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原始的だと思いこんでいたのは、私たちの方だった-縄文クッキーが教えてくれた「本当の豊かさ」|食×授業#9

「先生、これ……本当にクッキーの材料なの?」
「今日は、クッキー作りって言ってたから、楽しみにしてたのにー」

その時、机の上に並んだ材料を見て、生徒たちはあからさまに戸惑いの表情を浮かべていました。

小麦粉(本来はドングリの粉)、クルミ、山いも、うずらの卵。
そして、トレイに乗った「豚のひき肉」。

バターの香る甘いお菓子を想像していた生徒たちは、首をかしげています。無理もありません。私たちが知っている「クッキー」とは、あまりにもかけ離れているからです。

今回、選択社会の授業で取り組んだのは「縄文クッキー」の再現。

でも、私の本当のねらいは、単に昔の食べ物を再現することではありませんでした。実際に手を動かし、火を使い、食べてみる。その「遠回り」な体験を通して、教科書の中の「縄文人」が目の前に現れる瞬間を作りたい。

そう願っての授業でした。



1. 拾ったドングリが教えてくれた「時間の壁」

実は前の週の授業で、学校の近くの公園へドングリを拾いに行きました。「自分たちで拾ったもので作れば、よりリアルだ」と考えたからです。

市の資料によると、その公園一帯は、かつて縄文人が集落を構えていた遺跡の跡地でした。数千年前、彼らも同じ場所でドングリを拾っていた。そう考えると、急に歴史が身近に感じられてきます。

しかし、現実は甘くありません。
ドングリを食べるには、皮をむき、長い時間をかけて「アク抜き」をする必要があります。虫食いの選別も欠かせません。

そのため、今回は安全と時間を優先し、ドングリの代わりに小麦粉を使うことにしましたが、この断念さえも「時代の違い」を実感する大切なプロセスとなったかもしれません。

2. レシピはない。あるのは「配合」だけ

縄文クッキーに、きっちりとしたレシピは存在しません。

  • (ドングリやトチの実)

  • つなぎ(山いも、卵)

  • コクと脂質(クルミ、栗、動物の肉)

  • 味付け(塩、はちみつ)

「先生、分量は?」「作り方は?」と聞いてくる生徒たちに、私はこう答えました。

「たぶん、縄文人もちゃんとしたレシピなんて持ってなかったと思うよ。
その時、手に入ったものを混ぜていたはずだから。とりあえずやってみよう。」

生徒たちは
「まったく、社会科の先生は適当なんだから(笑)」
「これで合ってるのかな?」
と手探り状態で、肉や木の実を生地に練り込んでいきました。


【参考:NHK for School】「 縄文クッキーを作ってみよう」
 ※実際の遺跡から見つかったクッキーの成分分析に基づいた、NHKの解説 
  動画です。


3. 「火」という名のコントロール不能な道具

せっかくなので、本当は、まいぎり式の火起こし器で起こした火で焼きたかったのですが、予備実験で教室中に煙がモクモク…、あわや、火災報知器が作動てしまうかもというハプニングがありました。そのため、残念ですが、今回は調理室のガスレンジを使うことにしました。

▲ まいぎり式火起こし器のイメージ(出典:イラストAC)


それでも、調理は一筋縄ではいきません。

厚すぎれば中まで火が通らず、薄すぎれば焦げて割れる。「火加減を調節する」という、現代では当たり前の行為が、実はどれほど高度な感覚を必要とするのか。生徒たちは、火を扱うことの難しさと真剣に向き合っていました。

4. 焼いてみて気づいた「形」の合理性

15分後。焼き上がったのは、およそクッキーとは呼べない、ゴツゴツとした褐色の塊。恐る恐る口にした生徒から、驚きの声が上がります。

「……あれ? 意外とうまい」
「甘くないけど、すごくお腹にたまる感じ」

それはお菓子ではなく、まさに立派な「食事」でした。木の実の香ばしさと、肉の脂のコク。噛めば噛むほど、複雑な味が広がります。

ここで私は、生徒たちに一つ問いを投げました。
「これ、なんでわざわざクッキーみたいな形にして焼いたんだと思う?」

生徒たちの口から、次々と答えが飛び出します。

  • 「持ち運びやすいから」

  • 「みんなで分けやすいから」

  • 「保存がきくから」

  • 「火が通りやすいから」

  • 「かわいいから」

正解は縄文人に聞かないとわかりませんが、おそらく厳しい自然の中で生き延びるために導き出された、究極の「合理的デザイン」だったのでしょう。

5. 「原始的」という言葉の解像度を上げる

実は、縄文クッキーの栄養価を調べると、ものによっては100gあたり約418キロカロリーもあることがわかりました。しかも、炭水化物、脂質、タンパク質を、効率よく同時に摂取できるのです。

アク抜きの知恵、粉にする技術、そして焼き方。これらは決して「未発達」な人々の仕事ではありません。さらに調べると、彼らは旨みを引き出した「縄文シチュー」や、ヤマブドウの果実酒、トッピングを楽しむ「縄文せんべい」まで作っていた形跡があります。

生きるためだけなら、ここまで凝る必要はないはずです。彼らは、私たちと同じように「食べることを楽しむ」グルメな人々でもあったのかもしれません。


まとめ:想像力のほうが原始的だった

この授業は、もちろん調理実習ではありません。ましてや、単なる昔の再現でもありません。

ドングリを拾い、混ぜ、焼き、食べる。その一つ一つの不便な工程を通して、生徒たちは気づいたようです。

「昔の人は大変だったんだね」という同情がいかに浅はかだったか。
「原始的=遅れている」という見方が、いかにこちらの想像力不足だったか。

縄文クッキーを作ってみて、私たちは気づきました。

原始的だと思いこんでいたのは、実は私たちのほうだったのかもしれない。

食べ物は、単なる栄養の塊ではありません。それは文化の結晶であり、その時代なりの「最適解」でもあります。

かつて縄文人が暮らしていたのと同じ場所で、同じように木の実を拾い、火を使い、食べ物を作ってみる。

この体験が、生徒たちの中で「歴史を見る目」を少しだけ変えてくれたなら。教科書の向こう側にいる人々の姿が、ほんの一瞬でも見えたなら・・・

それだけで、この授業は大成功だったのだと思います。


今日の話が、社会科の面白さを思い出すきっかけになれば嬉しいです。 このテーマを「中学社会科の視点」で読み解く授業は、メンバー限定でお届けしています。 土曜夜の社会科教室で、学びなおしを一緒に楽しみませんか。

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