしあなたが僕の状況なら、どうやってこの場所から抜け出しますか?
次回は、ここまで書き続けてきた想いや、自分自身に問い続けてきたこと。
そして、これからこのnoteで綴っていきたいことについて、お伝えしようと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
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よければ、僕の最初の記事(自己紹介)も読んでもらえると嬉しいです。
せきたつや
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