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『アルカディア航路』試し読み⑪|四月二十二日(水)20:32 曇り

 四月二十二日(水)20:32 曇り
 柔らかいギターのカッティングに身を委ね、辰巳がダンスフロア中ごろで軽く左右に揺れていると肩をはじかれた。左に顔を向ける。黒の中折れ帽に黒のスーツ——五月さんだ。笑みを貼りつけて辰巳は小さく頭を下げた。だが顔を上げるより早く、五月はこちらに顔を近づけ、口を開いた。
「客はまだ?」
「まだです」
「真吾ってのはちゃんとやってる?」
「凄いですよ」辰巳は目を見開いて答えた。「DJ二回目なのに凄まじいです。二回目でこれって驚異的ですよ」
「へぇー、二回目なんだ、それは凄い」
 大して驚いた様子もなく五月が返すと、辰巳は真吾に目を向けて微笑み、次いで五月に向かって言った。
「アイツの才能は凄いです」そこでいたずらっぽい顔になって辰巳は続けた。「俺の次が育ったら引退だって言ってましたね、五月さん。アイツがそれです。もう引退ですね」
「この野郎」と言って、五月は右のこぶしで辰巳の頭を小突いた。辰巳は痛そうな顔をして頭をさすった。反射的に五月を睨みつけそうになるが何とか堪えた。冗談を言ったらこれだもんな。でも我慢だ、我慢しろ俺。こんなクソ野郎でも先輩は先輩。歪んだ笑顔を五月に向けると辰巳は言った。
「先週踊ってるの見て、すげぇリズム感がいいからスカウトしたんですよ。予想以上でした。俺にないものを持ってますね。もちろん亮五にも。音に対する感性っていうか、リズムの繋がりとか音色の繋がりとか、そういうのを本能的に見分ける力があります。だから繋ぎも上手い。何なんですかねあの才能」
「そこまで言う? じゃあもうエース交代でいいじゃん」
 意地悪な顔で五月が言うとまたカッとした辰巳だったが、平静を装って返した。
「いや課題もあるんです。アイツ自分がないっていうか、どうも好きなバンドがないみたいなんです。俺がパンク好きだって言ったらパンクばっか流して、好きにDJしろって言ってもどうしたらいいかわからないみたいな」
「え、スミスかけてんじゃん」五月はDJブースを指さして言った。「『Cemetry Gates』」
「あれもパクりです」力強く頷きながら辰巳は返す。「月曜に俺がかけてたんで。辰巳さんはスミスも好きなのか、じゃあスミスもかけようって感じなんですよ」
「それ凄いな」五月は興奮した声を上げた。「なんでもかけれるってこと? 何でも知ってるの? あの歳で」
「いやそうでもないみたいです」首を捻りながら辰巳は返した。「ここ二、三年のはほとんど知らないって言ってました。親が音楽マニアみたいですね。それで古いのは大体知ってると」
「なるほど、新譜がネックか」いかにも納得したという顔で五月は言った。「そこがクリアできたらエースの器かもな」
「お、言いましたね」
 嬉しそうに辰巳は言ったが、そのとき次の曲が流れ始めた。フェードアウトするギターの調べに、ゆったりとしたギターのアルペジオが重なる。そこにベースとドラムが加わり、繊細なギターの音色を支え、次いで微睡むような声でボーカルが歌い出した。『Mr. Tambourine Man』か、やっぱりアイツは本物だ。辰巳はニカッとした。その顔を五月に向け、口を開いた。
「これも俺が流した曲。でも俺よりセンスいいっすね」そこで言葉を切ると改まった口調になり辰巳は続けた。「アイツ場所を与えたらどんどん伸びると思うんです。それで週末の遅い時間をやらせたいなって。次の土曜から早い時間と夜中の三十分くらい、アイツに回させてみようと思うんですけど、五月さんはどう思います?」
「俺に訊くなよ」五月は即答した。「いまはお前がエースだろ。好きなようにすればいい」
「そうですね」と答え、続いて大きな伸びをすると「見本みせてきますわ」と言い、辰巳はDJブースに向かって歩き出した。

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