見出し画像

『アルカディア航路』試し読み⑫|四月二十二日(水)20:32 曇り

 四月二十四日(金)22:03 曇り
 角を曲がると左右の壁ぎわに人が群がっていて、剛也の足が止まった。廊下の先、店の前には列ができている。受付はあそこか。見知らぬ顔ばかりで視線が泳いだところへ、海本が追いついて口を開いた。
「おおすげぇーなこの店、こんな人いるんだ」
「いやいや先週はこんなじゃなかった」
 難しい顔をして剛也が答えると、ニコニコ顔の海本が剛也の肩を叩いた。
「明日からゴールデンウィークだからじゃないか?」
「いや、まだだろ?」
「どうでもいいわ、早く中入ろうぜ」
「急ごう」
 二人は笑みを浮かべ早足で列の方に進んだ。
 五分ほど並んで店の中に入ると、重低音が腹に響いた。地を這うようなベース音。体がムズムズする。『Whatever Happened To My Rock'N'Roll』か、懐かしい。早く踊りたい。にっこりして通路を急いだ剛也だったが、ダンスフロアの出入り口まで来ると、店内はすでに熱気でむんむんしていた。なんて人だ。予想外の人の多さに驚いていると肩を叩かれた。右を向く。と、笑顔のタツミがいた。剛也が声を発する前にタツミは右手にもったグラスをかかげ、すると剛也は笑いかけたが内心ドキドキしていた。記憶にないけど、この人とも仲良くなったんだな多分。なんて声をかけよう? 戸惑っていると、タツミは剛也の耳に顔を寄せてきた。タツミは声を張った。
「びびった? こんなにいなかったもんな」
 剛也は大きく頷いた。満足そうな笑みを浮かべ、タツミは続けた。「ブルー・スネイクの唐津って知ってる?」
 剛也はまた頷く。ブルー・スネイクといえば日本を代表するガレージ・ロックバンドで、日本のバンドはほとんど聴かない剛也でも何枚かアルバムを持っていた。唐津はブルー・スネイクのギター・ボーカルで、最近もテレビ番組に出演していた。
「アイツ、たまーにお忍びでこの店来るんだけど、何を考えたのか夕方くらいにツイッターでこの店の告知をしたんだ。で、あの人が来るんじゃないかって、ファンがわんさかやってきたってわけ。だから今日はずーっとガレージ・ロック」
「へぇー、そう——」と言ったところで左から押され、『なんだ』と言い損ねた剛也だったが、そのとき後ろから何か聞こえた。振り返ると近くに海本の顔がある。海本は訊いた。
「友達?」
 剛也は首を捻った。どうしようかと迷う。自分もはじめましてみたいなもんなのに海本を紹介するって変だ。でもまあ相手は知ってるんだからいいのか。剛也は軽く頷き前を向いたが、今度もこちらが話しかけるより早くタツミが口を開いた。
「亮五のやつ苦戦しててさ、いっつもエレポップとかテクノが主体じゃん、それで。でも頑張ってはいるんだよ。俺が『GT400』で渡したら『Rock & Roll Queen』で受けて、そっからこれだから」
 そこでタツミが言葉を切ったので剛也は話しかけようとしたが、一緒に盛り上げようぜ、と口にしてタツミは前に動き始めた。剛也の前を通り過ぎ、混雑するダンスフロアでも比較的人が少ない壁の近くを、屈強な体で人波を割り進んでいく。剛也はその後を追った。タツミに続きながら、剛也は怪訝な顔をした。なんでだろう、確かに好きな曲だけど無理して前で踊りたいわけじゃない。なのになんで追いかける? でもそうしなきゃいけない気がする。
 モヤモヤしながらも剛也がタツミについていくと海本も従った。人波に押し返されながらもタツミが道を切り開き、その道が周囲の人によって塞がれる前に半身になり、体をねじ込むようにして剛也たちが進む。しかし四メートルほど前進し、DJブース近くまで来ると急に前方が開けた。DJブースから一メートルほどの空間には数人しか客がいない。DJブースの出入り口に向かってずんずんと進むタツミの姿を目で追い、剛也がそちらに顔を向けると、出入り口の近くでは上半身裸のユーキが右手に持ったTシャツを高く掲げていた。そのすぐ右、DJブース前中央ではタイキがその巨体をぴょんぴょんと弾ませるようにして踊っている。続いてDJブースに目を向けるとリョウゴが顔を俯けていた。表情はわからず、真一文字にした厚ぼったい唇だけが見える。と、横から手が伸びてきてリョウゴの肩に触れた。タツミだ。何か耳打ちしている。なに話してるんだろうと剛也が考えたそのとき、激しくぶつかられ、剛也は危うく倒れそうになった。何とか踏みとどまって前を向くと、左スピーカーの前で悠々と女が踊っている。当たったことにも気づいていないようだ。フワフワと前後に漂うようなクラゲ踊り。マイちゃんか。剛也がそう認識したのと同時に声がした。
「この間大丈夫だった? ちゃんと帰れた?」
 右を向くと声の主はツッチーだった。剛也が頷くとツッチーは続けた。「今日はみんな気合い入ってるから気をつけてな。ほら、タイキとかユーキも(ツッチーが顔をDJブース前中央に向けたので剛也もそちらを見た。二人は真剣な表情で踊っている)いつもより踊りが大きいだろ? ああやって威嚇してんだよ、後ろの連中を。唐津目当ての奴らに店を荒らされてたまるかって」そこでツッチーはグラスに半分ほど残っていたビールを一口飲んで付け加えた。「研究は順調に進んでる?」
 え、どういうこと? 研究って、何でそんな話になる? 剛也が混乱しているとツッチーはさらに続けた。「ほら、先週言ってただろ? フユキって人に成果を見せるんだって」
 なるほど、先週酔っ払って色々しゃべったわけか。状況を把握した剛也だったが、すぐに言葉を返すことができなかった。胸がざわつく。確かに計算は終わった、証明に穴はないと思う。思うけど、なんでだろう、急に不安になってきた。剛也はぎこちない笑顔を作り、ツッチーの耳に口を寄せた。声を張る。「あ、はい。週初めに結果が出たんですよ。それで冬樹さんにメールしたら明日会おうって」
「それは凄いな」
 ツッチーは目を見開き、感嘆の声を上げた。続いてグラスを口に運んだが、そのとき、常連の人? という声がして剛也は左に顔を向けた。海本が真剣な顔をしている。剛也が頷くと海本はすぐに言った。
「紹介してよ」
 一瞬渋い顔になりかけた剛也だったが、何とか笑顔を保つと海本を指さし、ツッチーの耳に顔を寄せて言った。
「こいつ会社の同僚です」
 海本は頭を下げ、大声を上げた。
「海本です! よろしくお願いします!」
「おおよろしく」
 ツッチーは微笑みながら返事をし、海本に近づいたが、そのとき店内が急に静かになった。多くの客が足を止め、心配そうな眼差しをDJブースに向ける。音はまだ続いている。しかしそれまでの轟音が鳴り止み、数秒ごとにエレキギターの歪んだ音とドラム音だけが鳴り響く。ツッチーはDJブースの方を振り返ってニカッと笑い、次いで海本の方に顔を向けると、そばにいる剛也にも聞き取れるほどの大声で言った。
「リョウゴの奴とちったな。頭に入ってなかったんだ曲の流れが。こんな調子であと一分は続く。しょうがないな、慣れない曲かけたりして」
 ツッチーは口を閉ざした。しかし海本が何も返さずキョトンとしていると、さらに何か言うそぶりを見せた。と、そのとき次の曲が流れ始めた。アコースティック・ギターと歌だけのシンプルな曲。ツッチーは何度か小さく頷き、また海本に向かって声を張った。今度も剛也にははっきりとツッチーの声が聞こえた。
「ボブ・ディランとは余程パニくったらしい。音も小さいし。この曲このあいだ店終わりで飲んだとき、フウタと二人で教えてやったばっかだぜ。あいつがディラン知らないって言うから俺とフウタで何曲か挙げてさ。知ってる?」
 笑みを浮かべてツッチーが尋ねると、緊張した面持ちの海本は首を振った。それを見てツッチーはにんまりし、言葉を継いだ。
「これは『Masters Of War』っていう曲。プロテストソング。戦争で儲けてる奴らを許さないって曲で、死を確かめるまでお前らの墓の上で見張ってるって歌ってるんだ。人殺しする道具作って儲けるとか最低だよな」
 〝最低〟という言葉をツッチーが発した瞬間、海本の表情が一変した。険しい眼差しをツッチーに向ける。次いで何か言いかけてそれを止めると、どうしたんだろうと思った剛也が歩み寄る間もなく、海本は体を反転させた。人をかき分け来た道を戻る。だが人だかりに阻まれなかなか進めない。それでも前進しようともがく海本に剛也は近づいた。海本の耳元に顔を寄せ声を張る。
「どうしたんだ、急に。帰る気? 来たばっかじゃん」
 海本は反応しなかった。前を向いて道を切り開こうと引き続きあがく。剛也は海本の肩や背中を軽く叩いたが、それでもこちらに顔を向けないので諦め、海本と一緒になって人をかき分けだした。すると少しずつではあったが前に進めた。
 曲が終わり、続いて穏やかなギターのアルペジオが聞こえ出した頃にようやく、二人はダンスフロアの出入り口にたどり着いた。海本はそのまま通路を進み店の外に出たが、足を止めず相変わらず人でごった返して騒がしい廊下をずんずんと進んでいった。その後ろ姿を見失わないよう、剛也は足早に後を追う。
 階段を上りきって歩道に出、どれだけ先に行ってしまったかと剛也が右に顔を向けると、海本は少し先でガードパイプにもたれていた。靖国通り沿いの街灯が色黒の顔に浮かぶ詰まらなそうな表情を照らしている。剛也はホッとして海本に近づき問いかけた。
「急にどうした?」
「いやあキツいっしょ」海本は苦々しい表情で言った。「ありゃあキツい。あのオッサン。左翼歴三十年みたいな。あれが常連なんだろ? キッツいわ。お前は平気?」
「うん、まあ」と剛也は返し、眉間に皺を寄せ首を傾げた。なるほどな。ツッチーと海本じゃ確かに合わない。でも来てまだ十分も経ってないのに、こんな偶然ってある?
「ならいいんじゃん」海本はそう言って笑みを浮かべ、さらに続けた。「明日冬樹さんだろ? 今日はほどほどにな。明日話聞きに行くから」
 そう言って右手を上げ海本が歩き出すと、その背中に剛也は言葉を投げた。
「また明日」
 海本は反応せず、ずんずんと遠ざかっていく。剛也はぼんやりとその後ろ姿を眺めたが、Tシャツと長袖シャツについた自分のとも他人のともつかない汗が夜気を帯びて寒くなってきたので、階段に向かって歩き出した。

------------------------------------------------------------

読んで感じたことがあれば、リポストや感想や記事のシェアなどで知らせていただけると励みになります。

〇まとめ記事は⇩のリンクから

[ まとめ記事に移動 ]

〇前回は⇩のリンクから

[ 試し読み⑪を読む ]

〇次回は⇩のリンクから

[ 試し読み⑬を読む ]

◯Kindle(キンドル)版の購入は⇩のリンクから
9月9日まで刊行記念価格100円。9月10日以降は500円です。

[ Kindle版を購入する ]

〇文庫版の購入は⇩の各リンクから
文庫版『アルカディア航路』A6判/282ページ、1350円+配送料

[ BOOTHで購入する (匿名配送:270円)]

[ BASEで購入する (通常配送:240円)]

いいなと思ったら応援しよう!

関澤鉄兵 よかったらサポートお願いしやす!