『アルカディア航路』試し読み⑩|四月二十二日(水)19:27 薄曇り
四月二十二日(水)19:27 薄曇り
ベースラインが走り、ハイハットが八分を刻む。それに急き立てられるように、真吾は胸の高さの棚、その上段の中ほどから一枚ずつCDを抜き、ジャケットを確かめていった。しかし次の曲がなかなか決められない。真吾は苦しそうな顔をした。BPM200くらい、これだけ速くてパンクの曲って? 『Neat Neat Neat』の前に『White Riot』流しちゃったし。この前も速いの三連続はやり過ぎだって辰巳さんに注意されたからな。とするとどうしよう? 辰巳さんが好きだからパンクを続けるのは続けるけど、速度を落とすにはどうすればいい? 難しい顔をし、手にしたCDに目をやった真吾だったが、ジャケットのアートワーク(真ん中に円が描かれ、その中心に鳥のイラストがある黒いジャケットで、下の方に『GREATEST HITS』というブロック体の赤い文字がある)が視界に入った瞬間、目を見開いた。ラモーンズのベストアルバム。そうか、『Pinhead』はどう? 最初は速いけどイントロが終わったらゆったりする。ペースが変えられるかも。真吾はCDを手にすると、振り返ってダンスフロアに目をやった。中央で一人、ビールをすすりながら辰巳が体を左右に揺らしていたが、真吾の視線に気づくと、右手を上げてグーサインをした。真吾は笑みを返し、次いで大急ぎでCDケースからCDを取り出し、左のCDJに挿入した。右耳だけにヘッドフォンを当てる。続いて1チャンネルの縦フェーダーが一番下まで下がっていることを確認し、キューボタンを押してから左のCDJで目的の曲を選び、プレイボタンを押した。ヘッドフォンから『Pinhead』のイントロ——タンタンタンという一定のリズムで刻まれるタム・ドラムが聞こえてきて、真吾はにんまりした。思った通り、これなら流れをせき止められる。真吾は1チャンネルの一番上にあるツマミを右に捻り、メーターが赤にならないぎりぎりの音量に調節した。次いで曲を停止し、1チャンネルの縦フェーダーを一番上まで上げ、左手の人差し指を左のCDJのプレイボタンの上に置いた。右に顔を向ける。CDJのディスプレイを見ると残り二十秒、十五秒、十秒、四秒——今だ。真吾はCDJのプレイボタンを押した。『Neat Neat Neat』にかぶさるように『Pinhead』のイントロが流れ出し、スムーズに曲が繋がった。
想像以上に上手くDJできたことが嬉しくて真吾はガッツポーズしたが、肩を叩かれ驚いて右を向いた。溢れんばかりの笑顔を浮かべた辰巳が立っている。DJを交代するのかと思った真吾がヘッドフォンを外そうとすると、辰巳は耳打ちしてきた。
「お前やっぱセンスあんな。BPMを半分にするのなんかまだ教えてないのに。勝手にやったんだろ?」辰巳の言葉の意味がわからず、真吾が曖昧に微笑むと辰巳はさらに訊いた。「自分で発見したの?」
「ああ、何となく」嬉しそうに真吾は言う。「この曲ならいけるかなって」
「お前すごいな」辰巳は感嘆の声を上げた。「今日二日目だぞ、DJ始めて二日目」そう言って頷くと、さらに続けた。「ちょっとチャレンジしてみよう。今度の土曜からは遅い時間もやってもらう。ちゃんと準備しとけよ」
真吾は目をぱちくりさせた。信じられないといった表情で少しの間呆然と前方を見つめたが、再び肩を叩かれると弾かれたように動き始めた。落ち着こう。急がないと曲が止まっちゃう。真吾は棚の上のCDを順に手に取っていった。一枚ずつアートワークに目をやるが、次に流すべき曲が収録されているのかどうか判断できない。それどころか、いま見ているのが何というバンドのアルバムなのかすら、いまの真吾には理解できなかった。自分が動転していることを認識して「ヤバいヤバい」と連呼したが、その言葉とは裏腹に真吾の顔には笑みが浮かんでいた。先週体験した週末のダンスフロア、そのイメージがひっきりなしに頭に浮かぶ。タイキさんやツッチーさん、マイさんにユーキさん、あんな凄い人たちを前にしてDJできる。自分のDJでみんなどんな反応するだろう? どうやったら盛り上げられるかな? CDを手にしたまま、止めどなく湧き起こる思考に身を任せる真吾だったが、曲がアウトロに入ったことに気づき、ようやく我に返った。険しい顔つきになって右のCDJに向かい取り出しボタンを押す。出てきたCDを手にすると、すぐ横にあるターンテーブルの上に置き、手にしていたCDをCDJに挿入した。左のCDJに目をやる。残り五秒。もう間に合わない。真吾は顔を戻し、ヘッドフォンで確認もせずにプレイボタンを押した。スピーカーからミドルテンポの曲が流れ出す。BPMが合わない曲。メロディアスなパワーポップで、前曲とは曲調もまるで違う。真吾はやってしまったという顔をダンスフロアに向けた。すると中央で仁王立ちしていた辰巳はわざとらしくこちらを睨みつけたが、すぐさま歯を見せて笑い、首を大きく縦に振った。
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